「食とグローバリズム」生産国の現状 |
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2009年03月20日
「日本の肉食禁止はどこから来たのか?」
最近、農園にたくさんの研修生たちが入れ替わり来てくれ、喜んでいる正国です。
10人~13人が毎日一緒に食事をするわけですが、食材はほとんど農園でとれた野菜です。
肉はたまに登場する程度ですが、みんな普通になっています。
そんな中、「日本の肉食禁止はどこから来たのか?」という記事が目に留まりました。
当たり前のように食べている”肉”にこんな歴史があったとは!
JANJANニュース(http://www.news.janjan.jp/culture/0903/0903169499/1.php#pagetop)
> 日本の肉食禁止は、約1200年もの歴史があり、世界に例がない。一般的には、仏教思想の影響と考えられているが、上田孝道氏の見解では、それには裏がある。氏は、稲作文化の確立のために、仏教思想が利用されたのではないかという。また、世界の飢餓と肉食文化との関係も考えなければならない時期に来ているという。
以下の会話の名前で、「私」:成川順氏、「上田」:上田孝道氏です。
●1200年の歴史
私「日本の肉食禁止令は、いつからいつまで出ていたのですか?」
上田「天武天皇の時代、675年に出されました。禁じられた動物は、ウシ、ウマ、サル、イヌ、ニワトリでした。それから、解禁になったのは、1868年、明治元年のことです。約1200年間です。こんなことをした国は、世界のどこにもありませんよ」
私「ウシ、ウマが禁止されたのは農耕に差し障りが出るということでしょうね。サルだけが野生動物ですね。私は、マレー半島のジャングルで3ヶ月ほど暮らしたことがあるのですが、現地の狩猟採取民にサルの丸焼きを出されたことがあります。だいたい何でも食べるほうなんですが、そのときは遠慮しましたね。人間の形をしていたんですよ。サルが禁止されたのは、そういう感性と関係があるかもしれませんね。因果応報というやつです。肉食禁止は、やはり、殺生を禁じる仏教の教えと関係しているのでしょうか?」
●稲作経済の確立のため
上田「そこなんですよ。もちろん、仏教との関係は深いでしょうね。しかし、私は、肉食禁止のために仏教の教えが利用された面があるのではないか、と考えているのです。日本の気候では、牧畜より稲作のほうが、食糧生産に有利なんです。支配者たちは、日本国を治めるのに、稲作でいこうと考え、仏教思想を前面に掲げて、肉食禁止の社会を作っていったのではないでしょうか。稲作のほうが課税しやすいんですよ。また、稲作には、共同作業が多く、みんなが力を合わせる必要があります。そのためには、食生活も同じほうがいいでしょう」
私「それに、肉食の前には、動物を殺すことになりますね。私は、年に100羽ほど鶏の解体をしていた時期があるんですが、あるとき、ふと、自分は人間も殺せるのかもしれないな、という気になりました。支配者たちが、そういう人間の持つ原初のエネルギーを怖れたということがあったかもしれませんね。ところで、この上田説について、大学の歴史学者はどういいますか?」
●建前としての歴史
上田「歴史というのは、支配者の歴史ですから、もちろん、支配者に批判的な解釈は、認めようとしませんよ。彼らにとって、肉食禁止は、仏教思想の影響以外は考えにくいのです」
私「上田さんのような解釈は、歴史学者としては、処世上まずいことになるというわけですか。ところで、日本には、ウシはいつごろからいるんですか?」
上田「1927年に、ナウマンゾウ、オオツノジカなどとともに野牛の骨が見つかっています。約2万年前には、野牛がいたようですが、それは滅びたようです。中国の『魏志倭人伝』(3世紀)には、倭国には牛馬がいない、と書かれています。ウシは、稲作文化とともに、農耕や運搬用に大陸から入ってきたのでしょうね。大和時代前期(4~7世紀)になってやっと、日本のウシは歴史に登場してきます」
●法令違反は多かった
私「肉食禁止は、どの程度守られたんでしょうか?」
上田「狩猟と漁労は認めていたので、100%の禁止ではなかったのです。戦国時代には、野武士が農民の牛馬を殺して食べたり、安土桃山時代には、キリスト教徒が肉食を始めたり、江戸時代には、彦根藩が幕府に牛肉の味噌漬けを献上したり、江戸末期には、公然と肉屋を開く者が現れたり、いろいろ法令違反はあったようです。肉食禁止を守らせるために詔勅がたびたび出されていますから、違法な肉食がいかに多かったかということかと思います」
私「精進料理という言葉がありますが、肉を食べないことが、人間としての『精進』らしいのですね。人間は、雑食動物ですから、肉食の誘惑はかなり強いのではないでしょうか。人間の欲望の中で、睡眠欲と食欲が強いといいますね。これを断てば、拷問は必要ない、といわれていますよね」
上田「しかし、肉食禁止は、1200年にわたって、貧しい農民に対してはかなり徹底していたので、肉食が解禁となった明治に入ってからも、多くの庶民は肉食を忌み嫌っていたんです」
●飢餓の解消
私「統計にもよりますが、現在、世界は、8億5640万人の飢餓人口(農民70%、漁民10%、都市住民20%)を抱えています。肉食を考えるとき、この現実を無視できないと思います。今後、肉食を減らす方向でコントロールしていくべきなのでしょうか」
上田「私の考える飼育法では、穀物代を大幅に節約できるのですが、現在の一般的な飼育法では、牛肉1㎏作るのに、穀物が10kg必要です。ということは、牛肉だと1人しか食べられないけど、穀物なら10人が食べられるということになります。皆が、考えていかなければならない問題だと思います」
●筆者の感想
604年の聖徳太子の「十七条の憲法」は、役人が守るべき心得として定められたものですが、ずっと以前から気になっているところがあります。第一条「人の和を大切にしなさい」 第三条「天皇の命令には必ず従いなさい」そして、その間にあるのが、第二条で、「仏教を厚く敬いなさい」となっているところです。
一条と三条をセットにして守ると、天皇制が確立されます。そして、二条は、その2つをつなぐものなのでしょう。上田さんの「肉食を禁止するために、仏教が利用された」という見解は、久しくこのことが気になっていた私には「目からうろこ」だったのです。
平城京は710年、長岡京は784年、平安京は794年です。上田説によれば、支配者たちは、日本史の出発点で、この国を統治するためにどうやら仏教を利用したのです。しかし、その仏教が、肥大化し、独り歩きを始めようとしたとき、奈良の都に仏教勢力を置き去りにするという挙に出たのではなかったでしょうか。
仏教寺院を見るとき、奈良と京都では、その存在感がぜんぜん違います。奈良の仏教寺院は、根が生えたかのように堂々としています。京都の仏教寺院は、美しすぎるのです。平安京によって、日本の仏教は、再び支配者の道具に成り下がっていったのではないでしょうか。
ミャンマーで何が起ころうと、チベットで何が起ころうと、日本の仏教界は、知らん顔です。それは、そういう「肉食禁止」にまつわる歴史に起因することなのかもしれません。
投稿者 totokaka : 2009年03月20日 TweetList
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コメント
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