2021年1月28日

2021年01月28日

コロナ禍で再注目?! 農村漁村のライフスタイルと先人たちの知恵

コロナ後の社会。特に農業に注目。都会から田舎へのライフスタイル。今回は、大分県国東半島に焦点をあてて、今や人口の流出が止まらない農村漁村の将来の可能性を探っていきます。

そこには、昔、先人達がどうにかして、生き延びていくため、自然への深い理解と知恵を磨きながら、仲間と共に現実の世界を構築する姿がありました。

では・・・・リンク

転載開始 

新型コロナウイルスの流行を受けて、人を密集させる都会のビジネスのあり方に疑問が投げかけられています。一方で脚光を浴びているのが、「密をつくらない」農村漁村のライフスタイルです。コロナ後には農村漁村への移住者が増えるのでしょうか? 農村漁村に住むことの魅力とは? そしてコロナ後の社会にも役立つ、農村漁村に受け継がれた先人たちの生活の知恵とは?「世界農業遺産」にも認定されている大分県国東半島から探ります! 

■農村は「密を作らない」

コロナ後は都会から農村漁村への移住が増えると予想している人がいます。イタリア・フィレンツェ大学の専門家とビデオ会議で何回か話す機会がありました。彼はアグロツーリズムに詳しく、また筆者とともに国連食糧農業機関(FAO)で世界農業遺産の審査にも従事しています。

「密を作らない農村のライフスタイルが再注目されている」と彼はいいます。昔ながらの広いスペースを活用して農業が行われている世界農業遺産の認定地などは特に好感度が高く、逆にハウス栽培など近代的な農業で人間の密を作りやすいところは評価が低くなったといいます。

イタリアではコロナ以前から、週末しか開店しない田舎の一軒家的なレストランが予約が取れないほど人気であったり、その近辺のワイナリーも盛況であったりと、身近なアグロツーリズムが人気を博している状況でした。コロナ禍をきっかけに農村漁村のライフスタイルに更に注目が高まるのは自然な動きです。 

■農村漁村のプラスの面とは?

日本ではどうでしょうか。田舎の一軒家的なソバ屋を訪問する選択肢はありますが、日々の生活に追われてそれどころではないという方も多いようです。農村漁村に移住すれば付近で評判のスポットを簡単に訪問できますが、移住しようにも職業の選択肢が少なく、また子供の教育にも不安がありました。

しかしコロナ禍でテレワークが盛んになり状況が少し変わってきました。また遠隔教育も活発化し、実際、大学では2020年の春夏学期からオンラインでの講義やゼミ、試験が普通になりました。都会から農村漁村への移住の障壁は低下しつつあるように見えます。情報通信インフラなどが今後更に発展すれば、これがニューノーマルになるかもしれません。

ただし今農村漁村が再注目されているのは、コロナ禍で密を作りやすい都会のライフスタイルがマイナスに働いたためです。農村漁村の吸引力がなければこれもやがて頭打ちになるでしょう。農村漁村が自らのプラスの側面を積極的に発信していくことが、今こそ重要になっているのです。

しかしこれは簡単ではありません。そこに住んでいる人々にとっては農村漁村の生活や風景の全てが当たり前すぎて、何がアピールポイントなのか見当もつかないという人が多いためです。筆者が訪問した農村漁村でも、そう語る人が必ず何人かいました。そこで今回は、むしろ部外者であるために見えてくる農村漁村のプラス面などを紹介し、コロナ後の日本社会と農村漁村を考えたいと思います。 

■「世界農業遺産」大分県国東半島

今回取り上げる大分県国東半島は、国連食糧農業機関(FAO)が認定する世界農業遺産の地域です。世界農業遺産は英語でGlobally Important Agricultural Heritage Systems(略してGIAHS)といい、世界で62地域が、そのうち日本で11地域が認定されています。国東半島地域は2013年にFAOから認定を受けており、それ以降筆者も何回か訪れたことがあります(コロナ禍以前の訪問です)。 

まず大分空港に降り立つと、空気が東京とは違うことに気がつきます。植物の良い香りで精神的にリラックスするのです。空気の清涼感だけで相当な価値を感じます。半島の周回道路を北に向けてクルマを走らせると水田を取り囲むように山の緑が迫ってきます。

山あいの場所の中でも比較的平らな部分を水田として切り開いた景観です。目に緑が優しく映ります。山では原木シイタケが栽培され、平地ではシチトウイという高級畳表に使用する植物も栽培されています。めずらしい農産物の栽培現場を見ると、それだけでテンションが上がる人も多いでしょう。 

■資源の配分に先人の知恵が見える

地図を見ても分かるように、国東半島は古い火山で形成されています。火山性の土壌は保水能力があまりなく、通常は水田の稲作には向いていません。そこで国東半島では、山の縁辺部にため池をつくり水田などに水を供給する体制を何世紀も前から構築しています。池の数は1,200を数えるそうです。

