2022年3月10日
2022年03月10日
『農業と政治』シリーズ 最終回:日本人のお上意識が農業を農協の意のままにしてきた
農業と政治シリーズは副軸として「農協って何」というテーマで追求していきました。農協から農業に関わる政治を見るという試みでしたが、農協とは共同組合というのは名ばかりで政治と極めて近い位置にあり、時には政治そのものにもなっていきます。つまり、農協の追求では政治(国家の意図)は見えないということで、最終回まで来ました。
最後は農協と対局の柳田國男の思想を参考にさせていただきました。結論は脱農協であり、必要なのは農業の繁栄、さらには後継者の育成にいかに繋がっているかです。最終回はシリーズをダイジェストしてみます。
『農業と政治』シリーズ、はじめます~農協は、農業・農家・消費者に何をもたらしてきたのか
「農協」の祖:大原幽学(1797~1858年)
・その代表的なものが【先祖株(せんぞかぶ)組合】の結成。お互いに助け合い、生活を改善していくための村ぐるみの組織で、世界最初の協同組合となった。
組合員に農地の一部を提供してもらい組合の共有財産とし、組合員となった貧農にはその土地を耕作してもらい、そこから上がる利益を積み立て、そのお金を潰れ百姓の復興、組合の運営費、子孫のための積立などに充てていった。
また農業だけではなく日常生活の細部に至るまで規律をつくり、心を指導し村の復興に貢献した。
『農業と政治』シリーズ 第1回 江戸の小農制が良くも悪くも、その後の日本の農業を作った
農業には農家という言葉があるように農業を支えるのは各家族である。
この傾向が始まったのは江戸時代の小農政策にある。江戸時代の大量開墾の大号令で農業人口の拡大の必要性⇒勤勉性を高めるために小農制度の徹底⇒農業は家族単位に解体。⇒度重なる自然災害⇒貧困農家の多発⇒江戸時代に救済の為の組合が発足。
『農業と政治』シリーズ 第2回~急激な近代化圧力を前に捻じれていく農協の原型
一般に農協の前身と言われる「産業組合」が設立された明治時代。当初の設立目的から大きな捻じれを生み出しながら規模を拡大させ、後の農協の原型を作っていくことになります。
しかしこの組織、実態としては地主や富裕階層農家を中心として発足しており、零細な農家は加入していない。農民を救おう、というお題目の下で、その実態は自らの資産を守ろうとする既得権益者たちのための組合だったのではないか、という疑問が残る。
「農業と政治」シリーズ 第3回 戦後の農協を作ったのはGHQではない 日本の政治家だった。
戦後はGHQによる農地改革がGHQの日本支配の3大骨格として教科書などでは記述されるが、他の2つはともかくとして農地改革はどうも事実としてGHQの明確な方針はなく実行部隊は日本人の中に居た。
戦後の農協を考える上でこの時に建てた「経済ベース」と「小作農保護」が基本となっていったのではないか。いずれにせよGHQの政策によって農協が誕生したという事実はなかったという事を固定しておきたい。
『農業と政治』シリーズ4:食文化支配という占領政策の下で衰退していく国内農業
戦後の農政改革は、本来であれば、江戸時代から引きずる日本農業の弱点(小農零細経営)を直視し、突破していく機会となり得たのではないか。しかし歴史的事実は、旧体制と、中身なき民主化を押しつけようとするGHQの圧力に屈し、志ある政策の実現は果たされなかった。
こうして、次代を担う、求心力ある農業集団は不在のまま、日本の農業はアメリカ占領政策の下で自ら望んで衰退の道を辿っていく(、そう仕向けられる)ことになります。
そして、このころから、我が国ではコメ消費量の減少が始まり、コメの生産過剰から水田の生産調整へとつながっていくことになる。これはまた、我が国の農業、農政が凋落する始まりでもあった。また食料自給率の低迷が始まるのも、この時期と一致している。
『農業と政治』シリーズ5:1955年から1970年までの農協の変遷
農協はこの時代に合併を繰り返し組織の大型化を成し、その力の基盤として政治力や経済力をつけ、圧力団体としての骨格を形成していく。同時に高度経済成長と足並みを揃え農民は地方から都市へと移動していき農業も地方も空洞化していく。1950年代には人口の3割居た農民はどんどん減少していく。しかし同時に、この時代農協はあらゆる力を備えていく。
最大の基盤は政治の票田である。また国土開発と歩を合わせ農地が宅地に道路に変わっていき、農協も農民も望外の金を得て裕福になっていく。金と権力を備えていった農協の基盤がこの時代に出来上がっていった。
この期間に、時代の空気以上に農業も農協も金に塗れていったように思う。
『農業と政治』シリーズ6:農協の「脱農業」化が、本気の農民たちを苦しめる
農協の「脱農業」化が本気の農民たちを苦しめる
大森農協は東京の農協の縮図である。他の地域ではもう少し農業が生き残ってはいる。しかし、いずれもその向かいつつあるところは大森農協型の「脱農業」農協である。すなわち、ごく一部の真面目に農業を継続している農民を除いては、大部分が事実上、農業を捨てて、地主業ないし不動産賃貸業に転じ、あるいは形ばかりの農業を続けながら、偽装農地のさらなる値上がりを待っているだけの偽装農民という構成になりつつある。そして、農協自体は金融機関に化していき、少数の正組合員とそれに数倍する準組合員という構成になっていく。
『農業と政治シリーズ』7回 農協は必要か否か?
