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2012年05月29日

農から始まる地域の再生~新しい生産集合体をどうつくるか?②戦後の民主化・農地解放は、農村共同体解体の歴史!?

「農から始まる地域の再生」シリーズが始まりました。
今回は、プロローグに続き、戦後の日本の農村・農業の有り様を決定付けたとも言える戦後の農地改革と民主化=市場化について見て行きます。
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まずは、戦後の日本の農と食に関わる歴史を図解を元に見て行きます。
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(1)農地解放とは何だったのか?
 教科書等では、農地解放とは、それまで、大地主に支配され苦しんでいた農民を解放し、農地を分配し、前近代的な農村を民主化して豊かにして行くために行われたという主旨のことが教えられています。
しかし、よく調べてみると、農地解放とは、「民主化」の名の下に、農民をバラバラの私権追求の主体(=市場の消費者)に貶めるための基盤作りの施策であったことが分かって来ました。
「日本の個人主義 戦後の私有意識はどこから」 からの引用です。

農地改革は、農地を地主から買い上げて小作人に土地を持たせたもので、戦後の日本の民主化のためと一般には言われるが(一部には共産主義化を防ぐとの見方もあるようだが)、これまで何ら財産を持たなかった小作人に土地と言う私有財産を持たせることの意味は、単に民主化というより、個人主義的私有意識と言う点で大きな意味を持つのではなかろうかと思う。
日本における私有(意識)は、上流階級(上級武士や貴族、大商人や庄屋)を除けば殆ど持つべきものが無かったと言えるだろう。私財といえるものは、木と紙で出来た家屋、家財程度で大半の庶民(や武士でさえも)が土地を持つことなど無い。戦後のGHQによる土地所有政策は、これまでの上流階級≒地域の統合的な階級の力を封じると共に、その下の階層へいきなり土地という財産(とその意識)を持たせるものである。それ以前の日本人は、お国のため、天皇陛下のためといって特攻をも厭わぬ滅私の精神を持ち質素を尊んだ。このことは当時の欧米人にとっては極めて理解しがたい脅威でもあったろう。昭和天皇でさえ敗戦後の自らの処遇より国民のことを心配したとなれば尚更である。そうした意識は、西洋個人主義とは相反するものであり、こうした人々を西洋と同質の文化へ封じ込めるには、やはり西洋近代思想への教育や洗脳が必要であったに違いない。そもそも、私有意識の希薄な人々に、幾ら自由や愛などと言っても、目指すべき私権の実物がなければ何のことか理解不能でさえあっただろう。

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黒塗り教科書
写真は、こちらからお借りしました。
(2)戦後教育
 一言で言えば、個人主義教育に尽きます。これは、学校教育にとどまらず、マスコミを通じての謂わば洗脳教育も含みます。
同じ投稿からの引用です。

重要なことは、土地を私有し、メディアを通じて米国物質文化に触れ、学校で自由、平等などの近代個人主義思想を徹底的に叩き込まれたその後の経過である。都市近郊の農地は商業用地となって転売され、用地開発によって都市は拡大、交通や流通などの産業も発展した。土地から得た資金は、家電製品や家、車、サービスなど個的な消費へと次々に充当されていく。これまで規範の中に秘匿されてきた恋愛は西洋式に解放され、個人の自由の温床となり、私権の追求をより一層加速させる。高度経済成長とは、とりもなおさず日本の米国化、個人主義化の過程に生じた私権への短期的な過剰競争でしかなく、結果として生じる一億総中流の意識も、終わってみれば物的なもの以外は何も充たされない幻となった。

そして、このことが高度成長の原動力ともなり、人々は、農村→都市へと移動し、農村の過疎化、衰退が進むことになります。
参考
「戦後日本の高度経済成長はどのように成立したのか?」
(3)農協が果たした役割とは?
 戦後の農協と農家・農村の関係は、切っても切り離すことはできません。
 しかし、
「農家の為の共同組合ではなくなった農協。」
 にもあるように、現状、決して農家・農村の振興のために動いているとは言いがたい組織である農協。農村の市場化→農業の衰退を加速させたのが、この農協という存在でした。
これについては、次回の記事で扱います。
(4)アメリカによる食の支配
 食の支配と言う点で言えば、出口は、戦後の給食やキッチンカー等に代表される日本人の洋食習慣化への誘導が決定的です。
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キッチンカー
写真はこちらからお借りしました。

