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2011年09月24日

農から始まる日本の再生シリーズ プロローグ1~再生の実現基盤を歴史に学ぶ~

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みなさんこんにちは 😀
前回の「『新しい農のかたち』を実現するために ~ 3つの切り口 ~」において「農から始まる日本の再生」シリーズに関して以下のように今後の方針を立てました。

当ブログでは、過去記事「経済危機・震災を機に、共同体企業が食と農の再生を実現してゆく」において、「農と食の再生をしていくためには、共同体の再生が不可欠であり、企業の共同体化を推し進めていくことが今後の大きな課題となっていくのです」と提議しました。
しかし、まだまだ追求不足もあり、実現していくにはいまだ不充分な点が残っています。
そこで、このシリーズでは、「どのように実現していくか」を歴史事実を追求しながら、本気で「農から始まる日本の再生」の可能性を追求していきたいと思います。

具体的な追求は、まずは今回のシリーズタイトルである「農から始まる日本の再生」とはどういうことなのか?そこに対する仮説を提示した上で、それらを検証する形で追求に入っていきたいと思います。
まず今回の投稿では、そのための仮説やその検証のための問題意識を提示していきたいと思います。
そして今後のシリーズでそれら問題意識を”歴史”に学ぶことで実現基盤を見出し、その実現基盤を基に「これからの時代でどう実現していけるか」を追求していきたいと思います。
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ありがとうございます 😀
 
今回の危機のように、外圧が変化するとその外圧に適応するために「生産」「認識・制度」「集団の統合原理」が変化していきます。
そしてそれらが変化し外圧に適応できるようになることによって、集団や社会を統合することが出来るのです。
 
例えば狩猟生産から農耕生産の移行期においても、安定的な食糧調達による人口増大、それによって食糧調達が間に合わないという外圧・状況認識があり「食糧不足による飢餓」という不全を突破するために農耕を始め、それによって適応し、更に人口を増やしていきました。農耕時代の農耕の仕方、集団のあり方は規範(制度)として集団で共有され、その後も残り続けました。
 
そこで、農業におけるこれら3点を軸に、今後どこに可能性があるのか、今後どうなっていくか、その仮説や問題意識を提示していきます。
1.生産はどうなっていくのか?
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『経済危機・震災を機に、日本の農業を再生する~現状分析編~』において、2011年度に起きた大きな3つの社会問題が農と食の再生の可能性となることを固定しました。
今回の危機によって食糧不足が深刻化し、これを契機に今後人々の間で「自ら食糧を作るしかない」という気運が高まっていきます。
この気運の高まりによって人々は自給自足のために古来からの生産方法である農業を行っていくことが考えられます。
 
この仮説は、具体的に以下の問題意識を扱うことで検証していきたいと思います。
これまでは市場で稼ぐための農業を行ってきましたが、今後はその目的が「自給自足のため」に変化していきます。では、そもそも農業とは、農とは、何なのでしょうか?
「市場で稼ぐための農業」と「自給自足のための農業」とは何がどう違うのでしょうか?
そこで使われる種・土・肥料は変わっていくのでしょうか?
作物を作る場所は変わっていくのでしょうか?
農地をどう確保していくのでしょうか?
そこで作られる作物は変わっていくのでしょうか?
それらの作物、食糧の食べ方はどのように変わっていくのでしょうか??
食糧の備蓄方法は変わっていくのでしょうか?
生産→流通→消費はどう変わっていくのでしょうか?
現在の機械による生産方法はどう変わっていくのでしょうか?
上記に関連して、労働力はどれくらい必要なのでしょうか?
エネルギー(電気・ガス・石油系)はどのくらい必要なのでしょうか?
現在の食習慣はどう変わっていくのでしょうか?
現在でこそ食糧自給率が40%前後という状況ですが、食糧自給率100%を実現出来ていた時代もありました。ではその実現基盤はどこにあったのでしょうか?
 
 
2.認識や制度はどうなっていくのか?
今回の放射能汚染による危機やそれに端を発する食糧の産地偽装問題から、人々は「食の安心・安全」をより強く求めるようになりました。
しかし現在、マスコミや学者等は相変わらず嘘・騙しを繰り返しており、このまま彼等に任せていたのでは人々が求める食の安心・安全は実現されるはずもありません。
そこで今後「本当に安全な食とは何なのか?」「本当に必要な食や農とは何なのか?」等を自分達自身で探し求める動きが顕在化していくでしょう。
(この動きは既に顕在化しており、3.11以降のツイッター利用者の急増もこれら事実収束の動きの一つと捉えることが出来ます)
 
更にこれら「本当に安全な食とは何なのか?」「本当に必要な食や農とは何なのか?」等を追求し実現していくためには、現在マスコミや学者が発信し続ける近代思想(市場拡大・私権拡大のために作られた思想)ではなく、自然の摂理に学んでいく必要があります。
 
自然の摂理を学び、またそれらと照らし合わせることで、それは事実なのか?本当に必要なのか?どうしていけば良いのか?を自分達自身で考えていくことが出来るようになるでしょう。
 
