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2022年10月07日

24節気シリーズ4~日本人は「月」に何を見ていたか?

前回の記事では、暦について扱いました。月・地球・太陽の動きと一体となることそのものを「つきよみ」→「暦(こよみ)」とし、二十四節気も宇宙や大自然と同期、調和していくためのツールとして取り入れたのではないかと考えられます。

日本では、明治時代になって太陽暦が広く使われるようになるまで、新月から満月を経て新月まで(29.53日)を1ヶ月とする太陰暦が用いられていました。

古来の日本人は「月」に何を見ていたのか。今回は、そこから日本人が見ていた世界観・自然観に同化してみたいと思います。

 

■月の満ち欠けと人々の生活

沖縄や奄美大島など、漁業が盛んな地域では、潮の満ち引きに密接に関わる「月の満ち欠け」をもとにした旧暦が現代の生活にも根付いています。江戸時代まではどの地域でも、太陽太陰暦=旧暦が用いられていました。

 

そもそも「月」と「潮の満ち引き」にはどのような関係があるのでしょうか?

満潮・干潮という言葉を耳にしたことがあると思いますが、「月の引力」と「地球の自転で生じる遠心力」によって起こる現象です。

月の満ち欠けのリズムは、私たち人間の体にも様々な影響を与えていますね。例えば、女性の月経周期や出産など。

人体は60~70%が水分でできており、これは海が地球の面積の約70%を占めているのと同じで、人体と水分の関係は、地球と海のような関係とも言えるのではないでしょうか。

 

 

■「月待ち」に見る日本人の自然観

中秋の名月にお月見をしたり、夜道の帰りに月を見上げたり、月は現在でも私たちにとって憧れや祈りの対象となっています。(海外ではわざわざ月を見る習慣はないんだとか。)

画像はこちらからお借りしました。

昔の日本人は月をどのように捉えていたのか、それがよく分かる「月待ち」について紹介したいと思います。引用元:https://www.fujingaho.jp/culture/traditional/a57661/moon-171004/

「『月待ち』とは、特定の日に特定の形の月が現れるのを待つ風習です。1872(明治5)年の改暦で西暦が採用されるまで、日本人は月の満ち欠けをベースにした太陰太陽暦に基づいて生活していました。『十五夜』や『十三夜』の月が尊ばれるのは現在でも同様ですが、そのほかにも『三日月』や『二十三夜』、『二十六夜』など、特定の日の月が信仰の対象にされていました。昔の人は現代人とは比べものにならないくらい、月の形に敏感だったんです。」

(中略)

月と日本人の関係を考えるとき、重要なポイントが3つあると志賀さんはいいます。「まずは光。照明のなかった昔は、夜間の活動を可能にしてくれる月光がとても重要でした。たとえば赤穂浪士の討ち入りは太陰太陽暦の『十二月十四日』ですが、十四日の月は満月も近く、朝方まで出ている明るい月。その光は夜討ちの助けになったはずです。次に、月を見ると誰かを思い出したり、何かを願う気持ちになるという意味で、月はメディアでした。『万葉集』の時代から、月を詠んだ歌がたくさんあることがそれを示しています。そして、満ちて欠ける月は、生と死の象徴であり、再生のシンボルでした。現代の日本でも重要な祭祀の儀式は、夜を徹して行われるでしょう? 月は特別な存在であり、本来夜は神聖な時間なのです」

 

 

冒頭に書いた通り、月の満ち欠けと人の体はリンクしています。

「月待ち」という行事からも分かるように、古来から日本人は「月」を見て自然界の大きな流れ・動きを感じ、そのエネルギーと一体になることで、調和しながら生きてきたのではないでしょうか。

そう考えると、「人間は自然の一部であり、人間の体の中にも自然界と同じ構造がある」と捉えていたようにも思います。

 

今回の記事では、日本人が「月」に何を見ていたかに同化してきましたが、日本人と暦にはもっと深い関係がありそうです。次回は月と密接に関わる太陰暦について、追求していきたいと思います。

 

 

<参考>

二十四節気に合わせ心と体を美しく整える・村上百代

旧暦に見る2014始まりの新月
https://juttoku.jp/blog/2014/incense-life/0331_1149

 

投稿者 k-haruka : 2022年10月07日 List   

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