2008年12月27日
2008年12月27日
国家存続の基本条件としての「食糧確保」
以前に、当ブログでも紹介されました、NHKスペシャル「ライスショック」を改めて見ました。そのダイジェストをお送りします。
評論家 内橋克人氏
「外貨を日本のわずか10社~30社の第二次産業が稼いでいるという現実」を、農業の輸入自由化となえる人達に考えてもらいたい。
いつまでも外貨を稼いで貿易黒字を増やし続けるわけにはいかない。海外から食糧を買い求めるための外貨が不足してくるという事態があり得るか知れない。
その外貨でコメを安いところから買えばいいということを前提にしているが、いつまで続くかのはわからないので、とても大きな問題です。
内橋克人氏は、工業製品の輸出で外貨を稼ぎ、そのお金で海外から食糧を買えばいい、とするグローバリストに警鐘を鳴らす。それというのも、その稼ぎ頭の企業は、日本のなかでも僅か一握りの企業に過ぎず、一国の命運を継続性の不確かな産業に依存するのは危険だ、というのです。極々真っ当な感覚だと思いますし、その意見に同意できます。
「ただの大規模化は、工業的発想を農業に当てはめただけで、農業が持っている極めて多面的で幅の広く深さを持った農業文化さえ私たちは失っていくのです。農業こそは、代々親から子へ子から孫へと引き継がれていくことで、その場に生活と職業と食糧という二つの”しょく”を作っていくのが農村・村の大きな意味なのです。」
近代日本の農政は、農業の工業化・大規模化を推進してきました。しかし、そのどちらもが失敗だった言わざるを得ません。内橋克人氏は『農』の本質を、集団(農村)が持続する生活の場(村)として捉え、「しょく」(職と食)の実現をできることに意味がある、と見抜いているようです。
投稿者 staff : 2008年12月27日 Tweet