【日本の漁業はどこに向かうのか】シリーズ1~世界と日本の漁業を数字で見ると |
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2022年12月02日
映画「百姓の百の声」を観て③-1
11月20日大阪の十三の第七芸術劇場というミニシアターで100人少々を集めての映画「百姓の百の声」を見てきました。
今回の記事は上映後の座談会の様子を2投稿に分けてご紹介したいと思います。
登壇されたのは柴田昌平監督(写真右端)と3名の農家さん。
- 兵庫県西脇市の農家に嫁がれた近江田麗子さん
- 農文協の編集者から農家に転身れた伊藤雄大さん
- 京都府南丹市の農家である堀悦雄さん
3人に共通しているのは代々の農家ではない、ということ。どうして農家になったのか、その経緯をそれぞれが話して下さったので以下、順番に書いていこうと思います。
その前にまずは柴田昌平監督がこの映画を作ろうと思った経緯から。
監督は現在59歳で、農業とはずっと縁の無い暮らしをしていたが、最初に「農」と出会ったのは20歳の頃で大学3回時に文化人類学を専攻していたが、山梨県の標高1000mぐらいの村に2週間調査に行く機会があり、学校からは親族調査をやれ、系図を作れと言われたが、どうしても気が引けて、毎日毎日おじいちゃんおばあちゃん達とゲートボールをして過ごした。すると孫のように可愛がってもらえて、村の子どものように扱ってらえた。
大学のレポートは書ける状態ではなかったので大学はそのまま休んで1年間農業を手伝いながらおじいちゃんおばあちゃん達の人生の物語を聴いた、と。
大学卒業後映像の仕事を始めたが、農業、百姓の暮らしを知りたいなと思っていた。点を面にしたいな、と。やりたい、やりたいと言ってても口だけになるので、4年前、55歳の時にようやく重い腰をあげた。
一番困ったのは農家の誰を尋ねたらよいかわからない。
その時、雑誌「現代農業」を発行している農山漁村文化協会(農文協)にこういう取材をしたいと相談しにいった。
すると「農家は誰を尋ねても物語があるし、その人その人ならではのやり方があるし、知恵がある。」「誰かを特別紹介できない」とも言われた。
結局、農文協の編集の人達に片っ端らくっついて行った。上から目線でなく、一人ひとり尋ねながら考えるということをしながら作った映画だと。
次回のブログで写真掲載の登壇者の内3名の農家さん(左端から、伊藤雄大さん、近江田麗子さん、堀悦雄さん)がそれぞれ就農された経緯や日々奮闘されていらっしゃること、想いなどを順番にご紹介していきたいと思います。
投稿者 nisida-s : 2022年12月02日 TweetList
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