2021年12月29日

2021年12月29日

「農業と政治」シリーズ 第3回 戦後の農協を作ったのはGHQではない 日本の政治家だった。

戦後はGHQによる農地改革がGHQの日本支配の3大骨格として教科書などでは記述されるが、他の2つはともかくとして農地改革はどうも事実としてGHQの明確な方針はなく実行部隊は日本人の中に居た。

和田博雄という人物がGHQと日本政府の間に立って、実質的な政策の立案、実行した。それはGHQの民主化を戦後復興の農業経済の再生に換骨奪胎させるものだった。ただ、GHQ側の本当の狙いは民主化という名の下、戦前の日本政府と強く繋がった農業会組織を解体させるためだけで、農地改革の中身も政策も明確に持っておらず、和田の考えを認める形で追認した。これがその後の農協の下地になっていった。戦後急速に日本は復興したが、復興のベースとなる食料の安定供給が予測をはるかに早く実現できたことも和田のような優秀な官僚、政治家がこの時期多く登場していた事を示唆している。下記の記述の中にそれを見ていきたい。和田の狙いは民主化ではなく、農業の健全な復興という極めて真っ当な自然な発想だった。

戦後の農協を考える上でこの時に建てた「経済ベース」と「小作農保護」が基本となっていったのではないか。いずれにせよGHQの政策によって農協が誕生したという事実はなかったという事を固定しておきたい。

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農地改革の真相-忘れられた戦後経済復興の最大の功労者、和田博雄

小作料が収穫物の半分を占める地主制のもとにある小作人の地位向上、自作農創設は戦前の農林官僚の悲願だった。それを実現したのが和田博雄(1903-1967)である。和田は戦後経済復興の政治舞台に彗星のように現れた。

無罪判決後、和田は保守政治家としては珍しい筋金入りの自作農主義者松村謙三農相の下農政局長となり、第一次農地改革に着手する。1945年10月幣原内閣の農林大臣となった松村謙三が就任直後の記者会見で「農地制度の基本は自作農をたくさん作ることだ」と発言したことが農地改革の発端である。GHQの指示はない。というよりこの時点でGHQは農地改革にあまり関心がなかった。農林省担当者による農地改革案の説明に対しGHQは”no objection”とのみ答えている。

農林省の対応は速かった。担当課である農政課の法律原案ができたのは松村の大臣就任のわずか4日後、国会への法案上程はその1カ月後、終戦からわずか4カ月後という異例のスピードであった。戦前からの農林省あげての周到な準備があったのである。当時の担当者によれば、その時々の政治情勢や大臣の意向に応じて何十通りもの案を農林省は持っていたという。その内容は

(1) 不在地主の所有地の全ておよび在村地主の5ha(大臣の案は1.5ha、農林省当局の説得により3ha、5回も行われた閣議での松本国務相の執拗な反対により5ha、このとき松村農相は涙したといわれる)の保有限度を超える農地を地主と小作人の直接交渉によって小作人に買い取らせる。地主が土地を解放する際地主と小作人との間で協議させ、まとまらない時は知事が’裁定’により農地の所有権を移す。

(2) 小作料の金納化

(3) 地主は小作人から自由に農地を取り上げていたが、今後は農地委員会の承認が必要。

和田局長は第一次農地改革についての意義を(1)農業構造の民主化(2)農業生産力の増大と並んで(3)農業の経済力拡大、資本蓄積によって海外市場を失った工業に対する国内市場の拡大、経済の再建を挙げている。当時、農業従事者は全就業者の5割を占めていたため、日本経済復興のためには農業の復興が必要であった。和田は農林省の局長でありながら、日本経済全体のことを考えていたのである。

和田は、昭和20年産米が大凶作(農林省は587万トンと公表)となり1千万人が餓死するという流説が飛び交うなかで未曾有の食糧危機を凌ぐとともに、与党の強い反対にも屈せずマッカーサー等GHQの信頼を得て戦前からの農林省の悲願であった自作農創設、小作農の地位向上を内容とする第二次農政改革を遂行した。

マッカーサーは農地改革を重要視したが、マッカーサーのものとして実施することを好まなかった。あくまで日本政府、和田農相の発案として国会に関連法案を提出し、実行するよう求めた。和田はGHQの後ろ盾を要求するが、GHQは応じなかった。このため、和田は農地改革に反対する与党自由党との折衝に大変な苦労をすることになる。次のようなやりとりが残されている。

(GHQ)ミスター和田、この改革案は、あらゆる国で制定されたもののうちで最もリベラルなものの1つだ。
(和田)自由党は、おそらく最も強く攻撃するだろう。
(GHQ)自由党が法案に反対するだろうことは、この法案がリベラルであることの証明である。

投稿者 tano : 2021年12月29日