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2013年10月24日

農業全書に学ぶシリーズ<1>『農業全書』の基盤にある自然観や思想とは?

それでは、いよいよ本編の始まりです
 
プロローグ(プロローグ1プロローグ2)では、『農業全書』は、江戸初期の混乱する社会に適応するため、生産基盤・政治基盤となる『農』を再生するためにつくられたことが分かりました。そして、元々、農業とは縁のない、つまり素人による2人の創造(宮崎安貞・貝原益軒)によって農業技術の体系化・高度化が図られたのです。
 
『農業全書』は、1697年に出版され、瞬く間に全国に広がりました。幕府から「日本一の農書也」と評価され、約3000部を販売、五度にわたり刊行されるほどでした。さらに、『農業全書』を起爆剤として、江戸時代だけでも300を超える農書が書かれ、世界でも類を見ないほど各地に伝播されたのです。
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江戸時代の問題を解決し、見事に農業の基盤を築いた『農業全書』。
農業全書には、一体、どのようなエッセンスが詰まっていたのでしょうか?
そしてなぜ、農業全書は、日本全国に広がり基盤となるにまで至ったのでしょうか?

 
本編では、特にこの2つを追求し、日本の底流にある“農”の考え方を学び、現在の農業が抱える問題(後継者不足・化学肥料汚染・自給率低迷)を突破するための“答え”を探っていきたいと思います!
 
第一弾は、『農業全書』が作られた時代の自然観・思想を振り返り、『農業全書』の考えの基盤を見ていきます。
 
 
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『農業全書』や同時期の農書には、農業技術以外にも、日本人の自然観をあらわす言葉がたくさん登場します。また、「三才思想」や「陰陽論」などの中国思想もたくさん書かれています。
まずは、日本人の自然観、中国思想がどのような内容なのか、詳しく見てみましょう
 
 
■『農業全書』に散りばめられている、日本人の自然観
○「まわし」 ~すべてが循環し、すべてが一体~

農業全書に限らず、日本の農書の中には「まわし」という言葉が多く用いられています。これは、「すべては循環している」という見方を表した言葉です。食べ物も、お金も、世間も、太陽や月も、そして心もお互いに回っている(循環している)と考えられていました。
 
この考え方が、『農稼肥培論』(大蔵永常)という農書に分かりやすく書かれています。
「人や動物は、動きはたらくものなので口から食べ物を摂取し、腸を通る間に栄養を吸収する。作物は大地に根付いて動かないので根から肥やしを吸収するが、生きる原理は同じ。生き物として仕組みは一緒。」と、当時の日本人は考えていました。
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人・動物・植物の原理は同じ、つまり、「自然はすべて一体」との考えが基盤にあったことが分かります。そして、一体だと受け入れた上で、同じ部分もあれば異なる部分もある。これらが循環してバランスがとれていることが一番重要と考えられていたようです。
 
自然を大局的にとらえ、自分たちもその中の一部にいるという考え方をしていたことが分かりますね。
 
一方で現在は、食べ物を食べたら捨てる…お金は自分のために貯める…など、一方通行の考え方ですよね。この「まわし」という言葉ひとつにしても、現在と、江戸時代の考えが大きく違うことが良く分かります。
 
 
 
○土地相応 ~土地の風土・環境に寄り添う~
自然との一体感と同時に、自然の“変化”にもとても敏感でした。『農業全書』の中には、「それぞれ生えている食物の種類によって土地を判別し、その土地の性質を推察することがとりわけ大切である」と、自然環境はそれぞれの土地・風土で異なる「土地相応」という考え方が頻繁に書かれています。
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地域それぞれの気候・風土が前提としてあり、その環境に生活や食物の育て方を適応させていくことが重要、という考えを読み取ることができます。循環を崩すのではなく「受け入れ、合わせていく」ことを一番に考えていたことが良く分かりますね。
 
これも、現在を考えてみると、悪い環境があると技術で解決しようとする…過ごしやすいよう環境を変える…など、自分たちに合わせる考え方になっていますね。現代と比較すると、考え方が大きく異なっていることが分かります。
 
