シリーズ「自給期待に応える食と医と健康」(5)日本人に適した食材と料理を陰陽学から考える! |
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2013年12月12日
農を身近に★あぐり通信vol.15:園舎も囲われた敷地も遊具もない「森の幼稚園」~お母さんたちの手で始まった自然体験幼児教育
デンマークにて始まった、森の幼稚園
画像はこちらからお借りしました。
当初は、ママさんグループから始まった活動(育児)が、「五感を使った自然体験」として、現在、世界中から注目されているようです。
遊具や道具がなくても、自然が微妙に変化する様子、そして、つながりを持った活動・現象すべてが教材となります。
自然の力、そして、人間の自然への同化能力の高さは無限大であり、自然(農)の多面的価値を再度、認識し、生活の中に活かしていく必要があるのでしょうね。
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「ドイツの『森の幼稚園』」参照
■一人のお母さんからはじまった
園舎も、囲われた敷地も、備え付けの遊具もない「森の幼稚園」。子どもたちは、一年中、四季を通して森の中。枯れ枝や、落ち葉などを使って、想像力のおもむくまま自由に遊びます。
今から約50年前、森の幼稚園の生みの親となったデンマークのエラ・フラタウ(Ella Flatau)という女性は、自分の子どもを毎日近くの森に連れて遊んでいました。それを見ていた近所の人たちは、当時幼稚園が不足していたこともあって、「彼女に自分たちの子どもも預けていっしょに面倒を見てもらってはどうか」と考えました。やがて彼女の周りに住んでいた小さな子どもを持つ親たちは、自主運営によるヨーロッパで最初の『森の幼稚園』を開園しました。
ドイツでは、1968年にウルスラ・スーべ(Ursula Sube)という女性が有志の親たちと協力して、ドイツで最初の森の幼稚園を開園しましたが、1990年代の初めまで、森の幼稚園の数はごくわずかで、その存在は世間からほとんど知られていませんでした。
1991年、ケースティン・イェプセン(Kerstin Jebsen)とペトラ・イェーガー(Petra Jager)という2人の幼稚園の先生は、ある教育専門誌でデンマークの森の幼稚園に関する記事を読み、大変感銘を受けたといいます。
2人は、デンマークで研修を受けた後、1993年、北ドイツのフレンスブルクにドイツで最初に公認の森の幼稚園を設立しました。このフレンスブルクの幼稚園が行った熱心な広報活動により、そのアイデアはドイツ中に広がり、1990年代半ば過ぎから、ドイツ各地で森の幼稚園が開園しています。
現在その数はドイツ全土で300以上にものぼります。
■五感を使った自然体験の重要性
森のなかでの遊びは危険がつきものです。子どもたちは体をつかって自分の限界を学びます。また、その限界を乗り越えたときの喜びは、自分に対する大きな自信となります。想像力、身体能力、精神と体のバランス、社会性が同時に養われるのです。四季の移り変わりを体で感じることができるのも森の幼稚園の特色でしょう。
森の幼稚園に通った子どもは、普通の幼稚園を出た子どもより発育(特に学習の能力)に遅れが出るのでは、と心配する声もあります。しかし、ダルムシュタット教育大学教授ローランド・ゲオルゲス(Roland Georges)が行った調査によれば、両者で発育レベルに差はほとんどありません。学校に入ってからの成長を見てみると、森の幼稚園出の子どもの方が、学習面、社会行動、身体の能力とさまざまな面で成長がいい、という結果が出ています。森の中で遊ぶことで培われた想像力、集中力、我慢強さ、精神と体のバランス、社会性などが子どもの後々の成長にとって大切であることを、この学術調査は肯定しています。
森の幼稚園は、子どもたちが五感を使って自然を体験すること、そしてそのためのプログラムの柔軟性を重視しています。「五感による自然体験」は、環境教育においてもっとも重要だとされる過程のひとつです。
