【「新しい農のかたち」の実現に向けた政策提言】(9)みんなで支えていく仕組みづくり |
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2010年02月23日
地域住民一人一人が塾生・みんなで地域作り~秋津野塾~
こんばんは、まるいちです。
■今日は、全員参加の地域作り、地域活性化の成功事例として「和歌山県田辺市・秋津野塾」を紹介します。
この秋津野塾の地域作りは平成8年に「農林水産省主催の豊かな村づくり表彰事業」で天皇杯を受賞している、全国でも屈指の成功事例です。
実は、私は今月初めの2月3日~4日の奈良県農業指導士会「平成21年度県外先進地視察研修会」で、この秋津野塾の視察に行かせてもらいました。
この時の感想等を織り交ぜながら報告したいと思います。
秋津野塾HPからお借りしました。
■和歌山県田辺市上秋津地区 概要
人 口 世帯数1,100 人口3,350・・・人口増加が続く農村
位 置 田辺市の西に位置
紀伊田辺まで10分 阪和高速南紀田辺ICまで7分
白浜温泉・白浜空港まで20分
気 温 年平均16.5℃ 降水量1,650mm
●秋津野地区は、農村地区でありながら人口の流入が続いています。
昭和31年540戸、昭和60年600戸、平成15年は1,013戸、平成20年には1,100戸にまでなっています。
決して大都市近郊でもないのに人がどんどんあつまる地域の魅力はどこにあるのでしょうか?
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★全体の概要紹介・・・財団法人明日の日本を創る協会 ルポ より概要を引用します。
●この上秋津地区は「まちづくりの見本に」と全国各地から視察が相次いでいる。
農村と新興住宅街が混ざり合ったこの地域では、地域内二十四団体が加盟した地域づくり団体「秋津野塾」が、イベントから自主防災、教育、福祉、環境など、地域社会のさまざまな課題に取り組んでいる。住民が自ら、快適で暮らしやすいまちづくりを積極的に進める活動が高く評価され、一九九六年、農林水産祭むらづくり部門で、近畿地方で初めて天皇杯を受賞した。
さらに、二○○二年十月には、秋津野塾と和歌山大学が共同で、今後十年間の地域づくりの指針とする「マスタープラン」を作成。プランに沿ったまちづくリプロジェクトが動き出している。
秋津野塾の結成は九四年九月。それまで独自に活動してきた各種団体が、地域全体でまちづくりを進めるために連携した。 九六年の天皇杯受賞について、秋津野塾の初代塾長、谷中康雄さん(74)は「足元を見直し、誇りをもつという意識が地域住民に芽生えるきっかけになった」と振り返る。
公民館が秋津野塾の事務局になり、小中学校の「総合学習」にJA青年部や地域のサークルが出向くように手配したり、高齢者の生きがい対策など行政の事業を地域で請け負ったりしている。いわば、塾長が「首長」、事務局長が「助役」、各団体のトップが「部課長」で、田辺市の中に「もう一つの自治体」が存在するようなものだ。
●むらの気風と「共有財産」が土台
なぜ、全国から注目されるほどの「地域づくりの先進地」となったのか。その背景には、塾が結成される以前からあった「むらづくり」の気風と、地域で使える「共有財産」があるという、独特の地域事情がある。
上秋津地域では塾が結成される前から、新たに事業をしたり生活課題の解決に取り組んだりする時には組織をつくって話し合い、ものごとを決めるといった、むらづくり活動を展開してきた。 八九年、秋津野塾が結成される五年前には、若手の農業後継者や会社経営者らで「地域のこと、将来のことを自分たちで考えよう」と、「上秋津を考える会」が発足。いまでは、春の「花まつり」、盆と年末の「高尾山人文字ライトアップ」、冬の「高尾山登山マラソン」など、地域を元気づける主なイベントの企画実行を担当している。
秋津野塾が地域課題に総合的に取り組む連絡協議会とすれば、「考える会」は自由な発想と行動力で地域の活性化を図る、実行部隊となっている。
もう一つ、「愛郷会」という大きな存在がある。
和歌山県内には「愛郷会」「保郷会」という名前で、山林などの村の共有財産を保有管理する組織があるが、五○年代から六〇年代の「昭和の大合併」の時、先人から引き継がれてきた財産を処分して住民同士で分配し、解散する会が相次いだ。しかし、上秋津地域では、「社団法人」組織の愛郷会をつくり、財産を保全管理する道を選んだ。
学校のプールや若者広場の用地購入・確保に必要な資金を出したり、集会所のトイレの水洗化に補助費を提供したり。「マスタープラン」の作成も、愛郷会から資金援助があって初めて実現できたものだ。こうして今日まで、地域づくりを「財政面」から支え続けている。
●「生きがいづくりに」直販所「きてら」
上秋津地域に住む玉井公康さん(63)は、早朝四時半ごろから自宅の庭で野菜の収穫に精を出す。農家や地元住民らが自主運営している物産直売所「きてら」に出荷するためだ。本職は「土木建築会社社長」だが、野菜づくりは趣味を超えたライフワークになっている。
袋には、「玉井公康」という生産者名と価格を書いたシールを貼る。この日出荷したモロヘイヤ、シシトウ、オクラ、ピーマンなど十種類以上の野菜は、ほとんどが袋百円だ。「きてら」のオープンから五年、「玉井さんの野菜」を目当てに来る固定客もついた。「畑仕事は生きがい。お客さんに喜んでもらうためにも、できるだけたくさんの種類をつくるように頑張ります」と、玉井さんは日に焼けた顔で笑った。
