農が育む新しい教育シリーズ2. ~農を通した人間教育 愛農学園高校 |
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2011年10月22日
農から始まる日本の再生シリーズ3 ~先人に学ぶ食の有り様<保存食編>~
画像は、とある農家の物語さんよりお借りしました。
皆さん、こんにちは 😀
今日から「農から始まる日本の再生シリーズ」のプロローグ1・2において取り上げてきた仮説群を実証し、本格的な実現に向けて追求を深めて行きたいと思います。
早速ですが、先日面白い記事を拝見しましたので、その記事からご紹介したいと思います。
● 1日996キロカロリーでは2日間で音を上げてしまう!?
すでに、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、農水省のHP(08年5月号の記事)に、読売新聞が2008年2月5日から1面でスタートさせた連載「食ショック」を取り上げています。
読売新聞の記者が、わずか4日間ながら日本の輸入がストップした場合の食生活を再現した記事です。
そこに書かれていた内容は、日本の食料自給率(39%)に当て嵌め、現在、国民1人当たりに供給されている1日のエネルギー(熱量)2548キロ・カロリーのうち、国産食材が供給できるエネルギーは996キロ・カロリーと想定し、そのカロリーに見合った食事(芋や1日にご飯1杯等)を取っていたのですが、わずか2日間で音を上げてしまうというものでした。
この記事自体、食糧危機を煽るだけで「このような食事しか取れないのは困るでしょ?だから、昨今話題になっているTPPに加盟しなきゃ?」と誘導しようとする動きに思えてなりません。
仮に日本の食糧自給率の低さに焦点を当てるならば、その食糧自給率を上げる為にどうすべきかを考える必要があると思います。
しかし、食糧自給率を上げる事だけに焦点を当てて考えると、例えば、輸入がストップすると食糧自給率は100%になる為、食糧危機を迎えた際の問題解決にはなりません。
※現在の計算式(カロリーベース総合食料自給率=1人1日当たり国産供給熱量(946kcal)/1人1日当たり供給熱量(2,458kcal)=39% 輸入がストップすれば食べる物は国産だけになる為)
そこで、今、考えるべきは、今後経済破局を迎えた際に世界経済が崩壊し食料輸入が停止する事を想定し、輸入がストップした際に日本では何を食べるのか?何を生産すれば良いかのを考えていく事が重要であると考えました。
まずは、過去の歴史を遡り、貿易に頼っていなかった時代はどうだったのか?歴史構造を知る事で、今後の突破口が見えてくるのではないかと考えています。
それでは、日本の食文化の歴史について考えていきたいと思います。
続きに行く前に応援よろしくお願いします。
●奈良~室町時代は800~900キロカロリーだった!!
(拡大して見て下さいね )
上図は、日本の歴史上で、どんな食事をしてきたかを表した図になります。
過去の歴史を遡ってみると、外来から来た食材も日本の風土に合わせ改良しながら、日本国内で生産し、日本にある食材を使って食事をしてきた事が見て取れます。
一般に、数多くの文献を見ていくと自然外圧や律令制が始まった奈良時代以降、いつの時代も農民達は役人から虐げられ、食る物に困っていたという内容も見受けられます。
また、冒頭の事例にあった2日間で音を上げたカロリーと同等の奈良時代や室町時代であっても、様々な食材を食べてきた事が見て取れます。
更に、下図の人口増加グラフを見ると、弥生時代以降一環して人口が増えてきた事が分かります。
このことから、食べ物に困った先人達は、少ない量でも体内エネルギーに変える事が出来る日本古来の食に関する創意工夫によって乗り越えてきたとみて間違い有りません。
そこで、次は一体どんな工夫があったのか?詳しく見て行きたいと思います。
●日本の食文化は、自然外圧を受け入れ保存食を作り出す創意工夫があった!!
歴史を遡れば、現代よりも自然や貧困の圧力等の外圧が厳しい事が容易に想像できます。食べる物が限られ、厳しい外圧に適応する為、時には同じ物を分け合いながら食べ続けていた事もあったと思います。
だからこそ、私達日本人はそのような環境下において以下のような保存食を作り出してきました。
(拡大して見て下さいね )
全国各地で、数百年、数千年前から塩漬け、酢漬け、醤油漬け、発酵、干す、焼く、蒸す、(味噌、寒露)煮る、燻す、凍結、糖蔵といった技術や気候・季節の変化等自然の摂理を通して多くの事を学んできました。
そして、何度も失敗を塗り重ねながら、保存や食べ方という工夫=答えを導き出して来ました。
例えば、春は苦味の食材が良い、夏は水気のある食材が良い、土用はぬめりの食材が良い、秋は中が白い食材が良い、冬は乾物が良い等もその結果出てきた先人達の知恵だと思います。
その結果、天災による不作時期や冬場等の収穫量が少なくなる時期を如何に乗り越えるか、各地の気候・風土に適した日本食が出来上がってきたのです。
(日本の食生活全集さんより引用)
●先人達の想いに同化し、突破口を導き出す
しかし、なんで、先人達はこのような保存食を作り出せたのでしょうか?
