2023年2月9日

2023年02月09日

自然を通じた成長シリーズ④~生物は、どのように外部認識力を高めてきたか?~

本シリーズでは、自然や農を通じた体験が、人の心身の成長にどのような効果をもたらすのかを追求してきました。これまでは、世の中での事例や、当ブログを運営する類設計室の日々の活動をもとに、具体的な成長の様子についてみてきました。

特に、子どもたちの成長では、夜中に何も見えない状態でも、自然の気配をキャッチして手探りで正確に歩くことができる。あるいは、簡単には難しい斜面・がけ地も、すぐに肌感覚で環境を読み解き、悠々と上り下りできる。あるいは、土や自然にあるものを使って、何か発想が生まれ、ゼロから創作することができる。

自然を通じて、身体で感じて・考え・生み出す。そのような成長ぶりが見えてきました。

 

画像は、こちらこちらからお借りしました。

そして、ここからは自然の摂理・生命原理に肉薄して追求していきたいと思います。特に、自然が人(生物)に対してどのような影響(効果)を与えているのか、その根源について考えていきます。

(さらに…)

投稿者 hasi-hir : 2023年02月09日  

2023年02月09日

「主食って何?栽培の歴史から主食を見る」第6回~世界生産量2位の小麦はどうして主食になった?~

世界の主食は年間生産量の多い順に、トウモロコシ(10.3億トン)、小麦(7.4億トン)、米(4.8億トン)、ジャガイモ(3.8億トン)。このほかにもキャッサバ、大豆、サツマイモなどがあります。

https://www.maff.go.jp/j/heya/kodomo_sodan/0112/05.html

 

今回は年間生産量が2位で、世界の広い地域で食べられている小麦の歴史を追いかけてみます。

https://www.seifun.or.jp/pages/92/ より引用しました!

 

★野生の麦から栽培へ

1万年ほど前の西アジア、イラクあたりの山岳地帯の草原には、野生の小麦や大麦が他の雑草に混ざって生えていました。乾燥した暑い夏の終わり頃には、それらに実がつき、周辺の原始人たちは、それらの実が地面に落ちる前に茎からていねいに採るか、地面に落ちたのを一粒ずつ拾い集め、野生の果物、木の実、種子、草などとともに食べていたと考えられます。

 

雑草の中では、大麦と小麦が比較的多く生えていて、

①他の種子などに比べて粒が少し大きめで、集めやすかった

②脂肪が多く含まれる野生の種子などと異なり、でんぷんが多くてたくさん食べてもおなかに安心だった

③また、野生の植物には有毒なものが多い中で大麦や小麦は全く無毒だったことなども、大麦と小麦を人類が選んだ理由といえるでしょう。

そして、④大麦と小麦が比較的栽培しやすかったことも、原始人たちにとっては幸せなことでした。

 

1万〜8,500年前の先土器新石器時代には、野生と栽培した麦の両方を、しかも小麦と大麦の区別なく、豆や雑穀と混ざったままで石と石の間に挟んで粗く砕き、焼いて食べていたようです。

「麦の食文化」の始まりでした。

 

★大麦のおかゆから小麦のパンへ

土器が使われ始めた紀元前6,500年ころには、小麦よりも大麦の方が好まれて栽培されるようになりました。

その理由としては、西アジアのような乾燥してあまり肥沃でない土地での栽培には大麦の方が向いており、収量が多かったことと、小麦より収穫が1〜2週間早いので、雨が降る前に食糧を確保できたことが考えられます。

 

この時代には、小麦は山岳地帯から平野に広がり、メソポタミア平原から地中海沿岸、エジプトにまで達しました。

大麦は臼で粗挽きし、土器で煮て「おかゆ」のように食べられました。小麦のおかゆはボタボタの感じになりますが(グルテンが固まるため)、大麦はさらっと美味しいおかゆになりました。

画像はhttps://www.seifun.or.jp/pages/92/ よりお借りしました。

中国でも先秦時代までは、主に大麦のおかゆが食べられていました。漢の時代には、「麥」と言う言葉は、大麦と小麦に使い分けられるようになりました。穂や粒の大きさではなく、偉い人を「大人」と呼んだように、主要なものを「大」、従属的なものを「小」と区別したと言われています。当時の中国でも大麦は小麦よりも大事にされていたことが分かります。

 

紀元前3,000年頃の古代エジプト時代に、〔図1〕「サドルカーン」と呼ばれる粉挽き専用の平らで大きな石がつくられました。「サドル」は鞍、「カーン」は石臼を指し、このサドルカーンの上に人がひざをついて座り、全体の3分の2くらいのところに小麦粒をのせて、細長い棒状の別の石を両手で握って体重をかけながら前後運動を繰り返すと、座ったところの手前の方が少し髙いので、小麦に圧力を加えやすく、すりつぶすと手前にすり残しが、向こうに挽いた粉がたまる仕組みです。

小麦粒に少し水を加えて湿り気を持たせてから、サドルカーンですりつぶすと、外皮は比較的粗いまま取れ、内部は細かい粉になります。ふるい分けや風選によって、外皮を大まかに分けていたと思われます。また、この時代には、木の幹でつくった乳鉢と木製の乳棒を用いて粉を挽くことも行われてました。

こうして、小麦の外皮を取り除いた粉ができるようになり、この小麦の粉に水を加えて捏ねると 弾力と粘りのある塊になり、オーブンで焼くと、比較的軟らかくて、おいしいものができました。大麦の粉で焼いたものは硬く、小麦を使うのとは大違いでした。(引用ここまで)

大麦の歴史を見てみると、水が少なく乾燥した地域でも育ち、安定して収穫できることが、最低限生きるために必要な食糧確保につながったと考えられます。

小麦は大麦よりも食味が良いということから、どのようにすれば美味しく食べられるのか?が追求されてきたと思います。

現代ではパン、パスタ、ピザ、ナン、うどんなど様々なものに加工されて食べられていますが、他の食材とも合わせやすい点が世界中に広まった要因と考えられるのではないでしょうか。

主食はどうして主食となったのか?

麦は気候条件が厳しくても一定量の収量を確保することができ、他の食材と合わせることでより美味しい味を生み出すことができる可能性が人々を魅了してきたのかもしれません。

投稿者 kitaguti : 2023年02月09日