2010年4月21日
2010年04月21日
資料編:江戸時代の植生
【共認社会の新しい農法とは?】(8) の「里山風景」に関する資料編です。
1◆郷帳(ごうちょう)に基づく山の内訳
「絵画に省略や誇張は付きもの。浮世絵が当時の禿山を伝えているとは限らないんじゃないの!」という突っ込みもありそうなので調べてみました。そしたら、江戸時代の状況を示す資料が、「『里地里山文化論 上 環境型社会の基礎と形成』養父志乃夫著・農文協発行」にありましたので、紹介します。
三代将軍:徳川家光は、石高を正確に把握するために村単位の石高を記した郷帳(ごうちょう)の作成を命じたそうです。なかでも江戸時代前期1600年代(正保年間)のものには、村に所属する山や芝山(草山)を絵図に描かせているようです。
その正保郷帳によって当時の植生を調べた水本邦彦氏によると、
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【平野部中心の河内や越中国の村々】
・山無し村が全体の60%
・刈敷や牛馬の餌を河川敷や土手・畦などで採取していた
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【山国である陸奥や信濃国】
・80%以上が山付き村
・刈敷や牛馬の餌を採取する草柴系が、約60%
・柴やカヤを採取する草木混在系が、約20%
・薪炭を採取する雑木系が、約20%
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と推測されるそうです。
2◆史料と聞き取り調査による山の内訳
江戸時代後期の林野国土利用を調べた藤田佳久氏・有薗正一郎氏らによると、
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《本州以南の里山》
・刈敷や牛馬の餌を採取する草柴系が、国土全体の約12%
・雑木とマツの混交樹林が約25%
・薪炭や建材などを得るマツを中心とした針葉樹林が約22%
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林のうち雑木林は38%(約1,400万ha)で、草柴系の12%(約450万ha)と合わせると、ヒトが食料やエネルギーや生活資材を得るために、国土の約50%を活用していたといいます。
後半は、図版を多用しながら江戸時代の里山風景を検証していきます。
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投稿者 staff : 2010年04月21日 Tweet