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2010年03月05日
日本の農業史1~イネ伝来→農業黎明期 日本の農業は、いつ、どうやって起こったの?~
日本農業史第1弾は、稲の伝来~広がりについて扱います。
元々日本には稲作文化はなかったといわれています。
しかし、歴史をたどると、次第に日本の大事な主要農産物になっています。
なぜ、ここまで稲作が広まったのか、時代を追ってみていきましょう
画像はこちらからお借りしました。
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稲作伝来以前の農業
旧石器時代や縄文時代前期です。
この頃は、基本的には狩猟・採集の生活で、一部で少し畑が営まれていたようです。
畑ではムギ、大豆、キビ、アワなどを栽培していました。
稲作伝来
稲作が日本に伝わったのは縄文後期だと考えられています。
縄文後期~弥生にかけては採取生産から農耕生産中心に変化してきており、
稲作はこの頃に朝鮮半島からきた渡来人によって伝えられました。
しかし、稲作が伝わったのみで、水田の技術はそこまで広がらなかったようです。
その背景には、水田や水田ための灌漑用水を整備する必要があり、一定の土木技術が必要とされたからだと考えられます。
当時の道具はまだ木製で、水田の整備を行うのは難しかったのです。
また、稲という新たな作物を、今まで栽培してきた作物に代えて主要に栽培することは、気候条件や虫害などがあったときに食料を確保できない危険性もあるので、
基本的な農作物の生産は縄文前期と同じ畑作によって営まれ、今までの畑作に加え、畑作に向かない土地(沼地や湿地など)で栽培されていたと考えられます。
ちなみに弥生前期には同時期に一部北陸にも稲作がみられるようですが、土地の特性でしょうか、あまり広がらなかったようです。
稲の伝播
稲作ははじめに九州地方に伝わり、その後、100年ほどで近畿~中部地方まで広がっていきます。
この伝播は稲のみで、水田技術の伝播はもう少し後になってからです。
この伝播時期のずれは、何期かにわたる渡来人と鉄器の広がりに関係していそうです。
水田の伝播
水田の伝播は主に弥生後期です。稲作が伝わってから約700年かかったといわれています。
この要因としては、鉄器と土木技術が広がったことがあげられます。
しかし、弥生後期であっても、畑作と稲作はほぼ同等またはそれ以下だったようです。
米作りの拡大
では、米が主要作物となっていったのはなぜでしょうか?
そこには、奈良時代につくられた律令制、つまり支配者が作った制度が関連していると考えられます。
律令制では、税として、祖・調・庸が定められ、租税として、米を納めることが決められました。
そこではじめて、米をたくさん作る大きな外圧が生まれていると考えられます。
奈良時代までの古墳・飛鳥時代を通して、水田技術に加え、家畜を利用した生産方式が広まり、そこに大きな外圧が加わることで、米の生産量は急速に増えていったと考えられます。
以降、江戸時代が終わるまで、米は常に税として扱われ、生産の主要な位置にありつづけるようになっているのです。
今日はここまで。続きはまた来週です お楽しみに
投稿者 misima : 2010年03月05日 TweetList
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コメント
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