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2022年01月06日

『農業と政治』シリーズ4:食文化支配という占領政策の下で衰退していく国内農業

戦後、GHQが提案した農業協同組合法(1947)に基づいて誕生した農協は、建前としては「農業者の自主的組織」として出発しましたが、実態としては占領軍と政府の利害調整の末に出来上がった組織であり、農家に対する「統制」組織としての役割を果たすために誕生した組織と言えます。

【果たされなかった真の農政改革】
戦後の農政改革は、本来であれば、江戸時代から引きずる日本農業の弱点(小農零細経営)を直視し、突破していく機会となり得たのではないか。
しかし歴史的事実は、旧体制と、中身なき民主化を押しつけようとするGHQの圧力に屈し、志ある政策の実現は果たされなかった。

こうして、次代を担う、求心力ある農業集団は不在のまま、日本の農業はアメリカ占領政策の下で自ら望んで衰退の道を辿っていく(、そう仕向けられる)ことになります。

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●余剰穀物処理が米国占領政策の柱
「食料自給率がなぜ下がったか」についてよく言われる「誤解」がある。「日本の農地と農業生産力は限られているのに、食生活の変化に伴う食糧需要が増大したため、対応しきれなくなった。原因は食生活の変化だから仕方ない」というもの。これは一面の事実だが、鎖国の江戸時代が当然ながら自給率100%だったことを想起すれば、大きな要因は政策だとわかる。

米国の要請で貿易自由化を進め、輸入に頼り、日本農業を弱体化させてしまう政策を採ったからである。しかも米国は日本人の食生活を米国農産物「依存症」に誘導・改変した。日本の戦後の食料難と米国の余剰穀物処理への対処として、早い段階で実質的に関税撤廃された大豆、トウモロコシ(飼料用)、小麦などの品目では、輸入急増と国内生産の減少が加速し、自給率の低下が進んだ。

このためには、コメの代わりに小麦を食べさせ、食肉消費も喚起して、飼料穀物需要を増やす必要があった。これを牽引した米国の戦略の一つが学校給食を「突破口」にした日本人の食生活「改善」だった。

 

●食生活「改善」の世論づくり
この世論づくりに、国内の学識者とメディアも加担する。

1958年に出版された、慶応大学医学部:林教授の著書「頭脳」の中には、「コメ食低能論」がまことしやかに述べられている。林氏は、日本人が欧米人に劣るのは、主食のコメが原因であるとして、
「…これはせめて子供の主食だけはパンにした方がよいということである。(中略)大人はもう、そういうことで育てられてしまったのであるから、あきらめよう。悪条件が重なっているのだから、運命とあきらめよう。しかし、せめて子供たちの将来だけは、私どもと違って、頭脳のよく働く、アメリカ人やソ連人と対等に話ができる子供に育ててやるのが本当である
と述べている。

同時期の朝日新聞のコラム「天声人語」にも、次のようなコメ食否定論が掲載されている。
「近年せっかくパンや麺類など粉食が普及しかけたのに、豊年の声につられて白米食に逆戻りするのでは、豊作も幸いとばかりは言えなくなる。年をとると米食に傾くものだが、親たちが自分の好みのままに次代の子供たちにまで米食のお付き合いをさせるのは良くない

 

●米国による「食文化支配」
こうした”まことしやかな理論”に一般国民が洗脳されていく中、国内各地で米国による強力な「洋食推進運動」が実施されることになる。日本人の食生活近代化というスローガンのもとに、「栄養改善普及運動」や「粉食奨励運動」が展開されたのである。

これらは、まさに欧米型食生活崇拝運動であり、和食排斥運動でもあった。キッチンカーという調理台付のバスが、20数台で分担し、全国の都市部のみならず農村部まで津々浦々を巡回して、パン食とフライパン料理などの試食会と講演会を繰り返した。これらの強烈なキャンペーンには、農家の人たちまでが洗脳されて、欧米型食生活崇拝の考え方に陥ってしまったのである。短い期間に伝統的な食文化を変化させてしまった民族というのは、世界史上でもほとんど例がないそうである。洗脳キャンペーンがあまりにも強烈だった。

そして、このころから、我が国ではコメ消費量の減少が始まり、コメの生産過剰から水田の生産調整へとつながっていくことになる。これはまた、我が国の農業、農政が凋落する始まりでもあった。また食料自給率の低迷が始まるのも、この時期と一致している。

<引用・参考>
・子供たちから始まる「占領政策」

投稿者 negi : 2022年01月06日 List   

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