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2010年01月19日

五島列島「大丈夫村!田園ミュージアム構想」

こんにちは、こまつです。
「『新しい農のかたち』の実現に向けた政策提言」、続々と出てきましたね。今回は、少し視点を変えて、農村の活性化に関連する事例を紹介したいと思います。
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るいネットにも紹介されました、長崎県五島列島の半泊村は、「65歳以上人口50%以上」の限界集落で、5世帯9人が暮らしているだけという小さな村です。しかし、たった500m四方ほどの集落に、山・川・田畑そして海までもある半泊村は都会人にとって、とても魅力ある里山で、濱口孝さんもその魅力に取り付かれ、ここに定住することに決めたそうです。
しかし限界集落の現実を目の当たりにするにつけ、何とか元気にする方法はないだろうか?と、島のUIターン者で「新現役の会&農援隊」を立ち上げ、村の再生・活性化に本格的に取り組むようになりました。そして、地元の廃校を拠点に「大丈夫村!」を設立しました。都会生活者のために農的暮らしや自然の素晴らしさを提供したり、逆に移入者の力を借りて、環境を含めた持続可能な村づくりを実現することが目標です。
参照 五島列島ファンクラブ
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以下、「大丈夫村!」のコンセプトです。

(1) 限界集落の定義「65歳以上人口50%以上」という「年齢の壁」に挑戦!
(2) 「人口増加が地域の発展に繋がる」という過去のパラダイムを超える!
(3) 観光産業でも、観光政策でもない持続可能な村づくりは、どのようなものか?第3の道を模索する!

なかなかインパクトのあるキーワードが並んでいると思いませんか?
これをもとに、課題設定と実践方針が提示されていました。

5世帯9人の半泊集落における最大の課題は「交流人口の増大策」である。200年モノの里山景観を、今後も、たったの9人だけで守ることは至難の業。荒れる一方の流れに歯止めをかけるべく「町から村へ」の導線のみならず「都会からこの集落への交流人口」の増大策を企画・検証・確立することが何よりも急務である。
幸いなことにこの村には「地の利」があり、コンクリートジャングルに暮らす都会の人々にとっての「癒しの里山空間」に豹変する可能性があるばかりではなく、環境意識を高めたり、環境活動への参加意欲を満足させたいと思っている人にとって魅力的な「学習キャンパス」となる可能性がある。
廃校を魅力溢れる環境学習キャンパスとして再生し、森→川→田畑→海の流域共同管理体験をセミナー化し、環境貢献ボランティアを育成することにより「持続的かつ確固たる導線」を確立する。これを再生モデルの最大の鍵として実現し、順次、諸施策=森(山に点在する放置林)の復活、田畑(耕作放棄地)の復活、川(沢の水路の清掃と石垣の修復)の修景、海(磯やけ現象)の再生、途絶えた伝統文化(地引き網漁)の復活・継承、適正な集落規模の維持=など、諸課題解決のための仕組みづくりを確立する。

「新現役の会&農援隊」の設立の経緯を見ると、長崎県や五島市の協力はもちろん、内閣府に地域再生計画の認定申請を提出するなど、地域や国にもしっかり働きかけて取り組んでいる様子が伺えます。
CANPAN
「首相官邸」HP
このように見てくると、地域の活性化に必要なものは、

その眠っている資源を発掘し、つなぎ合わせることのできる人物であり、それは農村に慣れ親しんだ人ではなく、外から来た都会の人々であり、見るべきポイント(心臓部)をおさえた素人

なのだと気付かされます。
「るいネット」より)
さらに、地元住民はもちろんですが、市や県、さらに国レベルで、まさに社会全体の問題として取り組んでいく必要があると思いました。「大丈夫村!」はまだまだ立ち上げたばかりの活動ですが、今後も注目していきたいです。
最後にるいネットの記事を紹介しておきます。
「限界集落を学びの場として再生する―五島列島『大丈夫村田園ミュージアム構想』」

限界集落「半泊」を田園ミュージアムとして再生するとともに、地域再生の学びの場を作る。
かつては遣唐使の最終中継地であり、そして隠れキリシタンが移住した土地でもある、長崎県五島列島で限界集落再生・新しい学びの場を作る動きが始まっています。
それが今回紹介する、五島列島「半泊」集落の「大丈夫村」の田園ミュージアム構想です。
現在五島列島は島外への人口流出が止まらず、また続々と限界集落化しているという、典型的な日本の中山間地域・離島が抱える問題に歯止めがかかっていません。
しかし一方で、東シナ海の美しい海、火山大地の緩やかな稜線、そして隠れキリシタンの教会が今でもなお50も存在し、かつ生活の場として利用されているという、自然・文化的な資源に恵まれた土地でもあります。
その五島列島の限界集落の一つである、「半泊」地域で、エコビレッジ「大丈夫村」を立ち上げ、里山再生の学びの場としての田園ミュージアムとしての再生・活性化を図ろうとしている動きがあります。
「半泊」地域は、五島の人でさえ名前は知っているが行ったことはないような場所で、現在は5世帯9人が暮らしているという限界集落です。しかし、この地区の大きな特長は周囲500m四方の狭い範囲に海、川、山、平野が存在し、上流から下流までの流域共同管理という地域の連携の根幹部分が直接理解しやすいことがあります。このことにより、地域の再生の学びの場としての活用が行われようとしています。

