映画「百姓の百の声」を観て③-1 |
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2022年12月02日
映画「百姓の百の声」を観て③-2
それでは前回ご紹介した、映画「百姓の百の声」上映後の座談会の登壇者の声を実際にご紹介させて頂きますので皆さんお楽しみ下さい。
近江田麗子さん「毎日が百科事典」
鶴橋で生まれ西脇市の農家に嫁がれ、山田錦というお酒のお米と、「ひのひかり」「こしひかり」 で、とてつもなく驚く量のサツマイモを作っておられる。
「とにかく村に溶け込むのが大変だった」と当時を思い出しながらしみじみと呟かれた。
女性村社会はなかなかの閉鎖空間だったので切り込んでいくのが必至だったそう。
わからないことは申し訳ないけれども教えてもらう。ひたすら付いて行った。
でも、新しいことだらけでお勉強することが物凄く楽しかった。
例えば、土を触ったことがない、苗を作ったことがない、泥田の中から足を抜く方法がわからなかった、見たことのない動植物、生物、全て見たことがなかったので、毎日が百科事典だった。一番教えてくれたのは嫁ぎ先のおじいちゃんだったそう。
朝出ていく時から夜帰って来るまでずっと付いて回った。
夜中水門開ける際に電気を付けたら他所の人に気付いて水門を閉じられちゃうから電気を消せ!となる。とにかく全部を知らないことには自分が役に立てるところは何なのかがわからなかったので、それがどこかを知りたかった。
伊藤雄大さん「日本全体で農業をやってみたいという空気が盛り上がっている」
「現代農業」という農業雑誌の出版・編集を行っている農山漁業文化協会(農文協)の編集者だったが、今は植木屋をやりながら能勢町で里山義塾という農業塾を3年前からやり始めた。
1年365日とは言わず、360日は農家さんのことばかり考えていた。
農文協にいたので村というものを分かっていた。引っ越してすぐに消防団に入った。
能勢は栗で有名だったが、その栗山の木々がどんどん荒れていってるのでその山をなんとか復活させようという話になった。でも誰が?という話になったが、今までアプローチされてなかった担い手の人がいると思いました。どういう人かと言うと、季節によって仕事が変わるライターや植木屋っていうのは時間に調整がきくし、自営業の人に兼業でいいからもっともっと農業をやってもらいたいということをアピールし、試しにやってもらったが大盛況で20人枠に60人の応募があった。大阪だけじゃなく日本全体で農業をやってみたいという空気が盛り上がっているのを感じたそう。
それに対し、柴田監督が「かつて群馬県沼田市のこんにゃく農家さんから聞いた話で、そこでは百姓という言葉がどちらかと言うと蔑まれていて、子どもたちの中には農家の子であることを隠しながら学校に通っている子どもが結構多い、と。百姓に対するリスペクトが物凄く感じられない時代だと感じた、ということを思い出したが、逆に能勢では何故農業に対する熱い関心が高まっているんだと思いますか?」と質問を投げかけられた。
まずは都市(大阪)に近いということが大きい。
自然自体がある程度人の手をかけないと維持できない。今は深刻な担い手不足。
観光という意味でも農業は基礎の部分でもある。兼業農家は僕でもできるので皆さんやりましょう、と吹聴している、と。
堀悦雄さん「種は財産、百姓の命、食べる人みんなの命」
京都府南丹市の農家さん。父親は丹波の山奥の破れ寺の住職。
19歳で家を出て、母と姉と北海道に渡り牛飼いになったがオイルショックで生体価格が暴落した為に破産。
腹を括るまで時間がかかった。
土の中に住んでいる虫や微生物
みんなが響き合うことで結果が出てくる面白さがつい最近わかった。
よそから入ってきた流れ者で、村にはなかなか馴染めなかった。
移り住んで最初の頃、村人でこちらから挨拶して返してくれる人は2人しかいなかった。
やっているうちに少しずつ挨拶してくれる人も増えてきて今に至る。
田んぼに肥料を入れない、種の取り方も独特。
最初の7,8年は有機に取り組んだ。胚芽米を入れてみたりとか。でもやってて違うなと思ったし、楽したいし手抜き手抜きで餌をやらない、肥料っ気は一切やらないという方法に変えた。
田植え機で稲を植え、その後は水管理しかしない。何も助けないでお前ら頑張れよー、としか言わない(笑)
1反(=300坪=1000㎡)で30kg取れない。450~500kg、上手な人で600kg取れるっていう面積で20~25kgしか取れないという状態で「今年もこんなんやった・・」という状態を10年ぐらい続けた。
稲が勝つようになってきた。勝つって言っても反収で200kgぐらいだったが、なんと今年は一番良かったところで反で400kg取れた。
15年以上自家種取りをする。こしひかり8割、残りの2割を混植栽培って言ってるが、自家種を取るところも一番良いところで取るのではなく、中の下の出来のところで種を取る。中の下のところで育った稲というのは雑草と必死になって戦ってきた戦士。その戦ってきたやつの種を取るからその米の種の中に「俺たちは草と戦わないといけないんだ。やられてたまるか!」というガッツが芽生えてきたんではないか?そういう風なことを考える。
種は財産、私の命。で、百姓の命、よくよく考えてみると、種というのは食べる人みんなの命。だから食べる人がいい加減な事で囲い込みなんてしてはいけないという声を上げてほしい。
それをいくら百姓が声を上げたところで押し切られるけれども、日本人一人残らずみな食べる人なんで、声を上げてくれたら流れが変わるかもしれません。
【3名の農家さんの実体験を聞けて感じたこと】
皆さんに共通しているのは腹を括っているということ。
野菜を育てる、米を育てるとかそれ以前に土を育てようとしているということが本当にコアだな、と。作物の品質を変えず、農薬を使わず、土壌改良をしよう、という意気込みが凄い。種は命だから、その種がしっかり強いものになるよう、その種が生きていく土を良いものにしよう、と。小手先の技術ではなく手間暇かけて、10年単位で根気よく対象と向き合っている。でもその姿勢を支える背景にあるのは「美味しいものを作っていれば大丈夫」という強い信念や東日本大震災で失われた食の安全に関する様々な問題を解決したいという想いであったり、そこから再起する為、農業に人生を賭けてみようという強力な想いだったりする。伊藤さんが「先祖になる」という映画で自分の人生が変わったと仰っておられたが、津波ですべてを流された人間が「自分がこの土地の先祖になるんだ」と何も無いところから家を建てたり、田畑を開墾していき、風景を自分で作っていくことができるという醍醐味が農業にはあるということを話されているのを聞き、農家というのは起業家であり、開拓者でもあるということを強く思えたことが新しい発見でした。
最後に私たち生活者は「種は食べる人みんなの命」であるということを胸に農家さんの立場に立って日々の食卓に並べる食材を選択すべきであると強く感じました。
投稿者 nisida-s : 2022年12月02日 TweetList
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