『農業全書に学ぶ』シリーズ5 集団を守る備蓄の仕組み ~危機に備えるネットワークづくり~ |
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2014年01月23日
なぜ日本人は赤とんぼが好きなのか?
赤とんぼが飛んでいる風景を思い浮かべてみると、どこか懐かしい感じがしませんか?
日本の原風景の一つとして赤とんぼがありますが、近代化が進んだ現代の都市部では、あまり見かけなくなりました。
日本の原風景には学ぶべき点が多いと思います。現代の農 の考え方も見つめなおす必要があるのかもしれません。
~以下引用~
◆なぜ日本人は赤とんぼが好きなのか
日本人のほとんどが、赤とんぼに対して、共通のイメージを抱いているかのように見えるのはなぜだろうか。秋の夕空 に群れ飛ぶ赤とんぼのはかないイメージは郷愁にも似た感情を引きおこす。それは田んぼが開かれたときからの、農耕民としての文化ではないかと思う。いや、こういう表現はわかりにくい。こう言い換えたらどうだろうか。稲・米への感謝が、赤とんぼにも込められた、と。
◆赤とんぼの出生を知らない百姓
今では多くの日本人は、赤とんぼが田んぼで生まれていることすら、知らない。若い百姓でも知らない人が多い。もちろんひところ、赤とんぼがいなくなった時期があった。赤とんぼにとって受難の時代は、一九五〇年代から始まった。農薬の登場に代表される「近代化技術」の時代だ。赤とんぼは一九六五年から一九八〇年にかけて、農薬の影響で、激減してしまった。
小学校の教科書にも「赤とんぼは川や池で生まれます」と堂々と嘘が書かれるようになっても、誰も訂正しようとはしない時代になってしまった。それは単に田んぼの赤とんぼの激減だけが原因だろうか。百姓の目を赤とんぼからそらしてしまう「何か」が強くなったからだと思う。
◆「農業生物」という考え方
ドジョウやメダカ、ゲンゴロウは水田が産卵場だし、コウノトリもトキも田んぼが主な餌場だった。それでこれらの生き物を「農業生物」と名づけたい。これらの生き物が、田んぼで育つ生き物であることを、現代人の多くが知らないからだ。そして知らないことは、もったいないこと、罪深いことだと思うからだ。「農業生物」を、自分たちの「タカラモノ」だと、まず百姓が認知する。農政もそれをきちんと評価する。さらに社会全体の「タカラモノ」として、消費者も納得するような運動が必要だと思う。
◆赤とんぼの復権
農業の近代化が進むにつれて、メダカやエビやホタルはいなくなってしまった。もう子どもたちは小川で、魚とりをすることすらできなくなった。農業生物さえ住めないような環境は、人間にとっても決していいものではない。農業生物は人間が、まともに暮らせるかどうかの「指標」の役目を果たすようになってしまった。懐かしさだけで、赤とんぼに代表される農業生物をよみがえらせようというのではない。また農業の再評価のためだけに、赤とんぼを復活させようというのでもない。赤とんぼは人間が永続的にくらしていける環境と社会をつくるための「使者」なのかもしれない。そういう意味で農業生物に注ぐ、暖かいまなざし は新しい文化になるだろう。
~引用終わり~
いかがでしたか?日本の原風景を考えれば、日本の農は変わっていくのではないでしょうか。
☆前回の虫シリーズです☆是非ご覧下さい。
【コラム☆】~F1種の危険性:ミツバチはなぜ消えたのか?~
http://blog.new-agriculture.com/blog/2011/11/001289.html
農を身近に★あぐり通信vol.8:『カエルの合唱』が消える日
http://blog.new-agriculture.com/blog/2013/08/001438.html
引用元
著書 :田んぼの忘れもの
著作者:宇根 豊
出版社:葦書房
出版年:1996年7月
投稿者 ITIKI : 2014年01月23日 TweetList
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