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2011年11月08日
農が育む新しい教育シリーズ3~農村留学 大地の学校
みなさん、こんにちは。せきやです。
「農が育む新しい教育シリーズ」も今回で3回目になります。前回に引き続き、農を取り入れた教育に取り組んでいる事例紹介です。今回紹介するのは、「大地の学校」というところです。
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(1)大地の学校とはどんなところ?
■どんな事をしているのか?
北海道の上士幌町という、人口よりも飼われている牛の数の方が多いという自然豊かなところで、農村生活を体験するために開いた全寮制の私塾です。
子どもたちは、近隣の学校に通い、家では動物の世話や農作業といった仕事をこなす生活を送っています。そこにいる誰もが生活仕事を担わなければ成り立たない生活そのものが教育であると、塾長である森田さんは仰っています。
1年単位の留学の他、1~2週間の短期体験教室を開き、86年夏に第一期を開いてから既に400人以上の若者が参加したそうです。
山村留学の多くは、夏休みなど長期休暇には子どもを実家に帰省させているものが多いが、大地の学校では、帰省させず、この期間を利用して、キャンプや乗馬、スキーなど様々な活動をしています。
留学する子どもたちは、森田さん夫婦と同じ施設に住み、同じように生活します。敷地には、牧場施設が併設しており、文字通り農村生活をおくれる環境になっています。
■生徒募集について
小学生から高校生までを、1年を単位に受け入れており、近隣の学校に通うための学費の他、大地の学校での留学費用もかかります。
その他、必要な条件としては、自ら通おうと思っている意志があることが前提になっています。
年間通しての留学であり、長期休暇中の帰省もない事を予め了承してもらうことが前提になっています。
(2)なぜこのような学校をやろうと思ったのか?
HPから、森田さんの言葉を抜粋します。
人が大人になるに当たって必要なことの基本は家庭生活で学びます。ところが、現代の高度産業社会は、大きく見れば都市と農村、生産と消費の分極化が進み、個人の孤立化と家庭の空洞化をもたらす傾向に有ります。それゆえ、現代の子どもたちは、人との関わり方や生活の知恵といった基本的なことを家庭という身近なところで学べないまま過ごしています。
学級崩壊や荒れる学校といった問題は、教育の制度や学校の体制における問題も有るでしょうが、子どもを育む生活の有り方も大いに問題にすべきでしょう。
農村留学とは、そのような都会の子どもが暮らしと生産が一つになった農村生活に移り、生活から派生する諸々の関係性と知恵を学ぶことを言います。
<大地>では生活の全てを教育と位置付け、毎日の森田家での暮らしの営みそのものが学校なのです。
別の言い方をすれば、都会の核家族から農村の大家族への「家庭教育の留学」であり、森田家の子どもと共に我が家の家庭教育を行なうということです。
ここに留学してきた子どもたちの多くは、思い通りにならない事に大きなストレスを感じるようです。しかし、最初の頃こそ、自分の事ばかり考えていたのが、しだいに周りのことを考えるようになり、周りとうまく協力して生活していく術を身につけていくようです。そのような過程が、卒業生の文集に見て取れます。
今、自分がこの北海道という地に立っているのも、この大地の学校があるから。本当は、仕事やここに対してのふまんはあくまでも最初のころは少し あった。その1ヶ月間の間は、ただ「何もしたくない」としか思えなかった。そのころの自分は昔の自分にもどりたいとずっとねがっていた。サンポなどめんど くさいことばっかりやっている自分にはらがたってきて、ただいらついていた毎日をおくっていた。でもみんなの姿を見ているうちに「自分だけが思っているこ とではない」と思った。みんなは自分より長くいた。だからみんなに支えられていた。それに森田さんがおったから今の自分がいると思う。ぜんぜん責任感のな かった自分だが、仕事をまかせれるにつれて、その責任感というものがついたし、楽しいできごとや、正月、親とは過ごせないいつもとかなり別の正月をおくっ たり、集団生活で学んだ常識、1人1人が持っている特徴、それに森田家という所でいっしょにくらしているから、その森田家の中でのマナー。昔は、朝と夜が 反対になって、周りの人からいえばじょうしきはずれの人だった。朝は5時半におきたこともないし、8時にねたこともなかった。いろんな自分の悪い所がここ にきて直ってしまったなんて信じがたいことだ。また新しいスポーツもみつけ、それに熱中している自分が好きでたまらない。そんな自分にもっともっと磨きを かけていきたいと思う。(中3)
大勢で暮らすことから、いちいちムカツクこともありました。何でこんなやつおんねんやろう!!とかひどいこと行ってたけど、こんなに大勢やからあ たりまえやねんなー。自分のことだけを考えているだけではもうどうしようもないもん。小学生だけじゃなく、森田家の小さな仲間たちともたくさん遊びまし た。1歳だった久真!最初きたころは、まだほとんどしゃべれなかったけど、少しずつしゃべれるようになって、いっぱいおしゃべりできるようになったね!久 真の子守りをしている時は、自分まで小さいころに戻ったかのようになったね!保育所年長里水!一つも里水ワールドに入っていろんな話をしてくれたよね!4 月からは私と一緒の1年生だ!今年小学校に入学した明水!学校の行き帰りの歩きはすごくしんどくて、泣いたりだだをこねたりたくさん私を困らしてくれた。 でもずっと遊んだりしてすごく楽しかったな!なんか小さな子達もすごく面倒を見るのが楽しくなりました。(小6)
(3)生産圧力がかかった異年齢集団にいることが、子どもたちを成長させていく
このように、様々な年代がいる中で、仕事や課題、遊びに取り組む事が、社会性を育み、子どもたちの主体性を引き出しているように思います。
その事を端的に洗わしている記事をるいネットから紹介します。
「本源集団再生可能性」
教育不能に陥っている「家庭」「学校」。
家庭や学校が本来持っていると考えられてきた「教育」の機能は、規範の崩壊によりその機能を失ったと言い切っても良いのではないか。親世代は子世代に対して伝えうるべき中身を失ってしまった。その原因が生産と生殖の場の分離にあるのだから、それを再生する以外に道はない。
親の自我に苦しめられている子ども達を「生産と生殖の一体の場」に解き放つ。そこで育まなければならない、実現回路を。家庭という無圧力空間に、次代存在である子ども達を幽閉するということは、全的に考察してみると、極めて犯罪的な行為なのではないだろうか。
自然外圧の元で課題を共認し、役割を共認し、規範を共認し、評価を共認し合う。そうした集団から本源集団は再生されていくのではないだろうか。家庭からの脱出という観点から考えると、過疎地などへの全寮制の場がふさわしいのではないかと思う。
そこに、本源集団再生の突破口があるように思う。
教育というと、子どもたちに何かを教えるというニュアンスが強いように思いますが、自然や仲間からの圧力と場があれば、子どもたちは逞しく育っていくのだと思います。まずはこの事例のように、親の囲い込みから脱却できる場を作っていく事が必要だと強く感じました。
写真・表・引用文はこちらよりお借りしました
最後まで読んでいただきありがとうございました。
投稿者 keitaro : 2011年11月08日 TweetList
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