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2011年11月28日

農が育む教育シリーズ4.子供の人格形成は、遊びや行事を通じた仲間関係から始まる~きのくに子どもの村

「農が育む新しい教育シリーズ」も今回で4回目になります。
プロローグでは、 「子供の人格形成は、小中学生時からの遊びやクラブ・学校行事を通じた仲間関係が一番大事」 と書きました。
今回は、正に遊びや学校行事を通じて、大人になっても十分社会人として通用する子供を育てようと実践している学校法人「きのくに子どもの村」 を紹介したいと思います。
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1.きのくに子どもの村の概要
「学校法人きのくに子どもの村学園」は、1992年、和歌山県橋本市でスタート、戦後はじめて文部科学省から学校法人として認可された自由な学校だ。
 現在は、きのくに子どもの村小中学校、かつやま子どもの村小中学校(福井県)、南アルプス子どもの村小学校(山梨県)、北九州子どもの村中学校(福岡県)、きのくに国際高等専修学校(和歌山県)があり、約300人の子どもたちが寮生活を送りながら学んでいる。
 子どもは自分のしたい活動をよく考えて、その年のクラスを選びます。授業の多くが体験学習にあてられ、どのクラスも異年齢学級。 2011年度、小学校では「工務店」「きのくにファーム」「おもしろ料理店」「劇団きのくに」「クラフト・ショップ」「よくばり菜園」、中学校では「動植物研究所」「道具製作所」「ミュージカル・シアターきのくに」「わらじ組」「きのくに資料館」「自然研究室」「ドン・ファーマー」「劇団バッカス」「子どもの村アカデミー」のクラスがある。
 1977年に学校づくりをスタートさせてから15年、その間、研究会(会員制)に参加した会員は400名余り、合宿やミニスクールに参加した生徒の数は700名、地元の人や行政、さらには資金面で企業(ミキハウス)の協力もあって、国内外の教育関係者やマスコミからも注目される程、多くの人の力が合わさってできた学校である
2.教師も一緒に学ぶ仲間
きのくには「先生」と呼ばれる人がいない。これは、学園設立準備の時からの大前提らしい。それで教師としての権威は保てるのか?と周りからはずいぶん問われたが、実際、教師を勤めた人は、「やりずらいことは少しもない、子どもと同じ地平に立って、気持ちが通じ合う喜びをたっぷりと味わっている」と実感を語る
たいていの子は、大人を「さん」付けや愛称で呼ぶ。最初は戸惑う子もずいぶんいるらしいが、心のどこかに抱いている怖い存在としての教師像から解放されると、同じ目線で物事を捉え、考えるようになる
創設者の堀氏は次のように語る。

日本の教師たちは、なぜ徒弟関係でもないのに先生と呼び合うのだろう。それには、たぶん別の目的があるのだろう。それは、教師集団が子どもに対して、みずからの威厳と権威を保持するための手段なのではないだろうか
>権威者であることをつねに誇示しなくてはならない。そこで、従う側に心理的効果を与えるために、主種様々の儀式が考え出される。権威者の方も、なかなかしんどいのだ。」

実際、①教員免許があること、②運転免許があること、③伴侶または決まった相手があること、④酒が飲めること、⑤理想が高くないこと、が教員の採用条件で、最近では③と④もくずれているらしい。ともかく、こだわりが強い先生ほど厄介な存在であると、長年の経験から学んできたのであろう。
何故、権威的な先生が駄目なのか?について、 「時代認識・状況認識が活力を創る。」
(るいネットより引用)では次のように述べています。

実際、今までの時代の”研究”の最終目的は、便利な道具や機械=”物”を作り出す事だったし、同じように、先生と呼ばれてきた人達(政治家・経済等の文系の研究者、評論家・学校の教師)の目的も、個々人及び集団(企業・地域・国家)の私権(金、地位・名誉、或いは軍事力)確保が第一にあって、その延長線上で豊かさ・便利さを実現する、という事だったのだと思う。
時代の期待(=社会の期待)が、私権確保と豊かさ・便利さ追求にあれば、期待に応え、これを実現してくれる人達は”先生”と呼ばれ、活力を得られたのだと思う。

