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2013年11月16日

『農業全書に学ぶ』シリーズ3 土の力を活かす肥料~すべては土から生まれ、土にかえる~

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江戸時代。農民は「土」に対してどのような考え方をしていたのでしょうか?
 
農業全書では、『牛馬、農具、肥料等についても、自分の田畑にふさわしい量以上に準備しておき、思いどおりに使えるようにしておくべきである。少しくらいの費用は決して惜しまずに、上質の刃金のついた農具を用意しておき、思いのままに働くべきである。そうすれば、知らず知らずのうちに気持ち良く仕事がはかどるし、土の性質もおのずからよくなるものである』とあります。
 
ここでは、科学的と社会的な条件に加えて、土をつくるものは農民の心 😛 であると教えています。よい牛馬や農具をそろえて、人間が無心に土を相手に働けば、土の心も人間の心にこたえて、存分に働いてくれるという意味です。土に感情があると比喩されています。そして、人間が、土を相手に働きかける手段が「肥料」を施すことです。
 
『土の性質には良否いろいろの変化はあるが、手段をつくしてその土地によく適合した肥料を用いれば、必ず効果が出てくるのである。つまり、肥料が農家にとっての薬といわれるのはそういう理由からである。』
 
今回のシリーズでは、肥料が江戸時代と現代では捉え方の違いがあるのか?
【肥料として活用の仕方】を読み解きたいと思います!

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●生活のありとあらゆるものが、肥料の“もと”
 
江戸時代の肥料とは、どのようなものがあるかご存知でしょうか?
本文に書かれていた、肥料の種類を以下にまとめてみました。
  
苗肥(なえごえ)
〔原料〕小豆・ごま・大豆・そら豆
〔加工方法〕厚く撒いて茂ったものを、犂(すき)返して腐らせておく
〔効用・特徴〕田畑を肥やす
 
草肥(くさごえ)
〔原料〕山野の柴や草
〔加工方法〕草木を刈り取って日当たりのよい場所に積み重ね、よく腐熟したものを細かく切り返し、大小便をかけて日にあて乾かす
〔効用・特徴〕元肥・追肥・ねばる土や固い土に効果あり・陽気が強い肥料であるため、色々な作物の陽気を助ける
 
焼肥(やきごえ)
〔原料〕あらゆるもの(毎日掃除したゴミ・枯れ草など目についたものを何でも持ち帰って枯らす)
〔加工方法〕あらゆるものを積み重ねて蒸し焼きにする
〔効用・特徴〕害虫よけ・湿田や泥田に効果あり・野菜を植えるときは必ず使用・生育をはやめる
 
水肥(みずごえ)
〔原料〕風呂場の湯水・洗濯した濁り水・糞尿・よく日にあたった水
〔加工方法〕肥桶にためて、腐熟させる
〔効用・特徴〕陰気の肥料とし、陰陽を調節する
 
泥肥(どろごえ)
〔原料〕池・川・溝などの底の超えた泥
〔加工方法〕よく乾燥させて砕き、肥料小屋などに貯蔵
〔効用・特徴〕丈夫に育つ・生気の無い作物を活気づける
 
また、江戸時代になると、干鰯(ほしか)油粕など「金肥(かねごえ)」といわれる肥料もあり、効き目があるが、文字どおり大変高価なものだったため、採算のとれる綿花などにしか使用されていませんでした。
一般的には、下肥といわれる江戸の屎尿が安価で効き目のよい肥料とされており、『軽蔑すれば罰があたる』と言われていました。今日の様に臭い汚いという観念を越えた貴重な品物でした。
このように、生活のありとあらゆるものを肥料として使っているのが分かります。
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イワシをホシカ(干鰯)やシメカス(〆粕)に加工して肥料として各地へ売っていました。
画像はこちらからお借りしました
 
 
 
●土からうまれ、土にかえる
 
『経験深い農民は泥土やちりあくたなどあらゆるものの残りかすを集めておき、それぞれの土質の良否に応じて使うならば、どんなものでも肥料として利用できないものはないのである。農民は、肥料を大切にすることは白米を大切にすることと同じであるという気持ちで、耕作を行わなければならない。このような考え方で仕事をすれば、冨は必ず得られるものである。』
 
肥料が農家の基盤であった当時、どれだけ良い作物をたくさん作るかは肥料の善し悪しにかかっていたと思われます。
では、どうして、なんでも肥料にしようという心の有り様があったのでしょうか?
  
