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2022年11月26日

「主食って何?栽培の歴史から食を見る」プロローグ

私たちは、ほぼ毎日パンか米を自然に食べています。主食とおかずというのは今や常識であり、当然の食事メニューで疑ったこともない事ですが、それでも人類史の中で米やパンを誰もが食べられるようになったのはほんのこの数百年、せいぜい千年くらいの歴史しか無くその殆どは米にもパンにもありつけなかった歴史があり、最初は動物の食べ残した死肉や骨、そのうち植物の根っ子や蔓、虫、ようやく芋や栗、野菜や魚・・・と主食、副食、区別なく食べられるものを何とか食べる空腹の長い時代があったのです。

日本の食事:米食が4割強、パン食18%、麺類14%―農林水産省の食生活調査 | nippon.comからお借りしました。

今回はその当然を疑うところからスタートしていきます。まず主食って何?というところから、米や麦がどういう必要や必然から人類史に登場したのかを押さえます。

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麦は9000年前にレバント地方から、米は7000年前に長江流域から自然植生を観察する中から栽培へと移行してきました。レバント地方は農業の始まりの地とも言われていますが、急激な乾燥と人口圧で止むをえず農業が始まったとされていますが、そこも一旦疑ってみます。また主食となった米や麦はその後、国家の誕生と歩を合わせて管理され帝国・国家の政争の具にされてきた歴史が長くあります。しかし、保存が効き、栄養価もあり、食感もある麦や米は長く大衆が求めてきた食材でもありました。

その上でそもそも栽培の歴史はいつから始まったのか。人間のどういう観察から生まれたのかを探っていきます。今でも農業に従事するお百姓さんは農業は観察が全てだとも言います。百姓力とはその観察眼を磨き上げることとも言います。人類が最初に始めた栽培から現在の高度化された農業に至るまでその観察の歴史は続いています。

栽培は洞窟から出て地上へ進出した漁労・採集・狩猟民のうち採集民族が発見したと思われます。なぜ、いつというのは明確ではありませんが、定住する民と移動する民この2つに分かれた時に「定住」を始めた民からスタートしたのではないでしょうか?

日本でも縄文時代は栽培は始めていましたが、農業は弥生に入るまで決して進んでしませんでした。縄文人から見て、栽培が自然の摂理の則の中とすれば農業は自然の摂理を逸脱していたのかもしれません。

栽培から農業に至る過程、栽培と農業は何が違うのか、何が繋がっているのかを追求します。一旦、米と小麦を中心に栽培から農業まで歴史を追いますが、その間に芋やとうもろこし、主食とそれ以外という形で食と栽培を見ていきます。

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最初は以下のようにテーマ設定をしてみようと思います。(途中で多少変更はあります)

1)主食は国家の誕生と共に作られた?
主食っていう概念はいつから登場したのか、それは庶民がもとめたのだろうか?

2)栽培の原点はどこにあるか?
歴史を遡って、栽培とは何か、また栽培は人類のどのような叡智から登場したか

3)世界の栽培の始まりとは。米と小麦の発見は何がきっかけか
農業と栽培の違いは?それを米と小麦の発見から探る

4)主食の歴史(小麦編)
今では誰でも手に入るパンやパスタ。
しかし小麦の歴史は戦争の歴史でもあった。パンを巡る戦争の歴史も追いかけておきたい

5)主食の歴史(米編)
米と小麦はその発生から拡大まで大いに異なっているのではないか?主食米の歴史を見ていくことで、アジアの農業の歴史を追いかけたい

6)主食の歴史(小麦、米以外)
芋、とうもろこしを主食にした地域も世界に広くある。米、麦と何が異なるか?

7)日本人の食の歴史を探る
日本の食の多様化、米食の歴史を追いかけ、庶民と米の関係を見ていく

↓参考記事

[農の歴史]第1回 人類はいつ、なぜ農耕を始めたのか
【農の歴史】第5回 縄文人は農耕をなかなか受け入れなかった?

農業革命は史上最大の詐欺だった!? 小麦によって家畜化されたサピエンスの真実
古代、小麦の栽培家畜の飼育に時間が掛かった1つの理由

農業起源の考古学―農耕牧畜はどのように始まり、世界に広まっていったか? | 門脇誠二研究室 | 名古屋大学大学院 環境学研究科 地球惑星科学系 地球史学講座(博物館) (nagoya-u.ac.jp)

投稿者 tano : 2022年11月26日 List   

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