2009年12月29日

2009年12月29日

日本人の一年(ひととせ)

■こんにちは まるいちです。今年も1年間、アッ~ッと言う間に経ってしまいましたね 😀
今日は、農業の話からちょっと外れますが「日本人の一年(ひととせ)」について投稿します。
■ 国際派日本人養成講座 ■からの引用です。
 それぞれの季節、節気には意味があります。自然の移り変わりを的確に捉えて、生きてきた日本人の感性は凄いと思います。
 自然への感謝、忘れずにいたいですね 😀
~以下引用です~
■■ Japan On the Globe(326)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■
 国柄探訪: 日本人の一年(ひととせ)
 我々の祖先は四季折々おりおりに神々に祈り、 感謝しつつ、一年を送ってきた。
■■■■ H16.01.11 ■■ 31,612 Copies ■■ 1,048,741 Views■
■1.真冬なのになぜ「初春」?■
 正月は冬の最中なのに、年賀状では「新春」「迎春」などと書く。実際の春はまだまだ先のはずなのに、なぜだろう。
これは明治5(1872)年に、それまで千二百年以上も使われていた旧暦を、西洋で用いられていたグレゴリウス暦(新暦)に変更した事から起こった矛盾である。
 旧暦なら今年の正月は1月22日。東京では元日には5時1分だった日没が5時20分となって、日が伸びてきた事が実感できる。日射しもなんとなく明るく春めいてきて、いかにも「初春」と呼ぶにふさわしい時期である。
 1月7日は七草粥を食べるのが旧来の風習で、枕草子には1月6日に京都の野原で七草を採ったという一節があるが、これも旧暦ならではの事で、新暦の1月7日ではハウス栽培物しか手に入らない。
■2.なぜお正月はおめでたいのか?■
 旧暦なら月の満ち欠けがそのまま分かる。1日は闇夜で、3日が「三日月」、15日に満月となり、それからまた欠けていって30日には闇夜に戻る。したがって年末・大晦日は常に闇夜である。
 その闇夜に、歳神様とも正月様とも呼ばれる神様が戻ってくる。それは祖先の御霊である。わが国では、死者が子孫を見捨てて、自分一人、天国や西方浄土に行ってしまうとは考えなかった。祖先の霊は子孫をいつも見まもってくれている一家の守護神であり、同時に豊作をもたらす穀霊でもあった。
 その歳神様が戻られるための依代(よりしろ、神霊が招き寄せられて乗り移るもの)として門松を立て、神様を迎えた聖域として不浄なものの侵入を禁ずる印のしめ縄をかける。こうして一家を見守り、豊穣をもたらしてくれる歳神様を揃ってお迎えし、新しい春を迎える。だから正月はおめでたいのである。
 元日には一家揃ってお雑煮を食べる。それには必ず餅を入れる。新米でこしらえた餅には、豊かな稔りと幸せをもたらす歳神の御魂が入っているので、それを食べることにより、家族揃って活力に満ちた新しい年を迎えることができる、と信じられてきた。この歳神の御魂が「お年玉」である。今日では子供たちにお金をやるのがお年玉となってしまったが、年長者が子供たちの無事の成長を祈る思いには通ずるものがある。
■3.初詣と初日の出■
 一方、皇居では元旦の午前5時半、神嘉殿の前庭で四方拝(しほうはい)が行われる。白砂の上に小さな畳を敷き、屏風で周りを囲った御拝座に天皇が出御され、天地四方の神々、神武天皇陵と先帝の御陵などを遙拝される。
 これに続いて、宮中三殿(賢所(かしこどころ)・皇霊殿・神殿)で行われる「歳旦祭(さいたんさい)」では、天皇と皇太子が、天照大神、歴代天皇、および八百万の神々に、旧年の神恩を感謝され、新年にあたり国家の隆昌と国民の幸福を祈願される。
四方拝
もろもろの民安かれの御いのりも年のはじめぞことにかしこき
 明治30年、大正天皇の皇太子時代、19歳の時の御歌である。明治天皇が遙拝されている御拝座の外で陪席されていたのであろう。四方拝は平安時代の初めから行われており、歴代天皇は千二百年近くの長きにわたって、こうして毎年毎年、国家国民の安寧を祈り続けてこられたのである。我々が初詣で、一家の繁栄と健康を願うのも、この四方拝、歳旦祭の民間版である。
 旧暦の大晦日は月のでない闇夜であるから、初日の出はいっそう、まぶしく神々しいものであったろう。まさに天照大神が天の岩戸から出られた時を連想させる。
~引用続く~
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投稿者 nara1958 : 2009年12月29日