2020年1月7日
2020年01月07日
人と里山2/2
前回からの続きです。
里山では、人が生きていく糧を農業にゆだねます。作物を作るために大地を改良し、水を引き、作物の成長を促進する環境を形成するのです。
では、里山を現在から過去を振り返ると・・・・そこには、人が今後生き延びていく非常に重要なヒントが隠されています。
Seneca21st 【リンク】からの転載です。
転載開始
(4)人による里山管理と生物多様性
「里山を人が管理しなくなれば里山は本当の自然に戻れるのでないですか」と言う若者が多い。しかし、自分の居住空間を作るためにこれまで相互に支え合う関係がある生物多様性がうまく成立してきた大自然を犠牲にして人が人工的自然である都市、里山等を創ったことを忘れてはならない。元々個体数が多くなったヒトが自然を大胆に破壊してそこに居住するようになり、そこにオフィス街、住居、公園、道路、農地等の生活的空間、さらに植林等人為的な処理を行って里山をつくった。限られた面積の人工的自然である里山は人に管理されることによって最低限の生物多様性が維持されてきたのだ。
生物は自然状態では早期に優占種が発生してくる。
例えば、人が頻繁に管理している水田畦畔と余り管理しない河川敷とでは植物相が全く異なる。畦畔ではイネ科雑草とクロバー類、ヨモギなど広葉雑草も混在した生物多様性に富んだ場所になり、河川敷はクズなどの広葉雑草やススキなど大型の少数の植物種が優占する。では、なぜ人が管理することによって植物相が変化するのだろうか?
それは人が雑草を刈り払いすることによって、地上に落下または数年前から発芽するチャンスがなく埋没した種子などが雑草刈り払いを行うことによって、刈り払われた植物体や地上に散布されたあるいは土中に少し埋没した種子たちが同時に太陽の恩恵を平等に得ることができ、一斉の芽生えが可能になるからだ。一方、人に管理されない場所はどうだろう。そこはクズ、ススキ、セイタカアワダチソウなど大型植物中心の少数種の優占種がはびこり、その大型植物の優先した発育により日陰になった種子達が発芽不良または成育不良になって死滅する。また、荒れた雑木林や植林を間伐等により適正管理すると、そこには今までそこに見かけなかった多種多様な植物が発生する。中には絶滅したと思われていた希少植物が突如再生する場合がある。これは暗闇で長年埋没していた種子が日光を浴びて息を吹き返したためだ。
このように、もともと人工的自然である里山は、人が管理しなくなるとそれまで支え合う関係を築き上げてきた生物多様性が一気に崩壊してしまう。ぼくたちはこのことを念頭に置いて、先祖代々から受け継がれてきた人工的自然である里山を維持管理していかなければならない。種ヒトの延命のために。
(5)人と里山の付き合い方
琵琶湖の周辺には森林が取り巻いている。山麓には里山が広がり、琵琶湖を周辺の里山で淡海(おうみ)文化が生まれ、育まれた。
里山は人の匂いがする場所、奥山は人の匂いが余りしない場所と言ってよい。
昔、人は生活のため人家に近い里山の木々を利用してきた。集落周辺と隣接する林を切り倒し、畑や田んぼを造った。効率的に利用しやすいようにクヌギ、コナラなどドングリの木を中心とした薪炭林(雑木林)を特別に造成した。人々は雑木林の伐採枝をエネルギー源として薪や炭として利用し、食糧生産として椎茸の原木として利用した。さらにその落ち葉は堆肥として利用した。
間伐など、人が管理することによって雑木林内は明るくなる。人が間伐管理を行えば林内の地表に光が当たり、そこには土中で眠っていた様々な埋没種子が目覚めて多種多様な植物が生える。そうなれば、そこに多種多様な植物を利用する多くの昆虫や動物たちが集まる。このように人が管理された雑木林には、多様な生き物が集まり、人を含めて昼も夜も生き物たちの交流で活気づく。
1960年代以降、科学技術が急速に進歩し、エネルギー源が薪や炭の木質バイオマスから石油、電気、ガスなど化石燃料に切り替えられ、雑木林の利活用は著しく減少した。雑木林の手入れが行き届かず、雑木林の多くは徐々に鬱蒼とした生きものたちの交流が少ない元気のない林になった。
