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2010年03月27日

最良の肥料の選択とは?

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こんにちは~
日本の農業史シリーズ第4弾
今回は肥料の歴史に注目していきたいと想います
肥料はいつからなんの為に使うようになったのか?
今後の農法にとって適切な施肥とはなんなのか?を追求していきたいと想います!
続きをいく前にいつものお願いします!

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ありがとうございます
早速縄文時代から追求していきたいと想います!

『縄文時代』
漁労、採取、狩猟が主で、食料の主体となったのは量の多いクリやクルミ、トチの実など食用植物の採集でした
既に縄文前期には自生する植物や野生植物の一部に対して管理することを学習している
さらに先進地では、大陸から伝来してきた稲をはじめとする作物の栽培に取り組みはじめ、次第に全国に波及していき、次の農耕時代の素地を醸成していった
・縄文時代はまだ肥料は使っていませんでした。
『弥生時代』
縄文時代晩期の寒冷な気候によって、危機に瀕していた採集、狩猟、漁労による生活を、水稲をはじめとする農耕を中心とする生活に転換し、食料の安定確保を図ったのである。灌漑システムを伴った稲作が急下kいに伝播し、弥生中期には東北北部にまで到達している。以後、現在まで、稲作はわが国農業の中核である地平を譲ることはなかった。
・弥生時代もまだ肥料は使っていませんでした。
『古墳時代』
縄文時代から弥生時代を通じて、多くの作物が伝来し栽培されるようになったが、古墳時代には引き続き新しい作物が導入されている。農具などもさらに改良され、畜力を利用するようになった。
・古墳時代は農具の進化はするものの肥料にまではまだ至っていませんでした。
『飛鳥・奈良時代』
律令制の始まり
①これまで豪族が私有していた土地や人民をすべて国家の公地、公民とする。豪族には別に食封などを支給する。
②中央、地方の行政区画を定め、交通の制度を整える。
③戸籍、計帳を作り班田収授法をしく。
④新たな租税制度を確立する。
国が戸籍を作り、計帳という戸口台帳をもとに、六歳以上男子に口分田として田を2段ずつあてがい口分田の使用とそこからの収益を許し、収穫の3%の税金を課していた。
しかし、人口に対して口分田が足りない⇒開墾を奨励⇒三世一身法
三世一身法とは、新しく開墾した土地にあっては三代まで開墾者の土地であるという法であるが、当時の開墾は貴族、有力者が中心で一般農民は零細な開墾しかできなかったことと、三世代目ではもう先が長くないので活力がでなかった。
⇒墾田永年私財法
全国的に開田が推進されたが、実際に開墾を進めたのは地方豪族や、国司と結びついた中央貴族、及び大寺院であった。
こっれらの広大な私有地を管理すし、私有地から収穫される収穫物を保管する建物として「荘」が必要になる。この私有地と荘を一緒にして荘園という。
・この頃になると柴草やレンゲソウを肥料としてすき込んでいた。
なんのために肥料が必要になったのか?
⇒この頃にはそれまで穂首刈りだった収穫方法が、根刈りに完全に移行し始める。その
結果穂首刈りの頃では根が肥料の役割を果たしていたのに、根刈りにより根部分を日常品に使うことにより土地が少しずつやせ始める。
⇒他の土地から持ってきた草で補う

『平安時代』
荘園が発達していった間に、貴族や領主の手元に集められた鉄製の優秀な農具は次第に地方農民の間に普及し、牛馬を使用した農作業が広まっていった。
・田には山野の草とそれを灰にしたものを肥料として入れていた。また、牛馬を使用したことから次第に厩肥も用いられた。
『鎌倉時代』
鎌倉時代は、農民の努力と大名領主の奨励や農業技術の発達によって、農業生産力が一層向上した。二毛作が普及し、水稲の品種や畑作物の種類が多様化し、灌漑用水の管理がすすみ、施肥が工夫され、、鉄製農具と蓄力利用が普及していった。
・二毛作により一層土地がやせてくるので施肥の需要が高まる。
肥料の種類としては、草木を焼いた灰(肥灰)、若芽を田に鋤きこむ刈敷や、牛馬に踏ませた厩肥などが多く利用された。
この頃あたりから自集団の食べる分の生産ではなく、それ以上の生産を迫られることが次第に強くなっていく。

『室町~江戸時代』
農具の発明や改良によって労働量が軽減されたため、その分の労働力を他の商品作物の栽培に向けることができるようになった。
・この時代には油粕や干鰯などの金肥が使用されるようになった。
刈敷肥料の使用は草刈りのために大きな労働力を要するが、金肥は労働力は軽減される分費用が掛かるので、価値の高い棉とかナタネ等の商品作物の栽培に使われ、ムギ作にも使用されていた。この頃の年貢は、稲は五公五民で生産の半分が税として取られるのに対して、畑作や裏作の年貢は軽かった。その意味でムギ作は農民の希望であったことから、限られた購入肥料をムギ作に投入することになったのである。

『明治時代以降』
都市化、欧米化が進み、社会全体的に市場化されることにより農業も市場の波にのまれていく。今まで以上に市場の商品としての作物になっていく。つまり自集団で消費する以上の生産量がなければ市場で残っていけなくなる。
・明治末期になると生産量の向上のために化学肥料の使用が始まる。
これまで大きな自然の循環の中で肥料を使用していたのに、この頃から自然の循環とは違った所になるもの肥料として投入するようになる。

このように初めは自集団の食べる分を作っているうちは肥料も使わずに済んでいたが、役割分担から生産者と消費者の距離が離れていくほど自然の循環を超えて生産量が求められる。
肥料の歴史を通して分かったことは、
肥料を含めて新しい農法が自然に合うかどうかではなく、自然を注視してコレなら合うのではないか?という自然の循環サイクル(系)の見極めが重要であるということ

投稿者 shoji : 2010年03月27日 List   

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