2008年4月17日
2008年04月17日
失政続きの戦後農政(続き)
こんにちわちわわです。
前回は戦後から1980年代くらいまで紹介しましたが、その続編です。
1988年、国際社会では対日貿易収支の不均衡の解消を農産物の市場拡大に求める動きが活発化し、牛肉・オレンジの自由化交渉妥結とガットのウルグアイ・ラウンド交渉での米市場の開放要求にまで至っていた。
そして、 1993(平成5)年の夏、日本列島は異常な低温に見舞われ、米の作況指数は74という時を迎えた。
日本には食糧管理法があり、「米備蓄開始」が決定されているから、一度の不作に対しては国民は不安を抱く必要はない、筈だった。
ところが、その食糧管理法を司る主管官庁自らが、「米備蓄量はたったの26万tだった」という無責任な現実を見せつける。そして、慌てて緊急輸入に走り、あげくは緊急輸入米を余らせ、農政丸抱えの米生産・米流通・米消費は悲劇的状況に遭遇する。
それと同時にガット・ウルグアイ・ラウンドの決着でのミニマム・アクセス(最低輸入義務)による米輸入と、外圧や内圧による既成緩和促進も加わって、53年間に及んだ食管制度は、遅すぎた廃止の時を迎える。
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投稿者 tiwawa : 2008年04月17日 Tweet