農協の役割は本音では以下のようなことかもしれません。
「全農の役割は組織の維持、拡大、利益の追求にあり、会員数を維持、拡大するために専業農家だけでなく兼業農家含めて保護する役割を果たし、農業という道具を通じて国(=国民)から補助金という収入を得る主体になる」
『農業と政治』シリーズ8:柳田國男が見た日本の農業
柳田國男が志した農政改革は、現実の直視から始まっています。
「何故に農民は貧なりや」
(なぜ農民はこんなにも貧しくなってしまったのか)
彼は、自ら立てたこの問いに対する追求をもって、現在も続く国内農業衰退の本質にもつながる問題点をあぶりだし、時の権力者たちと論戦を繰り広げていきます。
『農業と政治』シリーズ9 農業が衰退するのになぜ農協は発展するのか
つまり、わが国の農協は欧米にも日本にも他に例をみない稀有な組織なのである。それだけではない。問題は、この組織が政治活動まで行っていることだ。欧米にも、農業の利益を代弁する政治団体はある。しかし、これらの団体自体が経済活動を行っているのではない。日本の農協は、政治団体であり、かつ経済活動を行っている。このような組織に政治活動を行わせれば、農業の利益というより、自らの経営活動の利益を実現しようとすることは容易に想像がつく。その手段として使われたのが高米価政策だった。
『農業と政治』シリーズ12:柳田國男の志をこれからの農政に活かす
・次代の農家を育てるための政策とは
1.価格・関税政策は廃止する。減反を廃止して、米価を下げれば、兼業農家は農地を貸し出す。主業農家に限定して直接支払いを行えば、地代負担能力が上がって、農地は主業農家に集積する。
2.今のJA農協から、農業部門を切り離し、地域協同組合とする。必要があれば、自主的に主業農家が農協を作ればよい。
3.フランスやドイツ並みのゾーニング制度を確立し、農地法は廃止する。ゾーニングの中では、農業以外の土地利用は禁止される。
★零細農家、兼業農家を排し、専任が農業を担う中農体制を作る。農協はJAから切り離し、必要に応じて地域共同体として自ら作れば良い。柳田がやりたかった農政はこれではないか?
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これらのシリーズを通じて日本は農業においてはほぼ政治という効力をつかっていない。
ある意味、縄文体質の日本らしいとも言えますが、かといって自らの生きる場を自ら作ろうという方向性に農業自体向かえていない。農協という組織があることでそれを奪っているとも言えますし、そもそも日本人にその大志を産み出す意識がないとも言えます。それが日本人特有の政治と自分たちの生きる場を切り離す悪しき「お上意識」です。
現在、他のシリーズで「世界の農」を見ていっていますが、既にロシアなど自国の食料は自ら守るという体制を構築している国があり、市場経済だけで農をしていない体制は多くあります。一方でオランダ始めとするヨーロッパ圏はスマート農法を推し進め、より市場にマッチした形で農業を勝てる産業として育てていっています。日本では農業=高齢化ですが、世界の農業の体制はむしろ若者が活躍している面が一般的です。
江戸時代の小農育成が日本の農の進む先を決めてしまったのですが、問題はむしろその後の国家(農協)と農業の関係にあります。小農、零細農を保護したため、農協は太り、金融機関に変化、一方で本気で農業をやろうとする人材のやる気を削ぎ、高齢化農に進んでいった。今必要なのは脱農協ですが、単に脱では先がない。つまりいかに農業を稼げる魅力ある仕事にしていけるか、そういう現実的な課題に正面から向き合う必要がでてきています。
次回のシリーズはそこを受け継いで「稼ぐ農」を具体的に追求していきたいと思います。
投稿者 tano : 2022年03月10日 Tweet