2009年11月15日

2009年11月15日

【減反政策は歴史上最悪の政策2】

新しい「農」への途(1-9)―戦後農政の超克―
概要は、前回 の通りですが、もう少し中味に迫ってみます。
◆自ら「自給の道を断った」1961年の農業基本法の問題性
1961年農業基本法は、以下の左側のような目標を掲げて実践されました。
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しかし、実態は右側のようなことになった、といいいます。
「①生産品目の拡大」は、「果樹・畜産・酪農・各種野菜etc.」を目指したこと迄は分かるとしても、それが何故『地域専業路線』になるのか?、という問題です。
途上国に対する植民地政策においては、グローバリゼーションの名の下に(「適地適作」の正当性を根拠に)、「単一作物のプランテーション」を強要し商品作物生産一辺倒にさせることで自給作物生産を根こそぎにしてしまった、という歴史があります。(*参照→「飢餓と格差はなぜおこるのか?!」)
そのことで、プランテーション主は冨を得ましたが、自給の道を閉ざされ、わずかな収入も食糧の購入へと廻さざるを得なかった農業労働者は、以前以上に困窮を極めました。同様のことを強要したことに相当する『農政』は、自滅の道を選んだとしか言いようがないほどの『愚作』としか言いようがありません。

(さらに…)

投稿者 staff : 2009年11月15日