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2012年10月16日

★農における業態革命~ VOL.2 農業の業態革命のきっかけ。自給志向が高まってきたのはなんで? ~

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★農における業態革命~ VOI.1 供給発への認識転換⇒技術開発、農家の組織化、販路の開拓の3点セットが基本構造 ~では、5つの成功事例の共通ポイントを押さえ、基本構造を解読しました。
その結果、今まで歴史的、慣習的に縛られていた農村に異業種からの参入があり、成功している企業にはこれまでの農業から業態が変化し、成功しているという構造があることに気づきました。
その背景にあるのは自給することに対する期待=自給志向のよう。
でも、そもそも「自給志向」ってナニ? 🙁 どこから生まれてきたの? と思いませんか?
そこで、るいネットに掲載されている記事
を元に、自給志向について考えてみたいと思います
◆業態革命の背景:自給志向はどこから出てきているのか。

自給志向、自習志向は、その背後に、市場からの脱却≒自給自足的なイメージが孕まれている。とりわけ311以降、この流れが強く顕在化してきた。
70年のヒッピーは、自給志向的、あるいは共同体志向的であり、ややこれに近い雰囲気を持っていた。つまり自給志向や自習志向は、豊かさが実現された時から、既に登場していた潮流である。


ここで早速「自給志向」という概念が出てきましたが、「豊かさの実現」というキーワードから考えてみます
日本における「豊かさの実現」は1970年に三種の神器 と呼ばれた家電製品がほぼ全国民に行き渡ったことからも伺えますね。
高度経済成長第一の価値観≒私権第一の価値観の元では、環境破壊や共同体の解体 根無し草の個人の増大という現象を生みました。
しかし、この時代に、それまでの高度経済成長第一の価値観に逆行するカタチである人たちが現れました。
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それまでの高度経済成長第一の価値観に逆行するカタチで現れたのは、ヒッピーのひとたち。
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発祥地であるアメリカでは、加えてベトナム戦争からの帰還兵士による精神疾患の増加もあいまってヒーリングや、ドラッグ文化など現実逃避的ムーブメントも起こっています。
これらの心底で共通するのは
私権第一の価値観の元に失われた、共認充足を再び求める動きです
その可能性収束先に「自然回帰」や「共同体回帰」という潮流が生まれ、ヒッピーはその一つのカタチとして若者の間にムーブメントを起こしたようです
ここでいう自給自足的なニュアンスは、私権に変わる新たな可能性の模索と見ることもできます。市場社会ではお金さえあればなんでも手に入りますが、それではもはや充足しきれない。
その不足するものを仲間との共同生活や自然や旅などに求めたのがヒッピーの本質であるし、これが、70年代に生じた自給志向だったのではないでしょうか 🙄
◆今まで大きな潮流とならなかった自給志向が、11年以降急速に顕在化したのはなぜ?

70年の段階で既に市場の終焉は明らかであったが、その当時、99.9%の人々は、そんなことは夢にも気づかず、市場は薔薇色だと思っていた。実際、70年代、80年代は、まだ伸びる余地は残っていた。しかし、さすがに85年、伸びる余地が無くなってくると、金融経済に舵を切り数字上だけの誤魔化しの経済成長を続けてきた。
それが08年リーマンショックに始まって、今回の311をきっかけに、市場の終焉が潜在思念的にほぼ共認された。つまり、70年代・80年代と10年代の決定的な違いは、ここにある。


若者の間に広がった自給志向は、大きな潮流となることはありませんでした
それは一体なぜでしょう?
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1970年代、一定の豊かさが実現されましたが、市場を延命するための列島改造計画などが国家をあげて行われました。
またその時は私権時代の価値観やそれに基づく制度は現実に残存しており、一定の私権圧力は働き続けていました。
つまり、国家的には経済大国となり、一般大衆にとっては豊かさが一定実現し、さらに私権獲得の可能性が開かれた時代とも言えます。
国家の借金による無理やりの経済成長はやがてバブル を引き起こし、このような社会では潜在的な私権価値の忌避よりも顕在的な私権獲得の引力が上回ります。
結果、人々は得体の知れない非充足感を感じながらも、私権獲得にまい進していきました。
確かに、お金があって贅沢なことをしても、本当に充足感を得られるかどうかは別問題
大事なのは、それをすることが自分にとってカタチだけではなく本当の充足を得られるかということですよね 😮
しかしその当時はお金を使って豊かな生活をすることが充足に繋がると思っていたようです
ですから、このような環境はやがて「自分探しの旅 」や「やりがい重視 」、フリーターの増加、そして鬱病の増加や癒しブーム、IターンやUターンといった現象も引き起こしてきました(これらは現実の私権社会に対する弱者の逃避であるという見方も否定はできません)。
つまり、70年代に生じた自給志向が大きな潮流とならなかったのは、残存する私権圧力の引力や私権観念のほうが強かったからだと言えます。
しかし、そのような状態は長く続く訳がありません。
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90年代にバブルが崩壊 し、さらにはリーマンショックなどを経て、いよいよ市場における私権獲得はこれ以上続かないということが明らかになってきました
70、80年代と10年代の決定的な違いとは、私権獲得=市場拡大の余地があるかないかというところにあります。だからこそ、自給志向は現実逃避よりも現実直視の新たな可能性収束として再び顕在化してきたのです。近年の「農業」への注目の背景にもこの自給志向が大きく関与しているのではないでしょうか。
◆市場の終焉を迎え、市場からの脱却というベクトルが生まれる→統合階級へのアンチの介在