池は水路で連結され、水を融通し合う仕組みになっています。池の脇はクヌギ林にして森林の水源涵養機能を利用しています。先人達が長年の努力を重ねて構築した仕組みであることが伺えます。この努力の裏には、子供達に銀シャリを腹一杯食べさせたい、といった強い動機が存在していたようにも思えます。

それだけ苦労して蓄えた水ですから、公平に配分することが重要です。しかし何も考えずに全ての場所に同じ量の水を流しても農業生産には役立ちません。水田には水はけの良いところとそうでないところが混在しています。作物にも、水を必要とする時期とそうでない時期があります。渇水時期には水の取り合いにも発展します。

最適なタイミングで最適な場所にトラブルなく給水するためには知恵が必要です。そしてこれを実行するためのリーダーが必要になり、更にはリーダーを支える人間組織が必要です。加えて人間組織を支えるメンバー間の信頼関係も維持する必要があります。 

この地域では現在も「池守(いけもり)」と呼ばれる役職の人が全農家から選出され、水を管理する体制が続いています。その裏には人間が結束して協力し合う社会基盤がしっかりと形成されており、日々の付き合いや定期的な水路掃除などの奉仕作業、更には神社の祭りなどのイベントなどを通じて維持されていることが伺えます。

宇佐八幡宮をはじめ多数の寺院群が存在し、収穫を感謝し豊作を祈る祭礼が今も盛んです。また山の神がもたらす水の恵みなどに感謝する山岳信仰も存在していることも地元の人から教わりました。

現在、世界各国で利益の不平等な配分が社会問題となっています。アメリカでも、リーマン・ショック以降に、上位1%の富裕層の資産がますます増加することへの抗議行動が活発化し、「我々がその99%だ(We are the 99%)」とのスローガンも有名になりました。この問題は現在も解決できていません。

農村漁村に伝わる古くからの知恵が解決に向けたヒントになるかもしれません。ただし農村漁村で配分問題がうまく解決できている背景には、当事者が顔見知りで人数も数百人レベルと少ないことがあります。数億人レベルの人数で発生している問題をどう解決するのかには新しい知恵が必要で、簡単な問題ではありません。これは別の機会に取り上げたいと思っています。 

■100年前の資源管理ルール

国東半島北部の伊美港からフェリーに乗り、瀬戸内海を山口県の方向に20分ほど航行すると人口2000人弱の姫島に着きます。姫島も大分県国東半島地域の世界農業遺産の一部です。1周すると17キロありますから徒歩で全島を巡るのは無理です。昔から漁業が盛んで現在もクルマエビ養殖など水産業に力を入れており、100年以上前から現在までの漁業者間の取り決めを記した文書が残っています。これは「漁業期節」と呼ばれ、水産の研究者の間では有名な文書です。 

姫島の漁業共同組合を訪問し、組合長室の金庫に保管されている「漁業期節」の原本を見せてもらいました。水産資源を管理するための取り決めが詳細に記載されていて、「藻刈(海藻の採集)」の解禁日が最初に記述されています。続いて「鯛縄(タイの延縄漁)」、「春蛸坪(春のタコつぼ漁)」など漁法ごとに解禁日が細かく設定されています。半島部における用水を公平に配分するための社会基盤と同様、島では水産資源を公平に配分するための社会基盤が存在していることが伺えます。 

私たちは「漁業期節」に記載される最初の項目が魚の漁獲規制ではなく「藻刈」であることに注目しました。100年前、海藻は畑の肥料として利用され、商業的な価値は食用となるタイやタコなどより低かったと思われます。

ところが、そもそも藻場は海の中では魚の産卵場であり、稚魚の成育の場であるとの大切な場所です。魚の資源を保全するためには藻場を管理することが第一の優先課題だと昔の漁師は考えて、「藻刈」の規制をまずルールブックに記載したのでしょう。魚を守るためには先に漁場を守るべきという日本ならではの発想です。欧米では魚を守るために魚だけに注目するという単刀直入な発想が主流ですが、これとは好対照をなしています。 

■枝葉末節よりも大局を見る知恵

明治期の日本には、このように枝葉末節にとらわれず大局を見て対応する知恵が今以上にあったように見えます。当時の姫島では漁場や水産資源を守るため藻刈だけでなく山林の伐採も厳しく規制されていた記録が残っています。山林の落ち葉は微生物に分解され、チッ素やリン、有機鉄などに形を変えて海に流れ込みます。そしてこれらは海で植物プランクトンが発生するための栄養になるのです。

