2023年4月28日
2023年04月28日
【進化していく農法について考える】シリーズ4 アイガモ水稲同時作に学ぶ~自然と向き合い続けること
こんばんは☆
自然と向き合う農法として、今回は「アイガモ農法」を紹介します。
なぜこれをご紹介したいかというと、〇〇研究所といったお国(お上)先導ではなく、農家さん自身が志し、試行錯誤の実践をする中で創り上げてきた農法だからです!!
その農法を支える想いとは、一体どんなものでしょうか?
(さらに…)
投稿者 tanimitu : 2023年04月28日 Tweet
2023年04月28日
自然を通じた成長シリーズ⑧~先住民族・縄文人・インディアンに学ぶ~
2回前のシリーズ「自然を通じた成長シリーズ⑥~子どもの成長の根源である「同期(同調)力」の発達過程をたどる。~」(リンク)では、
>社会で求められる力の根源には、「人との同期」、「自然との同期」が極めて重要であり、幼少期・少年期にこそ『同期力』を育む機会を増やしていくことが重要<
ということが見えてきました。
それをもとに、前回は宮大工などの「職人」が見ている自然観・世界観に同化してみました。(リンク)
今回はさらに遡って、インディアンや縄文人の生き方・自然の捉え方から、私たちはどう生きるべきか、学んでいきたいと思います。
■グアテマラの先住民族
>「先進世界」が人間として多くの価値を失ってしまったことは明らかです。豊富な物資資源は、たくさんの若者に絶望をもたらしています。
共同体が必要としないものがありすぎ、そのために人類が破壊されてしまうのです。私たち先住民族は、科学者に知られていない技術も所有しています。これはたぶん良いことでしょう。
科学的な分析は、貧しい人びとの日常、とりわけ子どもに与える食料を求めて毎日闘い続ける人びとの経験とは、あまりにもかけ離れています。科学者の発明は、人類の大多数の基本的な必要に応えるものではありません。
>私たち先住民族は、生命、宇宙、男、女、そして自然について、「西洋」世界とは完全に異なるとらえかたをします。大地は、世界の野心的な人びとが望むような鉱物、石油その他の経済的な資源以上のものです。父なる太陽、母なる大地、祖母なる月は、生活と精神のすべてにかかわる存在です。大地は、文化のルーツであり母乳の源、あらゆる思想と精神の源なのです。
>大地は私たちの記憶を保持しており、へその緒が埋められているところです。私たちは何世代にもわたって大地を歩いてきました。そして子どもや孫が歩き続けられるために、母なる大地の世話をすべきなのです。
「先住民族女性リゴベルタ・メンチュウの挑戦」
https://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=87954より、引用。
■縄文人
画像はこちらからお借りしました。
>第1回 縄文人にとって自然とは
過酷な天災という自然外圧は、突然現われる神の訪れであったと見られ、又四季の変化は、人々に食料の恩恵を与える一方で、周期的に移り変わる自然環境として、日常的に適応すべき、不可避の外圧であったと見られる。
自然への恐怖、畏怖の念、そして台風が去った後の穏やかさを与える自然への感謝の念。自然には決して抗えない、生かされている意識、それらが我々日本人(かつては縄文人)の心に刻み込まれてきた。
⇒自然とは外圧であり、生きる根源である
>第6回 縄文人(日本人)の信仰とは対象へのあくなき同化
縄文時代のアニミズム(自然崇拝)に表れるように、その本質は対象へのあくなき同化です。
日本人の宗教とは祈りも誓いも含めて見えない対象(自然やその奥にある精霊)への同化追求の姿なのです。・・・つまり日本人の信仰心とは同化力の事なのです。・・・この信仰は日本語となり言霊となり現在にも引き継がれています。
⇒信仰=対象同化
「縄文体質とは何か(総集編)~日本人の精神的骨格である」
https://magokun.hatenablog.com/entry/2019/11/04/183437より引用。
■インディアンの教え
①イロコイ族
宇宙は三次元のクモの巣のようなもので、二本の糸が交差するすべての点が、ほかのあらゆる点と繋がっている。<大いなる生命の織物>のどの部分を触っても、かならずほかのあらゆる部分に影響を及ぼすだろう。ようするに、ありとあらゆる存在がつながっていて、ほかのあらゆる存在と関係し合っているということだ。だとしたら、私たちは宇宙の中で兄弟姉妹だとは言えまいか。
②ナヴァホ族
俺は大地の果てまで出かけてみた。俺は水の涸れ果てるところまで出かけてみた。俺は空がおしまいになるところまで出かけてみた。俺は山のつきるところまで出かけてみた。
そして、俺は自分の友でないものなど、ひとつも見かけなかった。
画像はこちらからお借りしました。
>インディアンと縄文人に共通するのは、全てはエネルギーを持ち、生きて動いており、繋がり合って影響し合って循環しているということ。
>相手と一体化したい、物事を上手くいかせたいと言いながら、自分だけ、その場だけ、目の前の相手だけ、目先の課題だけ・・・となりがちな私たちですが、「全ては動いて循環しているのだ」と捉えると、気持ちや行動が変わっていきそうです。
「縄文人の世界観~動いて循環しているからこそ世界は調和する」
http://bbs.jinruisi.net/blog/2022/09/6995.html
「一万年の旅路(ポーラ・アンダーウッド著:星川淳=訳)」より引用。
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★インディアンや縄文人が見ている自然観や世界観。そこに一歩でも近づくために、私たちはどう行動していけばいいのでしょうか?