市場の終焉を迎えて、統合階級は何をしているかといえば、とことん大衆からむしり取ることばかりしている。今回の消費税増税も、TPPも、何もかもそうである。この期に及んで、金貸しと配下の統合階級がやっていることは、とことん大衆から搾り取って自分たちの権力の延命を図ることばかりである。そうならば、もう市場から脱却してしまえ、というベクトルが生じてきたのも当然だろう。
従って、311以降、自給志向や自習志向が急激に高まってきたのは、直接的には、この支配階級からのアンチが決定的なファクターとして介在している。


市場は拡大し続けるという風に大衆に思いこませていたのは政治家や学者、マスコミですが、311の原発事故を受けて、大衆側が気づき始めたことがあります
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それは「これまでの統合階級に任せていてはダメなのではないか という意識です
マスコミの情報に関しても全ては鵜呑みにはできないと考える人が増えています。例えば食品の安全、安心への高まりなど、311以降、ツイッター などで独自に情報収集する人も増加しています。
この不信感は深いところで「統合階級へのアンチ 」というファクターとして存在しています。
しかし、お上捨象意識の強い日本人は、アンチ=体制破壊とはならず、「統合階級はあてにならない」「自ら考えていかねば」「自らが供給していかねば」という動きとなっています。
これが現在の自給志向の動きではないでしょうか。
まとめると

70~80年代
豊かさの実現⇔高度経済成長への逆行(潜在的な現代社会への違和感からの逃避)
ex.ヒッピー
バブル期=市場が拡大し、私権圧力も強い
→多くの人は自給よりも、私権獲得に注力する。
90年代バブル崩壊 →私権圧力の衰弱
私権圧力が下がるも、※支配観念(私権第一の価値観)は残ったまま
→お金を儲ければ豊かになる、という考えと実態のズレが生じ始め、不全感を抱く。
10年代私権圧力も下がりきり、市場の拡大も見込めない。統合階級へも期待できない
→「自分たちでどうにかしなければ」と自給志向への可能性が膨らみ、収束し始める

という風な流れが見えてきました。
この流れから、「このままではいけない=これまでのやり方では通用しないのだ」という既存の業態そのものまで捉えなおす動きが生じているとも感じます。

※支配観念とは?
まとめで、支配観念という言葉が出てきましたが、ここで簡単に支配観念とは何かをお伝えします。
・支配観念とは、金融資本家(=金貸し)が大衆を自分たちの思惑通りに動かすために用いた(作った)観念のことです。よく言われる「近代思想(自由・人権・愛etc)」とかがこれに含まれます。
・金貸し達の思惑は「市場拡大」。そのためには大衆・国家全体を市場拡大・私権追求に向かわせる必要があります。近代思想に収束すればするほど、私権意識は増大していきます。
(Ex.「人権」に収束するほど「○○してくれないのは人権侵害だ」「○○してもらう権利がある!」と声高に自分のためのサービス・利益を当然のように要求するようになる 等)
市場拡大は、人々の私権意識を土台に成立しているので、人々が私権に収束する程に市場は拡大していきます(逆に、70年代のように、豊かさが実現し私権が衰弱すると、市場は縮小していくんですね)。


◆おわりに

しかし、これがアンチだけでは全く実現可能性につながらない。重要なのは、アンチを貫いてもっと基底部に可能性収束していると言える実現基盤があるか否かである。


ここでも述べている通り、今後市場社会が終焉しアンチ市場派が登場してきた際、アンチの思いだけでは全く改善の方向に向かいません
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アンチの姿勢を貫きつつ、その基盤にはより良い方向へ向かうための実現可能性を持っていなくては意味が無い。
では、その実現基盤とは、一体どんなものなのでしょうか
Vol.3に続きます!

投稿者 ASITATE : 2012年10月16日 List   

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