シリーズ”茶のチカラ 3”お茶に求められるものとは?消費から、日本人にとってのお茶を考え直す。 |
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2013年07月29日
【コラム】嗚呼、素晴らしき煎茶
シリーズ『茶のチカラ』と題して、茶の歴史から現状までご紹介してまいりましたが、今回はちょっと一服 入れて頂くのに丁度良い、お茶受け話をしたいと思います。
何を隠そう、私たちも茶農家の端くれであります 丹精込めて作ったお茶の 素晴らしさを 、もっと知って頂きたい
そんなわけで、お茶(煎茶)の素晴らしさをご紹介します
まず、煎茶はいつからあるのか?どこから来たのか?探っていきましょう。
江戸時代は 庶民もお茶を楽しめる ようになった時代でした。又、江戸時代にはお茶の生産が大きく進展した時代でした。(ただ現在の煎茶ではなく煎じたお茶です。)
江戸時代の茶の本「本朝食鑑」(著者 人見必大)によれば 、江戸中期には抹茶は宇治以外に産地がないが煎茶は各地に産地がきています。 「江戸で販売される煎茶は駿州(静岡)・信州(長野)・野州(埼玉)・奥州(東北)の産である。」と書かれているように例えば産地と江戸の庶民など消費地と産地の間にお茶の生産関係ができ始めています。 (ただ現在の煎茶ではなく煎じたお茶です。) また、「近頃江東(東京都墨田川の東岸)では朝食前に煎じ茶を飲む、特に婦女が多いとしている」という様に、各地に煎茶が普及しお茶が全国に広がりお茶が庶民にも飲めるようになりました。 (ただ現在の煎茶ではなく煎じたお茶です。)
京都の篤農家永谷宗円が1738年、蒸し製煎茶と言われるそれまでとは違って 格段の差 がある高品質をもった新しいお茶を 開発 しました。 それまでは煎茶は新しい葉や古い葉、固くなった芽などを煮てから釜を使って作ったといいますが、硬葉や老葉の混じらない良い生葉を用いて蒸しほいろで揉み乾かし、色青く、香味ともに良い製品を作りました。 宗円は要するに煎じ茶のよしあしは、蒸し方と揉み方と乾燥により決まると言っています。
それまでのお茶は茶色だったのですが、宗円のお茶はみずみずしい緑色だったことから青製と呼ばれ、それに対してそれまでのお茶は黒製と呼ばれました。宗円はこの煎茶を江戸の茶商に売ってもらい大評判を取りました。
庶民は、どうお茶を飲んでいたのでしょうか?江戸後期の国学者前田夏蔭の著作「木の芽説」によれば、「今日ではどんな貧しい家でも、朝夕これを煮ぬ家もなく、四六時中これを汲まぬ人はいない。」とあります。 誰でもが好きな時にお茶を楽しんで飲めるようになっていたという証です。
明治時代には沢山の茶業書が刊行され日本茶の製茶技術は大変進歩し、(もちろん蒸し機などは機械ではありませんが)ほぼ現在飲まれている煎茶の製茶法が完成しました。
「開透流製茶製造法」松下勘十(静岡県小笠郡小笠町 明治22年刊 国立国会図書館蔵
「改良製茶法」斎藤市蔵(静岡県阿部郡、明治39年刊、国立国会図書館蔵)
「栽茶説」杉田晋
「製茶手引」永谷重賢(煎茶の祖と言われる永谷宋園の孫)
「茶製家必携」田中清佐衛門
(京都府相楽郡 明治18年刊 国立国会図書館蔵
「緑茶製造法」江澤長作 (静岡県島田市 明治23年刊 国立国会図書館蔵)
「製茶図解」彦根藩 (明治4年)
このように明治時代には沢山の茶業書が書かれほぼ現代に近い煎茶の製茶法が完成され、それと同時に海外へ〈主にアメリカ〉へ輸出されました。1878年には流通市場に上がったほとんどの緑茶が輸出にまわされ、その量は中国緑茶の倍以上でした。1884年には高林謙三が生茶葉蒸器、焙茶器、製茶摩擦器を発明し、15年後には粗揉機をつくって半機械製茶時代を招来させました。1890年にはパリの万国博覧会に日本茶宣伝のため喫茶店を開設しました。
また明治以降、急須が茶の間に普及しました。明治時代の煎茶法の完成と大々的な生産と輸出のあと、現在の日本緑茶(煎茶)は庶民に行き渡るようになりました。
この様にして、現在の煎茶(緑茶)が完成したわけですが、注目したいのは、江戸時代(鎖国時代)に原型が開発され、完成に至っている点であり、煎茶は日本独自の茶であるという事です
最後に、世界に誇る煎茶の特徴(素晴らしさ)について紹介させて頂きます。
1.「鮮度」を保ち、「半なま」を保ちながら揉むという製造技術の高さ。
鮮度のよい食材を好む日本人のために技術を極めたのが、日本の緑茶の大きな特徴です。多くの日本人は、緑茶は茶葉も茶液もグリーンが当たり前だと思っているかもしれませんが、それこそが世界に誇れる、高品質な茶の製造技術です。例えば茶の原産地中国でもほとんどの人が緑茶を飲んでいますが、その茶液は茶色く、青々としたフレッシュな香りはありません。少し、想像してください。ほうれん草を乾燥させたいのに、わざわざ蒸してほうれん草に水分を足してから、4時間もかけてもう一度乾かすような作業が日本の緑茶製造なのです。摘んだ新芽をただ力まかせに乾燥するのではなく、人肌(34~35℃)を保ちながら時間をかけ、揉み方を調節しながら乾燥させる工程こそ、青い茶の葉っぱを独特の香気を持った日本のお茶にする特殊技術だと言えます。
2.お湯の温度調節し、引き出したいお茶の味を変えて行く繊細さ。
世界中の喫茶文化をみても、お湯の温度でお茶の味に差を出そうする人たちはどこにもいません。今でこそ中国茶や紅茶も温度の微調節をするようになりましたが、それら全ては、日本のお茶の淹れ方から影響を受けたものです。また、イギリスのアフタヌーンティーは、茶道の影響を受けたと言われています。さらに、湯温で味を“引き出す”と書いたように、お茶に何かの味をプラスして新しい味を作りだすのではなく、茶葉本来が持っている味の一部分ずつを、淹れ手の技術で引き出し、味わい分けるという高度な感覚を愉しんでいます。
お茶の博物館http://www.kaburagien.co.jp/museum/index.php
お茶うけ屋http://ochaukeya.com/ より引用させて頂きました。
投稿者 staff : 2013年07月29日 TweetList
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