「きてら」は、地元の産品を直接消費者に届けること、お年寄りらが丹精込めて作った野菜や農産加工品を販売することで、生きがい対策や地域の活性化を目的に、九九年にオープン。当初はプレハブ小屋で営業していだが、〇三年春、面積を倍増し、移転、新築して再スタートした。
秋津野塾の組織には入っていないが、地域づくりの一環として上秋津地域が力を入れて取り組んでいるうちの一つだ。出資者は六十八人で、当初の三十一人から倍増。出荷する人も、スタート時の約六十人から百七十人と三倍近くまで増えた。笠松泰充代表(63)は「売り上げが伸び、剰余金が出るようになれば、秋津野塾のイベントに補助金を出していきたい」と話す。
今年四月には、物産店のとなりに加工場も完成。地域の女性グループらが産品を使って加工品を作っているほか、今後、観光客らが加工品づくりを体験するスペースとしても活用する予定だ。
●課題解決に動き出す指針にそった地域づくり
まちづくりの実績が高く評価される一方、新たな課題も生まれている。
上秋津地域は一年を通して数十種類のミカンを収穫するミカン産地で、和歌山県が全国一の生産量を誇る梅の産地でもある。しかし近年、不況の影響や消費者離れによるミカンの価格下落、農家の高齢化による後継者問題が起こっている。また、田辺市のドーナツ化現象で新興住宅地が増え、以前からこの地に住んでいる人たちと新しい住民との交流や、自然景観の保全も大切な課題となっている。
そこで、これらの課題を解決し、十年先の地域づくりの目標とその達成のための指針として、秋津野塾と和歌山大学が完成させたのが、「上秋津マスタープラン21」だ。
同プランでは、とくに重点的な取り組みとして、地域通貨「あきつ」(仮称)をつくってボランティアをした人たちに発行し、上秋津産の農産物や商店で買い物できるようにすることや、生ごみのたい肥化などを挙げている。
プランに沿い、「きてら」に加工場をつくり、農産物に付加価値を付けて販売しているほか、生ごみのたい肥化やエコファーマーの認証制度についての学習会などが始まった。
秋津野塾の楠本健治塾長(62)は「マスタープランの実現に向けて、増え続ける住民とも連携し、協働しながら取り組んでいきたい」と話している。
■都市と地方のあらゆる格差が広がるなか、私どもの地域も例外ではありません。しかし嘆いてばかりで行動を起こさなければ追い込まれるばかりです。
私たちの暮らすこの地域には、都会では真似の出来ない、豊な自然、豊かな農業、歴史ある郷土文化、そして人情豊かな人達の営みがあります。
都市や、IT社会で無くしてしまった物が、ここには存在します。この豊かな地域資源を活かしグリーンツーリズム事業化し、地域を活性化に結びつく事業を行うのが、秋津野ガルテンであり、それを支える会社を地域住民の出資で設立しました。
秋津野ガルテンの運営会社 農業法人株式会社秋津野
秋津野ガルテン/
■現地を見て、㈱秋津野副社長のお話を聞いて感じた事は、とにかく「みんなでやる!」と言う辺りが成功の秘訣のように思いました。
旧住民も新住民も、農家も非農家も、そして老いも若きも、全員参加、手間も暇もかかるがしっかりと共認を形成していったところが凄いと思います。
同時にこれを支える社団法人上秋津愛郷会の存在も大きい。
全国のモデルに
昭和32年、町村合併後、和歌山県下に於いてはじめて社団法人を設立し、旧上秋津村有財産全てを、地区民に復帰、法人所有権を移し、全国に於いても初めての財産区の解消という画期的な仕事を実現、公益法人として運営に努力を重ね今年に至っています。
愛郷会とは?
上秋津だけではなく、和歌山県内の各地には、「愛郷会」「保郷会」という名のもとに、山林など村の共有財産を保有し、管理する組織があった。ところが、1950年代後半から1960年代にかけて│それは、「昭和の合併」と称された市町村合併時と重なる。各地で先人から引き継がれてきた財産を処分して、住民同士で分配し、山林を失い、会も消滅するところが相次いだなか、上秋津は今日までその活動は続き、地域貢献をはたしています
同様に地域内二十四団体が全て秋津野塾に加盟した統合化が図られている点も注目できます。
★母体となる組織の存在と地域内の組織化、統合化を実践して全員参加を実現したように思います。
●もう一つ、昭和の時代から現在に至るまで「地域作りの目標・目的」を柔軟に変えてきたのも成功の秘訣かもしれません。
以前は、農業生産性の向上や生活の豊かさ便利さをみんなで実現していく事を目的としていたようですが、最近は「食・農業・自然・環境」の保全と「教育」を母体にしているようです。
当然これは地域内の目標であり、同時に地域活性化の事業の中身でもあります。
⇒これらをキーワードに事業化しお客さんを呼ぶ、モノ作りをする。
●他にも、協力なコーディネーター役の存在、地域外応援団の存在も見逃せません。
;”>★人は、みんなで共通の課題を担い、協働し、地域に根ざし、生きていく・・・そうすれば、活力は再生し地域は活性化するのだ、と言う事に確信の持てる事例だと思います。
●●●最後まで読んでいただきありがとうございました●●●
投稿者 nara1958 : 2010年02月23日 TweetList
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コメント
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