子どもたちは、物事を理解する前に、まず見たり触ったり五感を使って体験します。そうした中、自然にでてくる興味や疑問が、後々のしっかりとした理解につながるのです。「小さいころに五感を使って学んだことは大人になってからも忘れない」。フライブルクのエコステーションをはじめとする多くの環境教育の施設、団体が教育理念として掲げています。
同時に、子どもたちの自然体験は帰宅後に両親や祖父母など家族で共有されます。「子どもが大人、特に両親を教育する」という側面も環境行政にとっては重要です(参考文献のMichel, M. Suzanne 1998)。
「森のようちえんとは」参照
「創造力」は無条件に養われます。子どもはどこででも遊ぶ訳ではありません。多くの子は森に行くと最初は遊べないのです。友達が遊ぶ姿をただ見ています。しかしいつのまにか松の葉がそうめんになり、ほうの葉っぱがお皿になり、そして遊べるようになるのです。
「体力」卒園児の並んだお風呂の後姿がなんとも美しかった事!つくべき所についた筋肉、余分についてないゼイ肉(汗 ピッコロの森の坂道を毎日何往復もしているのですからね。
「危険予知能力」子どもたちは大人が想像している以上に周辺の環境に気をつけていると感じます。元ピッコロ保護者の看護師さん曰く「ピッコロの子は怪我をしない」と。学校キャンプや登山に同行している彼女は同行の子どもたちのバランスの悪さ、危険予知能力のなさに驚かれていました。転んでも転び方もうまい、腹筋を使うので後頭部は滅多に打ちませんし、手も出ます。
「多様性」森で同じ物/同じ形はありません。人間も同様です。その中で子どもたちが生活するという事、そしてもし「あの子より大きな葉っぱをみつけたい」と思えば、その可能性が無限にあるという事。
「科学する心」川で長靴が濡れました。早く乾かしたい子は日なたに置きます。なぜ日なただと乾くのだろう、科学する心とはこんな所から芽生えます。
「揺れる心」私は自然環境の中ではこれがとても大きいと思います。「触ろうか、触ってみたいけど、どうしよう、でも触ってみよう」「飛ぼう」も「登ろう」も同じです。自然環境の中ではこのような事が起こりやすい、そして心が揺れたあと自分で決断します。自分の力でスイッチを入れるのです。誰に決められた訳でもなく「自分で」、これが大切です。この「できた」「できた」の積み重ねが自分を信じる力につながってほしいのです。
もちろん「五感」も働きます。
「体験教育」子どもたちはよく知っています。「これ(笹)はね、この線(ふし)のところで折らないと折れないの」「すすきはぐるぐる回すととれるんだよ」幼児は動きながら学ぶと言われています。体が育たないと脳も育たないそうです。
森はゆったり見守る余裕を大人に持たせてくれます。室内でギャーギャー泣かれるとさすがに泣きやませたいと思うのが人間の心理だと思います。森ではどんなに泣いていても泣き声が気にならない、森に吸い込まれマッチしているように聞こえる時さえあります。
そして何より私が好きな時間は森で不思議な物をみつけた時子どもたちといつまでもジーっと見られるトキ。それはいつも静かで少し緊張し、何かに包まれているような感じ。この瞬間がすべての幸せを集めるような気さえします。子どもたちはその事自体は忘れると思いますが、何かが積もっていてほしいと思っています。
もう1つスウェーデンのデータです。森のようちえんの歴史の長い国ですからデータもあります。信用できるものかは個人の考えにお任せしますが、幼児期を野外で過ごした子は以下の項目ですべてすぐれていました。「指示を繰り返す必要がない」「衝動的でない」「落ち着きがある」「注意力がある」「いらつきがない」「目を見て話す」私は自分で体験した事以外、あまり信じられないタチなのですが、確かにピッコロで感じる事は何度も指示を出さなくても子どもが動くという事です。保育をしたことがある方でしたらびっくりされると思います。
投稿者 staff : 2013年12月12日 TweetList
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