「米国小麦戦略 ~アメリカは日本人にパン食を餌付けすることに呆れるほど見事に大成功した~」からの引用です。

アメリカは世界のパン籠といわれるほどで、連合軍の食料をまかなっていた。戦後は、ヨーロッパ復興計画で大量の農産物を輸出していた。50年からの朝鮮戦争でも兵食としてアメリカの農産物が大量に消費された。
ヨーロッパ復興計画が終り、朝鮮戦争が終結して大量のアメリカ農産物は行き場を失う。大量の余剰農産物がでて、政府が借りる倉庫代だけでも1日2億円という危機的状態だった。
54年、アメリカはPL480法(通称・余剰農産物処理法)を成立させ、発展途上国に余剰農産物を輸出することにした。
————中略————————
アメリカの真の狙いは、日本人にアメリカ農産物を餌付けして永久にアメリカ農産物を買わせるためだった。そのために市場開拓費を使って日本人の主食を米から麦(パン)へ転換させる大プロジェクトが遂行された。
栄養改善運動の3本柱は、
1.粉食(パン食)奨励 : 小麦(現代の輸入量600万トン)
2.畜産物奨励 : 家畜のエサとしてトウモロコシ(現代の輸入量1600万トン)、大豆
3.油脂奨励(フライパン運動、油いため運動) : トウモロコシ、大豆を搾れば油が取れる(今では小麦、トウモロコシ、大豆は9割を輸入に頼っている。)
55年、日本はアメリカ提案による粉食奨励、定着化を図るための11の事業計画を作った。
金額の多い順に、
1.粉食奨励のための全国キャンペーン:1億3000万円
2.キッチンカー(料理講習車)製作、食材費用:6000万円
3.学校給食の普及拡大:5000万円
4.製パン技術者講習:4000万円
5.小麦粉製品のPR映画の製作、配給:3300万円
6.生活改善普及員が行う小麦粉料理講習会の補助:2200万円
7.全国の保健所にPR用展示物設置:2100万円
8.小麦食品の改良と新製品の開発費:2100万円
9.キッチンカー運用に必要なパンフレット等の作成費:1500万円
10.日本人の専任職員雇用:1200万円
11.食生活展示会開催:800万円
総額4億2000万円の資金がアメリカから日本に活動資金として渡され、日本人の主食を粒食(米)から粉食(パン)へと変える洗脳教育がスタートした。
学校給食でパン、ミルクに餌付けされた学童は一生パンを食べ続けるので、学校給食のパン、ミルクはアメリカから無償提供された。パンとなるとおかずは、肉、タマゴ、牛乳、乳製品、油料理という欧米型食生活になっていった。
年間1人あたり150kg米を食べていた→現在は60kgを切っている。
アメリカは日本人にパン食を餌付けすることに
呆れるほど見事に大成功した。

結果として、食糧自給率40%という、正に、国家存亡の危機的状況を呈するに至りました。
(5)市場開放圧力
 さらに、そこに追い討ちをかけるように、日本の主食である米市場にも開放圧力がかかり、食糧管理法の廃止、ミニマムアクセス、果ては、TPP、放射能汚染。今や日本の食糧安全保障は、風前の灯火と言っても過言ではありません。
JAcom
「TPP参加に反対と賛成の団体一覧表」からの引用です。

TPP参加に賛成する団体は、経団連や経済同友会や日本自動車工業会など14の団体にすぎない。全体の中での割合は、わずか30%である。残りの70%の団体は、絶対反対や強い懸念を表している。全中や日本医師会や連合や日生協などである。
 これをみれば分かるように、TPPの賛否は工業と農業とで分かれていて、両者の意見が対立している、とみるのは事実に反している。そうではない。経団連や自動車工業会は、企業経営者の団体である。つまり、経営者と経営者以外の大多数の国民との対立なのである。そのことは、経団連傘下の企業で働く労働者の組合や消費者の組合が、強い懸念を表していることからも分かる。
 いったい、首相は経営者の意見を採るのか、それとも大多数の国民の意見を採るのか。
 以前から、一部の評論家は、市場原理主義の政策を採り入れ、企業が儲かれば、そのおこぼれが国民全体に滴れ落ちる、という説を流していた。
 だが事実はそうならなかった。企業は儲かったが、利益は社内に溜め込むだけで、労働者に分けなかった。そして、いまや社内留保は史上最大級の金額になったが、賃金は下がる一方である。このことを、多くの労働者は身にしみて実感している。だから、市場原理主義に対して強い疑問をもっている。
                  ◇
 TPPは、市場原理主義の究極の貿易体制である。貿易体制だけではない。国内制度も市場原理主義の一色に染め上げるものである。
 そうして、農業を犠牲にして、食糧自給率を下げ、また、病弱者を犠牲にして、病院を利益追求の場にし、さらに、食の安全を脅かそうとしている。

●まとめ
 これらの問題をまとめると
 戦後の歴史とは、
「アメリカによる日本の市場化(=実質の植民地化)の推進」
言い換えれば、
「農民を共同体の当事者から市場の消費者へと貶めた戦後の歴史!!」
と言う事もできます。
戦後は、共同体とは真っ向から対立する私権追求をベースにした市場原理を、都市のみならず農村へも浸透させ、農村共同体を解体してきたということです。
以上、戦後の農村共同体解体の大きな流れを見てきました。
次回は、その中でも、農業、農村にとって無視できない農協の問題と可能性について扱います。
お楽しみに。

投稿者 naganobu : 2012年05月29日 List   

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