【「食べる」と「健康」その本質に迫る】その4~海綿動物の摂食様式 |
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2023年02月04日
「主食って何?栽培の歴史から主食を見る」第5回~米はどうして主食になったのか?
こんばんは☆
普段私たち日本人が当たり前に食べている、”お米”。
主食たりえた理由がそこにあったのではないか。
今日は、改めてそこを追求してみたいと思います♪
気候に適していたから♪
米の栽培は13000年前から始まっていますが、わが国日本で稲作が開始されたのは縄文晩期、本格的には弥生時代からになります。
現在世界で作られているお米は大きく3種類あります。ジャポニカ米、インディカ米、ジャバニカ米。生産量ではインディカ米が8割を占めます。
左からジャバニカ米、ジャポニカ米、インディカ米
日本ではみなさんご存知のようにジャポニカ米が栽培されてきたのですが、それは日本の気候に適していたということと、前回の記事でも触れたようにモチ性が高く、炊くと粘りとツヤが出て、より日本人好みだったことが理由と考えられています。ジャポニカ米の起源は中国の「福建米(ふっけんまい)」だったと考えられおり、中国の「長江」の中〜下流域で栽培されていたものが、縄文時代後期(約3000年前)に日本に持ち込まれたと言われています。
収穫量の高さ
1ヘクタール当たりの収量
米 5トン
小麦 4トン
豆類 7トン
じゃがいも 3トン
米は(麦もでしょうか)収穫してからも脱穀やら精米やらと、とても手がかかるイメージがありますが、面積当たりの収量が多いのです。より多くの人を食わせることができる作物ということでしょうか。
また、第1回でも追求しましたように、収穫量が為政者からみて把握しやすかったこと(税のひとつ=年貢米)、保存・貯蓄できたことなどから、政治的作物=国家の基礎となる作物となっていきます。
このようにして、実は庶民はあまり口にする機会が少なかった(雑穀と混ぜて食していた)時代からも、ず~っと米は栽培され続けられたのです。この“栽培され続ける“というのは、主食に欠かせない条件です。
やっぱり、質!
しかし、栽培され続けた理由は、それだけでしょうか。
江戸時代には以下のような記述がみられます。
江戸時代の幕藩体制時、年貢米は米俵一俵ずつ丹念に検閲していました。
米が乾燥不足だと保存時に腐ってしまうため、2、3粒を噛み砕き乾燥状態を確認したり、米俵から一握り米を掴み、籾殻、砕けた米、くず米などの割合を何人もの検査官が目視で確認したりしていました。
かなりの品質が問われたようです。
上記の記述では、形や量が適正かどうかを検査されたようですが、当然に“おいしさ”も問われたのではないでしょうか?
なぜなら、もともと栽培が贈り物から始まったとすれば、身分制が登場して贈り先が支配者に変わっただけで、貢物(=贈り物)であったことに変わりはなく、より相手に喜んでもらえるものを作ろう、納めようとしたのだと思います。つまり、米の栽培(+その技術追求)はみんなの追求対象になっていたのではないでしょうか。
それは現代でも受け継がれており、おいしい米作りに対しては品種改良をはじめとして、あくなき追求が続けられていますし、品評会や細かい食味値設定などが多くあります。
人々の追求を受け止める懐の深さ!
<お米から作られるもの>
お酒、お酢
おせんべい、おかき、あられ、ポン菓子
お団子、餅
ビーフン、フォー
こめ油、米粉パン etc
餅、お酒といった古代から最近の米粉パンにいたるまで、飲み物からお菓子まで、幅広い加工品のラインナップです。ここからも米はいろいろな食べ方に適応できた(加工できた)ことが分かります。
また、食べ合わせの豊かさにおいても、お米に勝るものはないのではないでしょうか。
「おかず」「鮨」に見られるように、米だけで食事が完結することは少なく(もちろん白米だけでも美味しくいただけますが)、米は基本”他の何かと一緒に食べる”という型があります。
だから、それこそおかずの数だけ組み合わせがありますし(丼物の種類の多さといったら!)、何とでも合う!
この懐の大きさ。
それこそが、米が主食たるえるゆえんなのだと思います!!
<参考サイト>
日本でお米が主食になったのはなぜ?
なぜ主食はイネ科か?
昔からお米は検査を受けています
投稿者 tanimitu : 2023年02月04日 TweetList
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