しかし、’1970年以降、貧困の消滅→豊かさの実現→私権統合の崩壊(社会も会社も家庭もガタガタ)と同時に、それらの目的は無くなってしまい”先生”の魅力も同時に無くなり、権威は完全に失墜してしまったのである。
3.社会性の基礎は遊びから始まる(農を通じて基礎を学ぶ)
次に、実際の授業の様子について紹介します。下の時間割を見れば分かるように、きのくにの学習活動で最も重視されているのはプロジェクトである。例えば93年度は、どのクラスも週14時間もある。子どもたちが自分達で決め、遊び、それぞれの能力や興味や発達段階に合わせて、手や足を使って具体的な課題に取り組むことを通して、様々な力を身につけてもらおうというというのがこのプロジェクトのねらいである。
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また、プロジェクトとは別に「基礎学習」(ことばと数)という時間があり、主として国語と算数に相当する事を学ぶ。また、プロジェクトにも国語や算数の内容を組込みながら総合的に力を伸ばそうという訳である。
具体的には「別荘づくり」というプロジェクトがあると、その中に以下のような算数の学習を組み込むのである。
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これらのプロジェクトを授業に組み込んだ背景について、堀氏は次のように述べている。

現実の学校はどうかというと、かなり社会と学校がかけ離れていると思います。学歴社会は崩壊してしまったのに、依然として学校では受験勉強中心の勉強が続いているのです。私は今、就職活動をしていますが、学歴など見ている会社はほとんど無いといえるでしょう。むしろ、学歴を重視する会社は生き残れないと思いますが…
このような事態にたいして、なぜ学校が対応できないのか?それは、先生が社会人で無いからである。先生は、ほとんどが先生になるために教職課程を取り、教育実習をして…先生になるのです。つまり、就職活動などするわけ無いし、会社で働く時に何が必要なのかまったくわかっていないのです。そのため、そのような先生に教わったところで社会の実際の仕組みなどわかることもできないので、興味を持たない
何かおかしくないですか?社会に生徒をおくりだすためにある学校では、社会のことは学べないのです。(先生が社会をしらないので、)

子供たちにとって、遊びは現実の課題である。仲間からの期待を受け、それに応える力を身に付けることによって現実の課題を突破していく。大人になると、対象が仲間から社会へと広がっていくだけで、課題を突破する為に先ず必要な能力は、この期待応合関係を如何に築けるかなのである。
4.生活に密着した課題圧力が、創造的かつ自立的な集団運営能力を育む
受験中心の教育では、実物や具体的な生活からかけはなれた抽象的な知識の暗記が強いられる。子供達は、創造的な知的体験の喜びを知らないまま大きくなる。つまり、自分で問題を見つけ、注意深く観察し、仮設を立て、実践的に確かめ、うまくいかなければ、仮設を立て直して検証する、という経験がとても乏しい のだ。その結果が、公式を忘れたら途方に暮れる子供であり、入学試験に合格したとたんに、ため込んだ知識を解約してしまう大学生である。
きのくにでは、教科書だけに頼らないで、遊びや課題への取り組みを通して、生きる喜びを味あわせ、情緒の安定を図るとともに、創造性や探求能力の基礎を養おうとしている。また、対人関係に於いても、これらの経験は生きてくる。取り組みを通じて得られる喜びを共有することによって、お互いの自我を封鎖し、力をあわせる事の必要性と有用性を学んでいく。こうやって、彼らは自らの生きる場を自らで運営できるだけの力を身につけていくのである。
実際、プロジェクトで決定される物事は、全員参加で行われる。子供も大人も同じ土俵で議論する。教師の方で決めてしまうよりも、この方がはるかに意味があるのである。例えば、議長を務めるのは子供からの有志であり、多数決で強引に物事を決めることはない。自分達の生活にとって大切なことについて、中身のある議論を重ね、全員合意のもとで決定されるのである。
このように、きのくにが実践している教育は、我々が経験してきた戦後教育と形だけの民主主義とは正反対のものだ。にも関わらず、子供たちは生き生きと、しかも社会生活する上での基本的な関係能力、創造力、追求力を身に付けていくことができる仕組みを「きのくに」が作ってきたことは、これからの教育現場を考える上で非常に参考になる事例である。

投稿者 staff : 2011年11月28日 List   

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