■流域共同管理(里山再生)は難しいものではなく、暮らしそのものが保全につながっている。
その大丈夫村再生の中心核である半泊分校に滞在し、流域共同管理と地域再生のプログラムを実際に学んできました。
□外部の素人だからこそ価値を発掘できる。
この事業の中心者である濱口氏は、東京育ちで、150を超える地域を見てきて、終の棲家として五島を選んだIターン者です。本人曰く、農業は素人とのことですが、逆に素人だからこそ先入観にとらわれず、地域再生のための心臓部を発見し、それを教育プログラム化することができるそうです。
例えば、流域共同管理の心臓部の一つは「川の保全」であるということに気づいたのも、実際にそこで生活していくことで発見したことです。
濱口氏が移住する以前は、川はススキで覆われ、光がまったく入らない状態でした。それが、地元住民には普通のことになっていたのですが、それに気づいてススキを刈ったところ、光が入るようになったことで好気性細菌が増え、その川の水が海に流入することで、藻類が現れるようになるなど、環境の改善が目に見えて分かったそうです。
川を保全することは海を保全することにもつながり、またそれで生活が潤う。流域で共同生活をする上での中心になるというのはそういうことですが、保全の効果が短期間で目に見えて改善が見えるのも、流域が非常に狭いことによるメリットです。
□人的・文化的資源を発掘する。
また、目に見えて分かる流域共同管理の効果は、地域に眠る人的・文化的資源の発掘にもつながっています。この地域の居住者は、高齢化が進んでいるものの、漁師も農家も未だ現役で働いており、まさにプロの人たちの技術があります。その人たちの暮らしぶりそのものが流域を保全する活動につながっていますが、始めのうちは新しい居住者に協力的とはいえませんでした。
しかし、外部の人の保全活動の効果が目に見えて分かってきたことや、ネット販売網の構築などで、自分たちの作物などが地域を越えて販売できることが分かるようになってくると、徐々に協力の姿勢を見せるようになり、地域全体が活性化されてきました。
こういった地域の連携が徐々に強化されていくことで、文化的な学びの場としての可能性も現れてきています。
このように、長年人が暮らしてきた里山には自然環境的にも文化的にも資源が残っており、里山を再生するということはゼロから新しい社会をつくることよりははるかに簡単なことであり、「里山を守ることをすごいこと、えらいことにしてはいけない」ことを理解することが大切だということが分かります。
必要なものは、その眠っている資源を発掘し、つなぎ合わせることのできる人物であり、それは農村に慣れ親しんだ人ではなく、外から来た都会の人々であり、見るべきポイント(心臓部)をおさえた素人こそが必要だということがよく分かりました。
そういった里山保全を担える人物を育成できる場所としてこの半泊地域は「小さい」というスケールメリットと、地元の人々の協力をうまく活用して、流域共同管理の学びの場として大きく活躍できる力があるといえます。

■半泊地区を皮切りに各地に存在する限界集落を新たな共同体として再生していく。
濱口氏はこの半泊地区を大丈夫村として再生することは、他の五島列島の限界集落や、日本各地の限界集落再生に向けて大きな足がかりになるといっています。
□目指すところは、現代版「若衆宿」としてのネットワークの形成
大丈夫村は、小さいというスケールメリットを使うことで、限界集落を再生する着眼点を知る素人を育成することができる学びの場です。
そこで学んだ人々が、今度は五島の再生可能性のある他の集落の共同体をまた復活させる。そうやって徐々に学びの場が増え、ネットワークが増えていく。それぞれの地域は、規模や環境などが異なっているので、それぞれ学べることが異なって多様化していく。
そういった在野の学びの場が多様に点在することで、そこを渡り鳥のように行き来する若者をはじめとする新しい生き方を探索する人々の交流の場が生まれ、そこにいわば現代版の「若衆宿」が構築されていくことが、大きなところでの狙いとのことです。
この「若衆宿」ネットワークが出来れば、「生涯現役・里山市民」という新しい社会的職業、里山・里海の地域再生事業という新しい「公共圏事業」、そして農業人口激減化を補う「都市生活者も田園をつくる時代」の創造に繋がっていくはず!・・・と、濱口氏は熱く語っていました。
大丈夫村の活動はまだ始まったばかりの小さなものですが、五島市、長崎県をはじめ内閣府、農林水産省、国土交通省といった行政組織にも具体的な協力を得ながら、都市生活者が田園を造るインフラ作り、そして集落再生事業が職業として実現できる社会制度作りに向けて、一歩一歩着実に進んでいるという、新しい社会を築く力が確かに存在することを、強く感じました。

投稿者 komayu : 2010年01月19日 List   

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コメント

投稿者 アイウェア : 2013年11月4日 13:10

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