それは、ゴミという観念そのものがなく、すべて自然や土にかえるもの。すべてに価値がある!と考えていたからだと思います。
  
日本で長く根付いてきた仏教でいう”輪廻”の思想のもとでは、全ては「土から生まれ、土にかえる」という言葉があります。たくまずして自然界での生命の循環を語られていました。
 
土は物質循環の基盤であり、作物もその一環であり、人間もその一環である。命が尽きれば土にかえり、その肉体が分解され、土となり、新たな生命の栄養となり、やがてまた肉体に戻っていく。
この考え方が日本人に受け入れやすいのは、元来、日本人の意識の底流にあったためだと考えられます。
 
 
ありとあらゆるものを肥料としていたのですが・・・
もちろん、何でも集めて、田畑に入れればいいというわけではありません。
 
一番良い効果が出るように、材料を腐らせたり、細かく切ったり加工していました。その方法は、前述しましたが、〔肥桶にためて、腐熟〕や〔よく乾燥させて砕き、肥料小屋などに貯蔵〕などです。その、一番良い状態にして、いろいろな肥料を使用することが、医術・薬に例えられています。
 
 
 
 
●医者が薬棚から薬を出すように
 
『土地に肥料を使用する方法は医術にたいへん似ている。』
『医者が薬種を吟味して大切にしまっておき、それぞれの症状に応じて使うように、農民も細かく心を配って肥料こそは多く集めておき、作物の種類によって、また土地によって使用する時期をよく考えておけば、作物の収量については、あたかも自分の倉の中から物を取り出すのとまったく同じように、少しも見込みちがいがなく確実なものである。』
 
とあり、「肥料は薬」という言葉に象徴されるように、大事なものでした。
 
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滝田ゆう”寺島町奇譚”おかみさんと汲み取人
画像はこちらからお借りしました
 
土の状態や、季節、時間、陰陽など複合的な条件のもと、様々な種類の肥料を、「医者が薬棚から薬を出すように」その土地に一番あった肥料をまいていたことが伺えます。
 
このことから、江戸時代の農民は、人間の身体をみるように、土の状態の微妙な変化や良し悪しを詳しく捉えていました。土や自然に対する同化力(洞察力)が非常に高かったことが伺えます。 
そして、自然のあらゆるものを複雑に組み合わせたり、加工することで、肥料をつくり、土の状態に合わせて、時期・量・配合すべてを適切に施していたと読み取れます。
 
 
 
  
●自ら循環系から切り離した 
 
では、現代ではどうでしょうか?
現在の農業の肥料としては、カリウムが足りないとか、ヨウ素をもっと入れよう…など、土の栄養素として足らないものを補うという肥料の考え方をしていると思います。
 
江戸時代は土を循環の基礎として、有機物を生み出し、有機物(自然にあるものを加工した肥料)がかえる場所でありました。
現代は、有機物を生み出すために足らない無機物(人工的に作られた肥料)を補充する役割としています。
この有機物と無機物との考え方こそが異なります。
 
『土を使わずに化学物質で作物をつくり、それを食べることで人間が生き延びると考えることは、人間自ら循環系から切り離すことであり、生物としての人間を否定する。(「土は呼吸する」より)』
 
 
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画像はこちらからお借りしました
 
 
●まとめ
いかがでしょうか?
江戸時代、人々は身近な田畑の周りから、肥料となる材料を持ってきて、最大限効果が出来るように工夫して使っていましたが、現代では、田畑の周りではなく、工場で生産されたり別の場所から持ってきて田畑にまきます。
 
天からの恵みである作物によって「生かされている」存在であった人間が、「生きるため」に作物を作るようになりました。
 
農業全書には、どんな土でも、その土に適した肥料を加えることで、よい土は作ることができると書かれていました。
土と肥料の関係が重要であること、現在とは施肥の考え方(無機物から有機物)とが、異なることがわかりました。
 
次回は、食物を「いただく」ことです。
お楽しみに~♪

投稿者 y-sanami : 2013年11月16日 List   

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