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2010年04月20日

【共認社会の新しい農法とは?】(8)人間社会と生態系の関係(2)~江戸時代に豊かな循環社会が形成されたのは何故か?~

前回は、「(7)人間社会と生態系の関係~古代文明から学ぶもの~」で【砂漠になったメソポタミア文明】と【ナイルの恵みを捨てた現代エジプト】について扱いました。
今回は、「森林をよみがえらせた江戸時代の循環社会」について見ていきたいと思います。
意外なことに、緑成す日本の自然は連綿と続いてきたわけではなかったようです。
「日本は【植物国家】(1)」
となるには、それ相当の施策がとられたからです。

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浮世絵をみるとはげ山の歴史が分かる・・・

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◆万葉集に見る森林伐採の歴史

「わが皇子日の御子が、藤原の地で国をお治めにならうと、御殿を高く営まれようと、神にましますままにお思いになるにつれて、天地も相寄ってお仕えしているので、近江の田上山のヒノキの角材を宇治川に流しているから、それを取ろうと入り乱れて働く御民も、家をもおのが身をもまったく忘れてカモのように水に浮いていて、泉川に持ってきた真木の角材を、いかだに作って川をさかのぼらせているのだろう。その働きをみると、じつに大君は、神そのままでいられるようだ」
(万葉集「藤原宮の役民の作る歌」)

例によって、西洋と同様に都造営のためや燃料のために木を切りまくっていたのです。
そのため、下の年表にあるような数多くの施策を講じざるを得ませんでした。禿山問題は、思った以上に早い時期から発生していたのです。

【砂防事業関係史】
白雉28年( 677)・[天武天皇5]勅令により南渕山、細川山(岐阜県)の伐採禁止
大宝元年( 701)・大宝律令制定、治山課役の制度が確立
和銅3年( 710)・伐木を禁じた守山戸を置いた山地保護開始
大同元年( 806)・河岸の林木伐採禁止令
天文11年(1542)・武田信玄の治水事業開始
慶長8年(1603)・加藤清正の治水事業開始
万治3年(1660)・木根堀取禁止と被害か所の土砂留、苗木植付を命じた
寛文6年(1666)・幕府は「諸国山川掟の令」を発布
貞享元年(1684)・再び「山川掟の令」を発布
        ・京都町奉行所に土砂留奉行の設置
        ・大和川、淀川流域の土砂留工事の開始
貞享4年(1687)・治水普請課役の設置、土砂方による水源地の巡視
元禄13年(1700)・福山藩で砂留工事の開始
天明2年(1782)・瀬戸の代官所に山方係の設置、砂防植樹制度を開設
明治元年(1868)・太政官による治河使の設置
明治6年(1873)・淀川水源砂防法条例設置
        ・オランダ技師、ヨハネス・デレーケら来日
明治11年(1878)・木曽川、淀川の直轄砂防工事着手
明治30年(1897)・砂防法の制定
田上の山々


 
▲琵琶湖岸の田上山の事例(国交省の記事より)

奈良時代の森林伐採によるダメージを回復するために、明治11年にオランダ技師・ヨハネス・デレーケらによって着手された砂防工事をもってしても、森林の回復には多年を要しました。

◆新田開発(刈敷農業)が、さらに里山荒廃をもたらした
日本の場合は、さらに農業用地確保のための新田開発を平安時代から延々と続けてきたことも山林にダメージを与えました。
初期の水田稲作は、河口近くの湿地や沼地を利用しましたが、それが頭打ちになると、上流の谷地へと向かいました。「谷地田(ヤチダ)」は、伏流水が湧き出したばかりの小川を水源とするため、蒸発濃縮が十分でないので貧栄養です。
それを補うために、水田に投入するための有機資材を柴草に求めた「刈敷農業」がなされました。草刈や柴刈りで山の有機資材を持ち去れば、山の養分は枯渇して草も木もはえなくなります。その結果が「山林の荒廃・山崩れ・洪水」でした。
このようにして戦国時代の里山は荒廃し、その多くの山林は戦乱の収まった江戸時代になっても簡単には回復しなかったようです。その典型的なものが「田上山の事例」というわけです。

◆意外な顛末:江戸時代に豊かな循環社会が形成されたのは何故か?
一般に、都市化は自然環境にダメージを与えます。そのような意味では、物質循環における負の要因となりかねません。ところが、江戸時代は豊かな循環社会を可能にしました。
そのキーワードは、 都市部の糞尿・草木灰、 干鰯(ホシカ)、 鳥です。
江戸時代に豊かな循環社会がなぜ形成されたのか、上記のキーワードを元に具体的に見てゆきましょう。

都市部の糞尿・草木灰は買い取られて肥料として近郊農地に投入された。それらの有機物質は、河川を経て海に至り海を豊かにした。
      
干鰯(ホシカ)は鰯から灯明用の油を絞った後のカスだが、それを肥料として農地に投入する流れが出来た。それが重力で海底に滞りがちな栄養素を物質循環にのせることになった。また、干鰯が刈敷に取って代わる事で里山のダメージは減った。
鳥は海や里の水田の小動物や植物の種を食べて奥山で糞をする。これが貧栄養化しがちな奥山に栄養素をもたらし、同時に植物の進出をうながした。(*中国の朱鷺保護センターの事例では、1羽を飼育するために1日当たり約500g、年間約181kgの水性生物や昆虫が必要だそうです。鳥は、意外と大食漢です。)

▲画像は「地球生態系」で暮らそう 槌田敦著 P.167より
これらのことが相俟って、禿山は徐々に回復していったというのです。この話のポイントは、この時代の人々が特に「物質循環」や「森林回復」を目指して無理をしたのではなく、『誰もがささやかな利益を追求することが、自然に合った生活に繋がった』ということです。
前回記事で扱ったメソポタミア・エジプトの例では、市場での利益を望むあまり、過剰に収奪して循環サイクルを破壊し尽していました。それに対して、「投入」するという考え方を持っていた江戸の社会では、見事に循環を復活させることに成功しました。
つまり、物質の流れを知り、それぞれが適度な利益追求にとどまれば、人間社会と自然界の両立は十分可能なのです。今から江戸の社会に戻ることはできませんが、この話は、次代の社会をどうしたらいいか? を考える上で参考になりそうです。この点を踏まえて、次回は、「有機肥料と不耕起で作る豊かな農地」を扱います。
     by びん

投稿者 staff : 2010年04月20日 List   

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