植物プランクトンは何段階かの食物連鎖を経て魚の餌になります。こうして森、川、海の物質循環が成立します。これを守ることが魚の資源保全になることを昔の人は意識していたと思われます。実際、全国に魚付き林と呼ばれる場所が多数存在しています。姫島もこの知恵が発揮されている場所なのです。

姫島は時期になるとアサギマダラ(渡りをする蝶)が来遊します。渡りをする蝶にとっては、姫島は瀬戸内海の中の貴重な中継地です。

人間の視点で見ても、海を渡る人々は国東半島や姫島を瀬戸内海の一地域として捉えていたことでしょう。陸から見ればこの地は九州ですが、陸から見たイメージだけにとらわれて解釈してはいけないことに気づかされます。 

■真っ先に耕作放棄される棚田

半島に戻り、山側に向けて少し進んでみます。火山が水流で削り取られたのでしょう、深い谷が現れます。棚田も点在しています。しかし小規模なものが多く、耕作放棄地となっているところも見られました。 

そもそも棚田の分布している場所は斜面で耕作面積も小さく、機械を使った効率的な近代農業には向いていません。このため棚田から先に耕作放棄地となっても、現在の経済の仕組みからすればおかしくないのです。このままでは耕作放棄地の拡大、里山や用水を管理する社会基盤の減退、鳥獣被害の拡大が進むでしょう。これは全国に共通する課題であって、この地域特有のものではありません。

更にいえば、農林水産業だけの問題ではなくて、世の中、何も対策を講じなければ全ての業界で先細りを覚悟しなければなりません。ハイテク産業であってもその例外ではありません。これを避けるために人々は時間に追われて密の状態を作り、余裕のない暮らしをするのです。それで良いのかどうか、放棄された棚田が私たちに問いかけているようにも思えます。 

■未来は現在の延長線上にはない

これまでから耕作放棄地問題や社会基盤の衰退などに歯止めをかけるために、地域内でも農業従事者以外の人の力や、地域外の人の力を借りる必要が世界各地で生じていました。そして今、人を密集させる都会のビジネスのあり方に疑問を感じる人が増えています。

冒頭で紹介したイタリアの専門家は、今後は都会から農村漁村への人口回帰を見越しています。日本も農村のライフスタイルや自然環境の魅力を発信するなどして工夫すれば道も開けるでしょう。過去から現在までの連続した線上に未来が乗っていると見て農村漁村の将来を悲観視していても前には進みません。

新しい人が入ってくるとすれば、新しい農村漁村コミュニティーを維持させるための戦略も重要になってきます。農村漁村に古くからある知識を収集して体系化し、新しい住民や協力者が意味を理解できるよう再構築することは重要な作業になります。実際、資源の管理や配分ルールの考え方、更には大局を見て自然環境を保全する態度など、残すべき伝統的な知恵は多くあります。

そしてこの知恵を収集し再構築する作業を通じて、農村漁村のスピリチュアルな魅力も発見できる可能性もあります。世界の各地域とも連携し、コロナ後の社会を見据えた意識の共有を進めることが重要になっています。

以上転載終了 

◆まとめ

今回は、国東半島を事例に挙げました。昔の農村漁村で生活している人たちは、(水という)資源を分かち合い、収穫のためには、(次の世代の)将来も考えながら、乱獲などはせず、まさに自然に同化しながら、収穫を導くことが可能な環境を構築していきました。これこそ、自然の摂理に即した生き方と言えるでしょう。 

そして、彼らの生業からは、生産に欠かせない水や漁場は公共のものであるという事が深く認識され、当事者である他の農民や漁民ともルールを決めながら、お互いに存続、発展していこうという自助互助の共同体社会の姿が浮き上がってきます。 

コロナ後の社会である農村漁村の背後に、こうした先人達の構築してきた自主自立の生き方の醍醐味。自然と一体になり、仲間と共に生きていく(都会には、全く存在しない)共存共栄の世界が流れていることに気づきます。なので、「密をつくらない」農村漁村のライフスタイルが脚光を浴びる要因になっていく事も頷けます。 

今や農業のあり様は、機械化やAI技術の進化で、労力をかけずに、収穫物の生産量や質を上昇させていく事が可能になりました。そこに先人達の築いてきた精神や大局的なものの見方。更には自然と共に歩んでいくという生き方が相乗されていけば、新しい農業のかたちが創出されていく可能性は十分にあるのではないでしょうか?   では次回もお楽しみに・・・・

投稿者 noublog : 2021年01月28日  

2021年01月28日

農と金融10~すべてが自分ごとになる世界へ

【農と金融9~都市と地方をかきまぜる】
に続いて。

「お金第一」がもたらした傲慢な社会意識。

誰もが無自覚のうちに染まり蔓延った事実に、農は気づかせてくれる。

 

以下、転載(「共感資本社会を生きる」2019著:高橋博之×新井和宏)

(さらに…)

投稿者 noublog : 2021年01月28日