【コラム】原発事故周辺の農産物は安全か?・・・被害を受けている農家の所得を 補償し支えるのは東電と原発を容認してきた政治家や学者では? |
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2013年01月01日
農における業態革命まとめ1~自給期待に応える新たな業態を提起する
あけましておめでとうございます
画像は、こちらから⇒リンク
年明け第一弾は、農業の業態革命シリーズ最終回をお送りします
本日と明日の2回にわたってこれまでの記事を振り返り、本ブログメンバーが考えるこれからの新しい農業のかたちを提起したいと思います。
1.農業に業態革命が求められている
本シリーズでは、8/12のなんでや劇場を踏まえて、「農業は本当にもうからないのか?」について、成功事例に学び、追求してきました。
★5つの成功事例のポイント
『わらび座』
⇒核商品としての演劇を起点として地元に全員営業することで、演劇、教育活動共にファンの組織化を実現。
『モクモク手作りファーム』
⇒核商品のソーセージ直売→加工体験を軸に生産側(農家)と消費側(ファン)の組織化を実現。いかに集客するかが現在でも核となっている。
『和郷園』
⇒直売販路開拓を生命線とし、契約販売という流通のさせ方とニーズに応えるカタチでブランド化を達成。この引力で組合農家の統合を実現。
『マイファーム』
⇒借りた農地そのものを核商品とし、都市近郊住民をファンとして取り込む。農業指導役採用も地元農地オーナーのNWを利用し、情報を得ている。
『グリーンファーム』
⇒生産者の敷居を低くすることで、多数の生産者を組織化→商品数多数により、買物のテーマパーク化を実現。■農における業態革命~ プロローグ 5つの成功事例から学ぶ ~
上記の企業群は、農業が儲からないといわれている中、農業に参入し、成果を上げてきました。
では、その秘訣をより深く見ていきましょう
そのポイントは、『需要発から供給発への共認原理への転換を軸とする ①商品開発・技術開発、②農家の組織化、③販路の開拓(消費者の組織化)の3点セット 』を実現したという点にあります。
「今や農業はつくるだけではどうしようもなく、販売と組織化を実現しない限り、もはや突破できない。そして、そういう発想を持って外部から参入してきた、ある一群の企業だけが成功を収めている。
これは、農の業態から見れば、全く異質である。つまり、農においても物的生産から類的生産へと業態革命が不可欠な段階に来ていることを表している。もはや従来のつくるだけでは絶対に成立しない時代を迎えている。
この認識転換ができていない限り、農の世界で勝てるはずもない。農の経営において求められるのは、物的生産から類的生産への頭の切り替えである。」
★農における業態革命~ VOI.1 供給発への認識転換⇒技術開発、農家の組織化、販路の開拓の3点セットが基本構造 ~
工業生産品に象徴されるような物的生産は、豊かさが実現して以降、急速に縮小しつつあります。そしてモノではないサービスに象徴される類的生産が求められる時代となってきています。その意味で、巷で言われる「六次産業化」という概念は、従来、生産のみに意識が向かいがちの農業に加工や販売を促す意味では新しいですが、物的生産から類的生産へと業態そのものを変えること=そうでなければ突破できないというのが事の本質なのです。
その業態革命の実現基盤は、人々の意識の変化 にありました。
2.私権から共認へ。そして自給期待の高まりが業態革命の実現基盤。
ここで70年以降の人々の意識潮流を概観してみます。
70~80年代 豊かさの実現⇔高度経済成長への逆行(潜在的な現代社会への違和感からの逃避)
ex.ヒッピー バブル期=市場が拡大し、残存する私権圧力も強い →多くの人は自給よりも、私権獲得に注力する。
→ 心底では私権から共認へ移行しているが顕在的な私権の残存圧力により自給志向は大きな潮流とはならず、現実逃避的なムーブメントにとどまった。
90年代 バブル崩壊 →私権圧力の衰弱
私権圧力が下がるも、※支配観念(私権第一の価値観)は残ったまま
→お金を儲ければ豊かになる、という考えと実態のズレが生じ始め、得体の知れない不全感が蓄積していく。(実現論第4部「場と主体のズレ」)
10年代 私権圧力も下がりきり、市場の拡大も見込めない。311を契機に統合階級への不信感≒アンチ意識が顕在化する。
