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2010年07月18日

類農園の農産物を徹底PR☆~高原大玉スイカ編~

こんにちは。近畿地方も梅雨明けしましたね☆いよいよ夏本番です!
そして日本の夏といえば、やはりスイカですね。
「類農園の農産物を徹底PR☆」今回は、「高原大玉スイカ」を紹介します 😀
類農園のお中元商品の中でも、とりわけ人気なのがこの「高原大玉スイカ」です。今年も既にたくさんのお客様から注文を頂いております。本当にいつもありがとうございます。
類農園のスイカ作りは、種まきをして苗を作るところから始まります。今年も2月の下旬に種まきをし、接木苗を作り、ハウスに定植して育てています。栽培方法などは、昨年の記事に詳しく紹介していますので、そちらをご覧下さい 😉
「お中元は『高原大玉スイカ』☆で決まり♪」
最近は、核家族化・少子化などで、大玉スイカを丸ごと買われる方は少なく、カットスイカや小玉スイカに人気が集まっているようです。でも、スイカを食べるときって、あの大きな玉を切る瞬間もまた楽しみの一つなんですよね。玉が割れて真っ赤な果肉が見えると、周りから誰とはなく「おぉ!」という声が湧いてきます。それを、みんなに甘いところが当たるように切り分け、みんなで仲良く頂きます。みんなの嬉しそうな笑顔を見ながら食べると、さらに美味しく感じるから不思議ですね。
みんなで食べるから共認充足が感じられる、そんな場を作るのがスイカは得意なんです 😀
さて、日本の夏の風物詩でもあるスイカですが、類農園のあるここ奈良県は、日本のスイカ発祥の地などとも言われています。スイカの来歴については諸説あるようですが、南アフリカ中央部、カラハリ砂漠、サバンナ地帯でいろいろなスイカの野生種が発見され、以来、南アフリカがスイカの原産地とされています。
ん?なんで奈良県がスイカ発祥の地なの? 🙄
という訳で今回は、スイカの歴史を紹介したいと思います。
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◆原産地はアフリカの砂漠
スイカ(Citrullus Lanatus)は、その野生種がアフリカ中部の砂漠地帯に分布していることから、おそらくそこが原産地だろうといわれています。エジプトではスイカを描いた4千年前の壁画も見つかっていますが、どうやらその当時は、主に種のほうを食べていたようです。果物として栽培されるようになるのは地中海沿岸に伝ってからで、その後、ヨーロッパを経て、17世紀にアメリカへ移住民が持ち込んでから、品種改良が重ねられ普及しました。
一方、アジアでの歴史は古く、紀元前にはインドへ、そして11世紀にはシルクロード経由で中国に伝わったようです。「西瓜(シイグワ)」という名前はもともと中国のもので、中国から見て西域の中央アジアから伝わったことに由来し、日本にもそのままの名前で渡来してきました。
「正直やまぐち」より

大昔は種を食べていたなんて、驚きですね 確かにスイカの種は脂肪とタンパク質が豊富で、水分だけでなく、貴重な栄養源でもあったのですね。 🙄 さらに、様々な薬効もあり、薬としても利用されていたようです。

◆薬としてのすいか
スイカの果肉の90%以上は水分で、果汁は糖質7.9%と、少量のリンゴ酸やアルギニンを含み、紅色の色素はリコピンとカロチンです。種子には20%の脂肪と50%以上のタンパク質を含み、ほかにフィトステロール、ウレアーゼなどが含まれています。
 
江戸時代の農学者、宮崎安貞が著した『農業全書』には、スイカは「味よく暑気をさまし、酒毒を解し、渇きをやめ・・・」と記されています。スイカは昔から、単に食用としてではなく、体に良いものとして親しまれていたんですね。現在ではその効能も科学的に分析され、スイカの果汁は薬用として利尿に特別の効果があることが知られています。果汁を濃縮した「スイカ糖」は急性や慢性の腎臓炎に服用され、漢方では、スイカの皮がコレステロールを減少させたり、血管を拡張させたりする薬の材料としても使用されています。また、弥生時代の遺跡からは炭化した種子が大量に発見されたことから、当時、高タンパクなスイカの種が備蓄食糧として利用されていたのではないかともいわれています。
「正直やまぐち」より

では、アフリカ原産のスイカがどのように日本に伝わり、現在のようなスイカが作られるようになったのでしょうか?