現在の私達は身の回りにあるものに頼り、自分で何かを作り出さずとも生活できています。
・しかし、現実の仕事や自然外圧の中では全てが思い通りにいくばかりではなく、その時々で現実を受け入れ「どうする?」を試行錯誤することで初めて万物との一体化に近づくことができる。
・目の前で起こっていることだけに絞って考えるのではなく、過去~現在~未来と、どういう過程で起こっているのか、その時間軸や背景に想いを馳せる。
⇒本シリーズの追求から、そういった繋がりを学ぶことができました。
自然体験や田舎に移住するなど体験・体感する機会が増えている今、物事のエネルギーに直接触れることで自分達も活力を持つことができる。
目に見えるものだけにすがるのではなく、★見えないものこそ原動力があり、本来同化すべき対象ではないでしょうか。
投稿者 k-haruka : 2023年04月28日 Tweet
2023年04月28日
自然を通じた成長シリーズ⑦~万物に溶け込み、そして継承する~
現代社会に生きる我々は生活自体どんどん便利になってきている。
その一方で少なくないものを失ってしまった。それは悠然な自然美であったり、それを感じ取る感性、また地域で生きる共同体的風土。
様々なものが高度経済成長以降、人間本来の能力を封鎖してしまったといっても過言ではないのではないでしょうか。
そんな中で現代に生きる職人たちは、モノを慈しみ、自然を愛し、人に向き合う人間本来の『姿勢』がそこにはまだ根付いているのではないでしょうか?
そこで今回、
宮大工の棟梁であった西岡常一さん
日本刀を作る刀工・藤安将平さん
のお二人から自然観・世界観・人生観をを学んでいきたいと思います。
引用元はこちらになります
「 日本最古の木造建築を守ってきた想い 」
「 刀鍛冶 藤安将平さんにインタビュー 」
https://suigenkyo.com/articles-masahira-fujiyasu-interview/
【 モノづくりにおける視点 】
・西岡さん
>「木」を建築に使うなら、「木」だけを見ていてもダメで、「山」から見極める。
木が育った場所や環境を見て癖を見抜き、その生育環境のままに堂塔建立に使え、そのために山で木を見よ。
>千年以上も耐える建造物を造っている
>人間はすぐに利益をあげようとする。今の人は自分で生きていると思うていますが、自分が生きているんやなしに天地の間に命をもらっている木や草やほかの動物と同じように生かされているということ、それを深く理解せなあきません。
・藤安さん
>「人によって作られた痕跡を残さないこと」かな。自然に近い存在にしたいと思っています。山、海、空、そういったものを見て人間は美しいと感じると思います。いかにそれらに近づけるかをこだわっています。花が咲いて枯れるように、自然の中に刀が存在するようにしたいんです。古い刀を見ると、人が作っていることは間違いないんですけど、不思議と自然にできたもののような美しさがあるんですよね。
>現代社会ではすべての品物が非常に高度なテクニックで作り上げられていて、作り手の作ろうという意識が強すぎて見ていて疲れてしまいます。正直に言うとつまらないと感じてしまいます。季節によって気温、湿度、炭の質、火の表情すべての条件が異なる中で日本刀を作ります。
【 自然への同化~そのままを活かす 】
どの職人の方も100年なんなら1000年後世に残すという気持ちで取り組まれています。
特に西岡さん曰く
>木は大自然が生み育てた命ですがな。木は物ではありません。生きものです。人間もまた生きものですな。木も人も自然の分身ですがな。この物言わぬ木とよう話し合って、命ある建物に変えてやるのが大工の仕事ですわ。』
というように自然への同化。
山の斜面南向きなら大きく太い枝が伸び、節が多い。北なら節が少ない。
風が強ければ、風下側に流されて育ち、ねじれている。
だからこそ、これらを見極めて育てるからこそ、何百年と耐えうる建物を育てることができる。植生を見る、風を読む、風土に根付く。それが古来からの伝わる教えであり、知識なのだ。
それは藤安さんの言葉にも表れている。人によって作られた痕跡を残さない自然への感謝や畏怖、いろいろな感情が見て取れます。そこにこそ、我々の忘れてしまった自然への向き合い方があるのではないだろうか。
【 職人における仕事の姿勢~学び続ける心 】
それぞれの職人としてモノづくりの視点は違うにしても、共通する思いは、生涯学び続ける姿勢があること、そしてモノへの同化度合いが現代に生きる我々とは全く深度が違うということではないでしょうか。
大量生産の時代で便利でよければいい、汚れたら捨てたらいいではなく、人間も自然の一部であるからこそ、いかに自然と溶け込むかこのあたりに我々現代に生きる私たちが学ぶべき部分があるのでしょう。
【人材育成~見て真似る】
古来より師匠に弟子入りとなれば、ともに寝食を共にし、普段から生活を送っています。
しかしその中には指導というものはなく、本当に見て学ぶことなんです。
同じ空気、同じ目的、同じ視線を共有することが本当の意味での人材育成なのではないでしょうか。
【 現代に継承する 】
田舎暮らし、自然回帰、アウトドアブーム、農学校といった原点回帰の動き。
さらには新卒一括採用からジョブ型雇用など働き方における新たな動き。
それに伴う教育指導要領の変更など。国際競争力もこの30年で1位から31位へ転落といった経済状況の変化。
今までの常識が通用しない。
そんな移り行く世の中だからこそ
「状況に合わせて変えていく」
「ゼロからイチを生み出していく」
「相手の役に立ちたいいう想い」
今まさに我々に必要なものは机の上で学ぶことだけではなく、実際に体感・体験する=実学がカギになってくるだろう。
生きる力を育てること。
今だからこそ、今回紹介した職人を通して、我々は学ぶべき部分が大いにあるに違いない。
投稿者 ara-yu : 2023年04月28日 Tweet