また、現在の法や制度、例えば農を取り巻くものであれば農地法や農協の存在など、社会で共認されているものは無数に存在しています。
しかし、現在の法・制度のどれもが’70年以前の私権社会(貧困の圧力が存在し、誰もが私権=金・地位・女に収束していた時代の社会)を統合するための近代思想を基に作られたものです。
従って、豊かさを実現したことで貧困の圧力が消滅し主圧力が共認圧力に転換した’70年以降は、これら法や制度が十分に機能せず、社会を統合することが出来なくなってきています。社会問題が頻発し社会全体が閉塞してきているのもここに大きな要因があります。
共認圧力に大きく転換したこれからの時代においては、先述の自然の摂理を基にして法や制度も大きく転換していくのではないかと考えられます。
 
この仮説を検証するにあたって、以下の問題意識を追求していきたいと思います。
認識という観点でいえば教育も重要な要素ですが、例えば江戸時代の教育とはどんなものだったのでしょうか?
明治期に近代思想が入ってきて、社会はどう変わっていったのでしょうか?
自然の摂理が基になって、今も受け継がれているものにはどんなものがあるのでしょうか?
認識が変わることで、例えば近代農法から本来の自然農法へと変化していくのでしょうか?
現在は遺伝子組み換え作物等も出回っていますが、認識の変化によってこれら遺伝子組み換え作物への人々の評価も変化するのでしょうか?
農(業)への社会的評価はどう変化していくのでしょうか?
作り手の意識が変わって行くのは仮説で提示した通りですが、買い手の意識も今後変化していくのでしょうか?
人々の認識が変わって行くことによって、法制度はどう変わっていくのでしょうか?
 
 
3.集団の統合原理はどうなっていくのか?

ところが’70年頃、先進国では物的な豊かさがほぼ実現され、貧困の圧力が消滅してゆく。その先頭に立つことになったのが、日本である。
 
貧困が消滅すると、私権を獲得しようとする欲求=私権欠乏が衰弱してゆく。
従って、物的欠乏も衰弱し、市場は縮小せざるを得なくなる。
 
(中略)
 
貧困の圧力に基づく、私権を獲得しなければ生きていけないという否も応もない強制圧力=私権圧力の衰弱とは、力の原理の衰弱に他ならない。
力の原理が衰弱していけば、人々が、その強制から脱して、人類本来の共認原理に回帰してゆくのは必然である。
 
かくして人々は、’70年以降、最も深い潜在思念の地平で、次々と私権収束から脱して共認収束を強めていった。
 
この共認収束の潮流は、半世紀以上は続く大潮流であり、現在は転換の途上であるが、すでに10年以上前から、大多数の人々にとって、周りの期待に応える充足こそが、(私権充足に代わる)最大の活力源になっており、いまやこの期応充足の土壌から生み出された課題収束が、最先端の意識潮流として、顕現している。
さらには、このような共認収束の大潮流の中から、共認原理に則った共同体を志向する企業も次々と生まれてくるようになった。
 
つまり、この40年の間に、人々は、もっとも深い潜在思念の地平で、私権収束から共認収束への大転換を成し遂げたのである。
それは、社会の根底的な統合原理が、私権原理から共認原理へと転換したことを意味する。
 
『実現論:序2.私権時代から共認時代への大転換(下)』より

このような「既存の制度ではうまくいかない」という状況認識から、人々の間で「もうマスコミや学者、官僚等の特権階級には任せておけない。自ら生きる場は自ら作る。」という気運が高まってきています。
この気運の高まりによって様々な集団で、成員達自らが共認原理によって自集団を作っていくという、集団の共同体化が進んでいくのではないでしょうか。
 
実はこうした動きは既に始まっていて、例えば企業であれば、近年の共同体(志向)企業の増加(参照:リンク)はこのような共同体化の顕著な例と言えます。
 
他にも家庭であれば、現在は核家族化が進行し家庭が聖域化していると言われていますが、そんな中でも「シェアハウス」や「コレクティブハウス」(参照:リンク)のように元々は個別だった家庭が、進んで共同生活をするというような以前では無かった家族の形も増えてきています。
 
更に教育でも民間で、クラスを従来の横割り(同じ年齢で分ける)ではなく、縦割りにすることによって全人教育的効果を上げている学校(参照:リンク)もあります。
 
今後こうした動きはますます加速していくと考えられます。
 
この仮説を検証するにあたっては、以下の内容を追求していきたいと思います
共同体企業とは具体的にどんな企業なのでしょうか?
数が少ないとはいえ今も農村共同体は地方にありますが、農村共同体とは具体的にどのような集団なのでしょうか?
昔、農村共同体はどう維持されてきたのでしょうか?(規模・年齢構成etc)
江戸時代もあれだけ市場化されていたにも関わらず、現代とは違い共同体が強固に残っていたのは何故なのでしょうか?
共同体と似た特色を持つ集団は色々ありますが、それらでうまくいっているorうまくいかなかったポイントはどこにあるのでしょうか?
 
 
今回の仮説で、農やそれらを取り巻く集団がどのように変化していくのか、大きなイメージはつかめてきたのではないでしょうか。
 
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次回「農から始まる日本の再生シリーズ プロローグ2」では、農の再生がどのようにして日本の再生につながるのか、その仮説を提示していきます。 
次回もお楽しみに!

投稿者 tibatosi : 2011年09月24日 List   

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