→「自分たちでどうにかしなければ」と再び自給志向への可能性が膨らみ、収束し始める
★70、80年代と2010年代との決定的な違いとは私権獲得=市場拡大の余地があるかないかというところにある。自給志向も、現実逃避よりも現実直視の新たな可能性収束として顕在化してきた。
という風な流れが見えてきました。
この流れから、「このままではいけない=これまでのやり方では通用しないのだ」という既存の業態そのものまで捉えなおす動きが生じているとも感じます。
★農における業態革命~ VOL.2 農業の業態革命のきっかけ。自給志向が高まってきたのはなんで? ~
70年、豊かさの実現を経て以降、私権(地位、身分、お金)は第一価値ではなくなり、共認充足が第一価値となりました。それは必然的に共認形成の場を牛耳るマスコミの共認支配を生み出しました。しかし、311以降、マスコミや政治家などこれまでの統合階級への不信感が顕在化しつつあります
そして、みんな発の想いは統合階級のアンチの想いに留まらず、「自ら探索し、事実をつかみたい 」「自分たちで場を作っていきたい 」≒共認形成をしていきたいという自給期待として顕在化してきています
従って今後は「どれだけ共認充足を生み出せるかが第一価値」となっています。それは言い換えればマスコミに代わる共認形成の場をどう構築していくかという課題でもあるのです。
本当にみんなが求めている「自給期待」とは、集団・社会全体が「自給自足」「食の安心・安全」を実現し、そして未来には、それを支える新しい社会・集団(共同体社会)を実現していくことにあります。
★農における業態革命~VOL.3 幻想と見える「自給期待」は新たな、かつ、巨大な需要源~
この潮流そのものが、農業においても業態革命の実現基盤としてあるのです。
3.幻想と見える自給期待や自習期待は、実は新たな、かつ巨大な需要源
しかし、自給期待そのものを捉えれば、消費抑制、市場縮小という外圧の上昇とも見て取れます。市場で戦わなければならない企業群にとっては一見、逆境とも思えます。
自給期待という概念は「これまでのように統合階級に任せてはおけない」というアンチと私権ではなく共認へという深い位相での共同体への収束の潮流だと捉えました。
これは、「自分たちで場を作っていかねばならない」「自ら探索し、事実をつかまねばならない」といったカタチで徐々に顕在化しつつあるのだと思います。
一方で、この潮流を経済原理的に見ると、例えば市場においては「無駄遣いはしない」「ブランド戦略にはだまされない」「信用ならないので既存流通は使わない」「必要か否かで判断する」という風に消費は抑制≒需要の縮小と見れます。
実際、こうした状況を見て政府も学者も「なんとか縮小した需要を喚起する」「ニッチを探す」といった方針を取っています。しかし、以下の認識は衝撃的でした。
>自習期待や自給期待は明らかにあるのだから、それにぴったりの新しい業態さえ供給できれば、次々と実現していくと考えられる。
>つまり、幻想と見える自給期待や自習期待は、実は新たな、かつ巨大な需要源なのである。したがって、供給者が新しい業態をつくり上げ、供給する体制をつくりさえすれば、それらの幻想期待は直ちに実現されていく。
RE)一見、幻想と見える「自給期待」は実は、新たな、かつ、巨大な需要源
★農における業態革命~VOL.3 幻想と見える「自給期待」は新たな、かつ、巨大な需要源~
一見、幻想であり、市場のパイは縮小しているという見方は、これまでの業態の中で考えているからであり、意識潮流をつかみ構造化することで期待の中身を掴むことで突破できる。そしてそれに見合った新たな業態を供給することで次々と実現してゆく。
つまり期待は新たな需要の「源」なのだという認識です。
新たな業態を実現していくには、人々の言葉にならない想い≒意識潮流を探り、どれだけ深く捉え、応えられるかにかかっていることが分かってきました
つまり、この自給期待に応えるカタチで、どれだけ共認充足を生み出せるか≒共認形成の場を供給していけるか。これを農業を行う中でどう商品化し、供給していくか、実現していくか。
その一事例として、当ブログが考える一つのかたちを明日の記事で具体的に提示したいと思います 😀
投稿者 megu3 : 2013年01月01日 TweetList
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