| メイン |

2012年06月05日

農から始まる地域の再生~新しい生産集合体をどうつくるか?③ 農村共同体解体の背後には農協の存在が大きく関わっている!!

前回の記事で扱ったように戦後の農地解放によって小作農化した農村。
その農村が本来持っていた「共同体組織」。今やそれは風前の灯火 どころか崩壊の一途を辿っています。今回は農地解放した農村に最も影響力を持っていたのはズバリ農協だったいうことを明らかにしていこうと思います
%E8%BE%B2%E5%8D%94.jpg
続きを読む前に、皆様ポチッとお願いします

にほんブログ村 ライフスタイルブログへ


◇農協は農民が作った組織でないがために弱くて脆い!! 
  
  今や農協の規模・収益とも大手一流企業並み。しかし、この巨大な組織も設立わずかで
  経営悪化に陥ります。なぜこのような状況に陥ったのか?から探っていきます。
  農協の実体②~経営悪化を政府救済でしのいだ組織の宿命~からの引用です。

戦後の日本は、物資不足と終戦処理のために紙幣を大量に刷り込み、その結果急速にインフレが進行していました。その悪化を避けるためにアメリカは課税政策とデフレ政策を指導。独自の打開策を持ち得ない日本政府はこれに従い、アメリカの政策提案に従属しながら行き当たりばったりの政策施行をする形となってしまいました。
その結果、農産物の販売価格も急暴落。それと同時に、農産物販売に比重が高まっていた農協金融も逼迫し、赤字農協が全体の40%を占め、預貯金の払い出しを停止する農協が全国で255、800もの農協が払い出しを制限する事を余儀なくされていました。

  デフレ政策を打つということは物価が下がる という事ですよね
  そうすると国民(農民)は一斉に預金を払い出して一転して買いに出ます。
  農協金融は預貯金が減ると金利としての取り分が減ってしまい、一気に経営悪化に 
  陥ってしまったと思われます
 
 
  同じ投稿からの引用です。

1950(昭和25)年、農協経営の健全化(赤字解消)を政府に救済してもらうことで成立させようと、農協代表者会議は日本政府に救済を嘆願。政府としては、GHQが規定した「農協に国家権力は介入してはならない」というのが根底にあったため、自力での立上がりを農協に指示するのですが、農協はただひたすら日本政府に救済を要請。そして政府の再建三法による援助で、農協はかろうじて成立していくようになってしまいました。
再建三法で救済された農協は、一気に行政省庁の監督下に入り、1954(昭和29)年に改定された「農協法」で、全国の府県連を傘下におさめた現在の全国農協中央会(全中)を誕生させ、農業現場をほぼ統括する基盤を、政府おかかえの下でつくりあげました。
1960(昭和31)年に政府の救済によって首の皮一枚で救われた農協は、協同組合の精神を置き去りにしたまま、ただただ農協を維持させていくため、米価を筆頭に価格支持政策の要求といった政策依存の動きに没頭していきます。

  引用であるように、農協は経営悪化を政府に救済してもらおうと願い出ます。政府としても農協が潰れると農産物の
  路
が絶たれてしまうという問題があったのでしょう。農協から票を集めていた政治家もこれには焦り、救済せざるを得なくな
  ったのです。
  
結局、農協は1954年、全中を誕生させた時点で完全に政府の言いなり(下請)・票田になってしまい、農村の事を全く重視しない上(政府)しか見ない組織になり、現在に至っているのです!
アメリカは、そもそも農協の崩壊を狙っていたのではなく、日本の金融をコントロール(植民地化)する事を狙っていたのです。農民が結束して作られていない農協は、あえなくその動きに巻き込まれてしまったというわけです。
◇依存関係こそが共同体解体の張本人
  農民(農地)をほぼ踏襲した農協は、自ら が 経営努力 することはありませんでした。
  ただただ農業者に融資をすすめて大型農業機械や農業資材を高額販売したり、ライスセンターなどの大型施設をつくって  
  も、それを利用するのに十分な周辺環境が整わず、それだけが農業現場で孤立してしまいます。さらに稼働率も悪く、償却   
  費だけが高くつくという極めて不効率・不経済なものになってしまいます。しかし農協は、農業者が機械化貧乏に悲鳴を
  上げるのと反比例して、取扱事業高を飛躍的に伸ばしています。これが農協の農業者に対しての依存です。
  農業者の多くが、名前だけの協同組合から 脱退することもなく、販路を確実に確保する上で農協から離れられない状態
  に陥ってしまいます。農協の姿に不満や危機感を持ちながらも「農協が何 とかしてくれる」という期待感・依頼心ばかりが 
  強くなるばかり。名前だけと言いながらも農業者の方も依存してしまっているのです。
  農協の地域を独占してきた構造は、現在でいう電力会社とよく似た構造になっているのではないでしょうか
  この 依存関係 の中で、一部の農業者達の新しい動きも農協が圧力(妨害)行為を掛けて潰そう
  いう動きも多々あったようです。農業者が自立できない構造は農協が作り上げているのです
農協は農業者(個人)に機械を売りつける農業者は農協に期待するだけ。この相互依存こそが共同体を破壊 した成れの果ての姿と言えるでしょう
◇新しい生産集合体の再生へ
では、すべての農協が上しか見ない組織に成っているのかと言えば必ずしもそうではありません。
上(全中)からの影響があったとしても自立し、真っ当な経営をしている農協はごく少数ですがあります。代表的な事例を紹介します
【事例】げんきの郷(あいち知多農協)
%E3%81%92%E3%82%93%E3%81%8D%E3%81%AE%E9%83%B7.jpg
  愛知県大府市に平成12年にあいち知多農協が100%出資して設立しています。 経緯としてはまず、高齢者がこれから
  も農業を続けていけるように販路を作る
ということ。もう一つは、後継者育成事業を展開していくため直売所を初め、魅力の
  ある地域にしていこうというのが狙いのようです。
  経営は右肩上がりで現在は年間売上げ約20億円 来客数は200万人を超えているようです。
  
  この直売所は、出品している生産者他の生産者の商品の品質をチェックしています。悪いものがあれば即撤収させる
  ようです。そうする事で生産者側のより良いものを作ろうという 意欲を常に持続させ、狩立たせる事が一番の集客効果
  に繋がっているのではないでしょうか
このように、農協は場を提供して生産者の活力を生み出す。農協があるべき組織に転換していくことが新しい生産集合体に成り得る可能性があると確信しています!!

投稿者 staff : 2012年06月05日 List   

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.new-agriculture.com/blog/2012/06/1337.html/trackback

コメントしてください