このように、当時の日本人は、自然の中に自分たちの身をおき、その環境を受け入れつつ、合わせていく自然観が基盤にあったことが分かります。
 
 
 
■概念ツールとして活用された中国思想
当時、中国の農書や思想は日本に比べ先行しており、宮崎安貞らは大いに参考にしたそうです。彼らは、中国の農業書を片っ端から読み、陰陽論や三才思想といった思想・理論を学んだと言われています。
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三才思想や陰陽論は、はるか昔、中国にて生まれました。これは、厳しい自然環境の中で、農業の収穫を左右する太陽、雨、風などの自然の恵みを享受するために様々な判断の必要に迫られたことにあるようです。
 
「四季」の変化を「四種類の気の特性」であるものとして考え、すべての自然現象や動きを普遍化・言葉化したものが起源で、この考えを発展させて、三才思想や陰陽論が生まれました。
 
日本の農の場面では、江戸時代まで「自然は一体」と見ており、区別して考えることはありませんでした。『農業全書』では、これを三才思想によって「天・地・人」という3つに区分し、関係を明らかにしたのです。
 
また、日本人は気候風土によって環境が違うことは認識していましたが、『農業全書』ではさらに陰陽論を用い、自然現象を動かしている原因を「気」というものに特定し、その流れ・動きを言葉化しています。
 
日本人の自然観を土台としながら、これらを概念化するためのツールとして中国思想が用いられたことが分かります。
 
 
 
■日本の自然観と、中国の思想が融合した『農業全書』:まとめ
日本では、江戸時代初期まで理論化・体系化された農業書はほとんどありませんでした。各地方で培われた何十年・何百年という自然現象や農業技術をもとに、先人からの口伝によって継承されてきたのです。その地域に住む住民の感覚や経験が、一番の継承方法でした。
 
江戸時代初期、食料不足や社会不安の解決を望み、大衆からは生産量増加の社会的期待が高まっていました。今までのような自然観だけでは、農業を体系化・理論化することはできません。社会は行き詰まっていたのでしょう。
 
そこで、『農業全書』を書いた宮崎安貞らは、中国の農業書を片っ端から読み、「陰陽論」や「三才思想」といった思想・理論を学んだのではないでしょうか。
結果、『農業全書』は、日本人の自然観という土台の上に、中国の思想(陰陽論・三才思想)を用い、誰もが理解できるよう理論化・体系化され、日本全国に広がり、その農業技術の枠を大きく広げるに至ったのではないでしょうか。
 
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『農業全書』の考えの基盤となるポイントをまとめると、
1.西日本のありとあらゆる自然観・農事経験(事実)を収集
2.日本人の感覚・経験を、中国思想を用いて言葉化・理論化
3.理論化により、だれもが理解できる『農業理論書』となり、全国へと共認形成された。

 
『農業全書』は、日本人の自然観を土台として、中国の思想を柔軟に取り入れて作られました。そして、その自然観と理論が多くの農民に受け入れられ、全国に伝播、日本の農業の基盤をつくるに至ったのです。
 
 
 
次回以降は、『農業全書』の中身を具体的に見ていき、当時の日本人の自然観や理論化された内容について、詳しく見ていきたいと思います!
 
 シリーズ2.「自然の力を『看る』~陽と陰~」
 シリーズ3.「自然の力を『活かす』~肥料と水~」
 シリーズ4.「自然の力を『いただく』~収穫と備蓄~」
 まとめ1. 「江戸時代の自然観とは?」
 まとめ2. 「自然観を学び、養っていくためには?」

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今後も、お楽しみください
 
参考文献・サイト
・「17~20世紀における日本の伝統農学と西洋農学による変容、そして再興」(徳永光俊氏)
・「日本農書にみる自然・農業・地域観」(大阪経済大学・徳永光俊氏)
・「東洋医学とは?

投稿者 hasi-hir : 2013年10月24日 List   

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