2010年3月16日

2010年03月16日

【共認社会の新しい農法とは?】(2)生命とはどういう存在なのか?

【共認社会の新しい農法とは?】(1)プロローグ
に続きます、雅無乱 です。
前回のプロローグでは、

   農業は自然の摂理の下で行われている人間の生業。
   どんなに人間にとって都合の良いシステムを考え出しても、
   それが自然の摂理に反していれば「持続可能」な農業にはなり得ません。
そう考えると、農業政策や農法の行き着く先は
「自然の摂理と人間の営みの合致」と言っても過言ではないでしょう。
では、その自然の摂理とはどのようなものか?

とあった。
今回は自然の摂理に合致した農業を模索する前提として、「自然の摂理の本質とは何か?」その中での「生命とはどういう存在なのか?」を追求してみたい。

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プロローグでは、『「地球生態学」で暮らそう』(槌田敦著)という書籍を参考に進めていく…としたが、生命を「エンジン」に例えたり、エントロピーの増大を「毒素が増える」という比喩を使って表現するなど、著者が独自に定義した概念や独自の解釈を用いて説明されているので、普遍的な「自然の摂理」「生命の原理」を確認するのにふさわしくないと感じた。
ここは、より普遍的な地平(みんなが納得できる認識)に向けて、この著書は一旦横に置いて、ゼロから追求を始めたい。

(さらに…)

投稿者 nanbanandeya : 2010年03月16日