◆日本に持ち込んだのはポルトガル人?
 
スイカが日本に伝わった経緯は諸説がいくつかあって、どれが本当か分かっていません。ポルトガル人が天正7年に、長崎にカボチャと一緒にスイカの種を持ち込んだとする説や、隠元禅師が慶安年間に、中国から日本に伝えたとも言われています。全国に広まるのは江戸時代の後期になってからで、日本でもスイカの栽培が行われるようになり、明治時代に入ると、たくさんの品種がアメリカから入ってきました。
 
昭和初期には奈良県を中心とした大和スイカと、関東を中心とした都スイカの二つの品種が確立され、縞のあるスイカが作られるようになります。
現在ある様々な品種のスイカは、この二つのスイカの流れを組んでいます。日本の気候や風土に合わせて改良が繰り返されて現在に至っています。今では、夏になくてはならないものになっていますね。
「スイカニチャレンジ」より

出ました!「大和スイカ」☆。現在、スイカには150種もの品種があるそうですが、その多くが「大和スイカ」と「都スイカ」の流れを汲んでいて、「都スイカ」も実は「大和スイカ」から作られているのだそうです。奈良県が「スイカ発祥の地」といわれる由縁ですね 😉
という訳で、大和スイカの歴史について紹介しましょう。

大正12年、奈良県農業試験場が組織的にスイカ品種改良事業を開始した。それは奈良県に在来する「権次」と「アイスクリーム」などの自然交雑系「大和」を県内24ヵ所から収集し、優良系を選抜、純系淘汰を行い、大正15年に「大和2号」、「大和3号」、「大和4号」を育成し、近代的スイカ品種の基礎を築いた。
 
さらに昭和3年には、この「大和3号」と「甘露」を組合わせた一代交配、「新大和」を育成した。しかし、F1品種は採種に手間がかかるため、固定種としてのスイカ品種が求められ、さらに一代交配「新大和」の後代から「新大和1号」、「新大和2号」、「新大和3号」、「旭大和」が育成された。
 
畑台地が広く、早くからスイカが普及していた千葉においても、千葉県農事試験場が大正13年から品種改良を開始した。まず、「大和」から「千葉1号」を分系し、「甘露」との交雑育種を行い、昭和6年からいわゆる「都系」といわれる「都1号」、「都2号」、「都3号」の品種育成に成功し、関東地方の近代品種の基礎となった。
「株式会社 萩原農場」より

現在スイカの産地といえば、熊本・千葉・山形・鳥取などで、残念ながら奈良県はベスト10にも入っていません。その主な理由は、スイカの栽培には広い農地が必要だからです。山間地の多い奈良県は、その点で他の産地に比べ劣ってしまうのですね。でも、奈良県がスイカ発祥の地であるということは、その気候や風土がスイカの生育にとても適しているということです。
また類農園のある大和高原は、昼夜の寒暖差が大きいため、作物がいっそう美味しくなります。夜温が低いと、植物の夜間の呼吸がゆっくりになり、昼間に蓄積された栄養分やエネルギーの消費が抑えられるからなんですね。
という訳で、大和高原の自然が育てた「高原大玉スイカ」、注文の受付もあとわずか!
間もなく、収穫&発送です☆
ご注文、お急ぎくださ~い 😉
ご注文はこちからから→http://nouen.rui.ne.jp/okurimonoset_10natu.html
「高原スイカ2種セット」は売り切れです。ご注文ありがとうございました☆

投稿者 komayu : 2010年07月18日 List   

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コメント

ご活躍の程 拝見しています。 本来の農業国 日本の反省農業を 学んで居ます。
当地 安心院もグリーン ツーリズム盛んですが 最近は 就学旅行バージョンになってしまい残念です。 我国の農業の在り方を示唆する活動で在って欲しいと 日々願っています。

投稿者 往来山房 安心院 大分 : 2012年6月18日 22:54

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投稿者 人気時計 : 2013年11月2日 20:29

何を期待したんだか。
レンタル料金が安くなる普段のセールの方がよほど得だし。

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