また、当時、国の経済施策でもあった拡大造林事業により木材生産としての林業が盛んとなり、スギやヒノキの経済針葉樹の大々的な植林事業が実施されるようになった。
多種多様な樹木が生えていた豊かな森の多くは単一なスギやヒノキの人工林に一変した。
しかしながら、現在ではせっかく植えられた人工林も、安価な輸入材木の影響で、日本のスギやヒノキ材の経済的価値は下がり、先々代、先代から管理され受け継がれた多くの植林地の多くは管理されなくなってしまった。間伐や枝打ち管理がされていないスギやヒノキの人工林内では、密植されたままで枝打ちもしていないため樹木の天空近くで枝が交差して地表への光を遮断し、その影響でその林内はシダ植物が生える程度の単一な植物相となり、大昔からその地の森林で多種多様な樹木や草花をうまく利用してきた昆虫たちや動物たちの種類や数は著しく減少していった。さらに一定期間管理していないスギやヒノキの材木は、木の太りが不十分になったり、曲がったり、枝打ちをしないと節などが多く入ったものになり、木材としての商品価値も著しく下がってしまっている状態にある。材木価格の低下とそのことも加わり、人々は人工林を管理しなくなるという悪循環がある。
このように、里山の雑木林や植林地では、日本の高度経済成長による人の生活様式の変化や国際経済の影響によって放任状態になり、人の匂いが徐々に薄れていった。
農地も同様な高度経済成長の影響を受ける。
農業地域の若者は都会へ出たり、農業以外の就職をし、後継者がいなくなって耕作放棄地が増大した。農業機械などの農業技術が発展し、農作業時間が短縮され、ほとんど農地にでなくても日曜日百姓で農業ができる時代になった。このように集落、農地ともに人の匂いが薄くなった。
里山は、このように人によって管理されなくなり、まさに今、崩壊しようとしている。
ところで奥山はどうだろう。近江の奥山でも植林などの開発の手が入っていない場所は少なく、滋賀県でも原生林と呼ばれる森は非常に少なくなった。
しかし、滋賀県北西部、朽木の奥山には、樹齢250~350年のブナ、ミズナラ、トチノキなどの原生林、鈴鹿山麓のブナの原生林、そして木之本町の横山岳のブナの原生林では太古の奥山の姿が残っている。
映像でみる原生林も美しいが、現実はそこは昼なお暗く、花も少なく、湿度が高く、森林内は鬱蒼としており、ヤブ蚊、ブユなど衛生害虫やヤマビルが多く、エアコンの生活に慣れてしまった人々にとっては好ましい環境とは言えない。現実的には奥山を好む人は少ないであろう。
人が快適に生活できる場所は奥山ではなく管理された里山である。里山とは人が管理することによって初めて人が心地よく思う不思議な人工的自然空間である。しかし、管理しすぎると自然破壊につながり、それは、将来、人に必ず自然からのしっぺ返しが来る。
里山は、人が管理しすぎても、管理しなくても生物多様性が維持できない不思議な空間である。
その中間、いかに自然をうまく残し、壊しながら人が快適だと思う人工的自然環境「里山」を維持管理して人と自然との共生を図っていくか、そのバランスが難しいと京都大学名誉教授、滋賀県立大学名誉学長の日高敏隆先生はいう。
人、ぼくたち子孫が快適に地球上に長く生き延びるためのその答えは昔の里山構造から学ぶことができる。昔の里山構造には人と自然とがうまく付き合っていくためのロジックが隠されており、昔の里山構造は、個体数が増えすぎた人と自然との正しい付き合い方をぼくたちに教えてくれる。
以上転載終了
◆まとめ
人は、生きていくために本来農地を耕し、里山という環境を形成してきた。そこでは、自然をうまく残し、壊しながら、自然と共生を図っていく姿があった。
やりすぎず、やらなすぎず・・・本来、人は自然の一部であり、絶妙のバランスの上に自然環境に同化するという非常に長けた生き方が、真価である。といっても良いのではないか?
そして、この世界を成立させる人の意識は、日ごろから「自然への感謝と畏怖を忘れない」ということに繋がるのではないか?
新しい「農」のかたち;どのような かたち であれ、まずは、この意識を持ち続けていくことが、極めて大切であると憶う。
投稿者 noublog : 2020年01月07日 Tweet