文献を読んでも食に関する詳しい記述が無く、「たまたま見つけた」という内容が多かったのですが、
果たしてそうなのでしょうか?
先人達が保存食を作り出せた構造については、「ヘ.人類:極限時代の観念機能」 よりご紹介させていただきます。
>足の指が先祖返りして、それ以前の獣たちと同様、足で枝を掴むことが出来なくなったカタワのサル=人類は、樹上に棲めるという本能上の武器を失った結果、想像を絶する様な過酷な自然圧力・外敵圧力に直面した。そこで、本能上の武器を失った人類は、残された共認機能を唯一の武器として、自然圧力・外敵圧力に対応し、そうすることによって、共認機能(≒知能)を更に著しく発達させた。
極限状況の中で、人類は直面する現実対象=自分たちを遥かに超えた超越存在たる自然を畏れ敬い、現実対象=自然に対して自分たちの生存(=危機からの脱出)への期待を込め、自然が応望してくれる事を切実に願った。つまり、人類は直面する過酷な現実対象=自然を凝視し続ける中で、元来は同類を対象とする共認機能を自然に対して作動させ、自然との期待・応望=共認を試みたのである。
そして遂に、感覚に映る自然(ex. 一本一本の木)の奥に、応望すべき相手=期待に応えてくれる相手=精霊を措定する(=見る)。人類が万物の背後に見たこの精霊こそ、人類最初の観念であり、人類固有の観念機能の原点である。直面する現実対象(例えば自然)の背後に精霊を見るのも、物理法則を見るのも、基本的には全く同じ認識回路であり、従って精霊信仰こそ科学認識=事実認識(何なら、事実信仰と呼んでも良い)の原点なのである。かくして人類は、生存課題の全てを本能⇒共認⇒観念(精霊信仰)へと先端収束させる事によって、観念機能(→二〇〇万年前の言語機能を含む)を発達させ、その事実認識の蓄積によって生存様式(生産様式)を進化させていった。 (引用終了)
先人達は、どう抗っても太刀打ちする事が出来ない自然に対する畏敬の念を持っていました。
だから、「この食材を最初に食べた人凄いな」と思えるような物も、先人達が自然に対する感謝の想いや自然の恵みに対する有り難さ等を持っていたからこそ、最後迄残さず頂こうと食べ始めたのではないかと想います。
また、全国にこれほど多様な生産様式が出来上がったのも、自然に関する畏敬の念から現実直視を続ける中で学んだ自然の摂理を知り得たからだと想います。
このように過酷な極限状況下では、個人では到底太刀打ち出来る訳がなく、集団課題として捉え、常に「どうする?」を皆が考え、どんな困難な課題も徹底した現実直視で突破口を導きだしてきました。
ここまでを図解にまとめると以下になります。
『過酷な自然圧力・外敵圧力⇒自然に対する畏敬の想い⇒現実直視(精霊信仰)⇒自然の摂理を学ぶ→食の保存を確立』
最後に
改めて冒頭の事例を振り返って見ると、シュミレーションで出された1日ご飯1合やさつまいも1本等、
カロリー計算のみに基づいて事例紹介するのは、おかしいという事が分かっていただけたのではないでしょうか。
マスコミから垂れ流される情報だけで判断するのではなく、むしろ、食糧危機に備え私達自身がどのような対策を事前にしておくかが重要だと思います。
だからこそ、私達自身が先人達に同化し、自然に適応する形で生み出してきた保存食等の技術の蓄積や先人達が作り上げてきた自然への感謝の想い(肯定視)や(自然の摂理に基づく)技術を素直に学ぶ姿勢が重要だと思います。
次回もお楽しみに~
【参照投稿】
・身土不二(その人が生まれ育った国や地方でできた食べ物が、その人の身体に最もふさわしい)に即し、当時言葉にはなっていなかったが、「医は農に、農は自然に学べ」という「医食農同源」という考え方をもっていた。
( るいネット「医食農同源」 )
・人間は土しか作れない。先人達はそれだけ謙虚な想いがあった。
( るいネット「百姓と自然が数百年をかけて、土を作り上げてきた」 )
・昔の人は、栄養学も知らないのに現代人よりも元気で、何を食べれば良いかを知っていた
(「健康のための人間読本」 )
これまで、追求してきた内容はこちら・・・
農から始まる日本の再生シリーズ プロローグ1~再生の実現基盤を歴史に学ぶ~
農から始まる日本の再生シリーズ プロローグ2~農がもつ他面的機能が日本を再生していく~
投稿者 shiogai : 2011年10月22日 TweetList
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