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2010年03月11日
柚子を主役に村を丸ごと売り込む~馬路村の挑戦
こんにちは、こまつです。
「成功事例紹介シリーズ」今回は、柚子に村の生き残りを掛け一丸となって村民の生活を守っている、高知県馬路村(うまじむら)の取り組みを紹介します。
高知県の東部、高知市内から車でたっぷり2時間はかかるほどの山の中に、馬路村はあります。安芸郡の山間部にある面積165.52平方キロメートル、人口1,200人足らずの小さな村です。定かではありませんが、馬でしか進めない山奥だから「馬路村」という名前がついたと言われています。天然の魚梁瀬(やなせ)杉を利用した林業と、特産品の柚子や柚子を使用した加工品の生産販売が、村の中心産業です。
このような山奥の小さな村が、通信販売に特化した販売チャンネルで、35万人の顧客と30億円を超える売上を達成し、今では著名な「ゆずの里」として、馬路村の名は全国に知られるようになりました。
高齢化と過疎化が進む中で、馬路村は一体どのようにしてこのような成功を収めることが出来たのでしょうか?
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◆林業の衰退と農業への転換
今でこそ、柚子の村と言えば馬路村と言われるまでになりましたが、かつては林業が馬路村の中心産業でした。村の 96 %を山林が占め、その75%が国有林という特異な環境で、かつて村内には2ヶ所の営林署があり、林業とそれに関係する雇用が村の暮らしを支えていました。しかし、全国の多くの林業地がそうであったように、材価の長期低迷は村の経済基盤を一変させました。とはいえ、平地が殆どない馬路村では、農業の振興にも限界がありました。
そこで目をつけられたのが、古くから自家栽培されてきた柚子でした。昭和30年代に生産部会ができ、村の森林組合が苗木を育て、村が苗木代金を補助し、農協が販売する取り組みでスタートしました。しかし、馬路村のユズは無骨な形で見栄えが悪く、青果としての販売は低迷を続け、各農家は、手作業で絞った果汁(柚子酢)も農協に出荷していました。
◆決してあきらめない努力
70年代に柚子の生産量が増え、80年には農協に柚子の集出荷・搾汁・貯蔵施設が完成しました。柚子果汁100%の「ゆず酢」のほか、「ゆず佃煮」「ゆずみそ」などの加工が始まりました。大手メーカーの柑橘果汁入り醤油調味料が全国の食卓に定着するなか、86年には最大の売れ筋商品である「ポン酢しょうゆ・ゆずの村」も発売されました。とはいえ、、販売先の当てがあっての加工事業ではなく、販売促進が急務となりました。それを託されたのが、当時の販売係長である東谷望史現組合長でした。
また、数年おきの全国的な豊作は、そのつど生産者や農協を苦しめるようになり、中でも昭和54年の豊作は翌年まで大量の在庫が残ってしまうほどでした。組合長の、「どっか行って売ってこい」という大号令のもと、東谷氏らが柚子酢を大量に積み込んだトラックを夜中に走らせました。徳島から船に乗り、明くる朝から神戸や大阪の百貨店の催事で一週間連日立ち尽くしで売り子をし、そして催事が終われば荷をまとめ帰るという日々が、年間80日以上にも及ぶことが長年続きました。それでも1日の売上がわずか8000円などという日もあり、経費倒れになることも多かったそうです。
しかし、京阪神から首都圏にも催事出店先を広げ、諦めずに地道な販売活動を積み上げたことが功を奏し、売上げは増え始めました。催事の大量購入者を足がかりに郵便や電話での注文による通販も始めました。ゆず加工品をギフトとしてもらった人がファンになり通販での注文が増えるという好循環も出来始めました。
そして、88年に馬路村農協は大きな飛躍の年を迎えます。「ポン酢しょうゆ・ゆずの村」が「101村物産展」で大賞を受賞するとともに、第二段の人気商品となった、ゆず果汁飲料「ごっくん馬路村」が商品開発の試行錯誤の末に誕生しました。また、今や全村を挙げて使われている田上泰昭氏の手になるユニークなイラストが登場し、売上げが1億円を突破した年でもありました。
東谷氏らの決して諦めない努力の背後には、林業では食べていけず、全面的に柚子に転換しその可能性に掛けるしかない、という状況認識と、そこに自分も含めた村人の生活が掛かっている、という強烈な危機感があったようです。またそれを支えたのが、「柚子への確信」だったと言います。「自分が30年以上食べ続けても全く飽きない美味しさ」と、それならば必ず評価してもらえるはずという確信が、柚子へのこだわりと、諦めない努力を支え続けてきたのです。
◆「田舎を丸ごと売り込む」
馬路村の製品は合計90を越えますが、その製品に目を移すとあらゆる製品に共通したデザインが施されています。PRポスターやテレビCMに村の子どもやお年寄りを起用し、自然豊かな田舎の良さを全面に出した「村を丸ごと売り込む」という販売戦略は、林業不振が影を落とす村のイメージを変え、都会の人たちが「見たい、聞きたい」と思う「田舎の良さ」をアピールすることで、馬路村のゆず加工品は右肩上がりの成長を続け、全国ブランドの道を駆け上がっていきます。通販の利用者リストは現在35万人に達し、商品の良さを知るリピーターが売上げの中心となっています。
「馬路村農協CM大全集」
◆徹底した顧客志向
そして、この高いリピート率を支えているのが、徹底した顧客志向です。例えば、馬路村の商品には、箱のサイズが250種類も存在し、そして隙間にはタオルが詰められ、大切な商品を守ってくれています。田舎のおばあちゃんからの贈り物は必ず箱いっぱいに詰まっていますよね。せっかく注文頂いたのに、ゴミばかりのスカスカの箱は送りたくない、そんな想いが感じられます。
またこんなエピソードもあるそうです。
商品が届くと当然ながら請求書が入っていますが、一緒に馬路村のメッセージが入っているんです。馬路村は桜の花が真っ盛りだから是非遊びに来てほしいとか、柚の収穫が始まりましたとか、お客さんに季節の便りを送ってきてくれるんです。そうすることによって、こんな環境で、こんな人たちが作っているんだということ、本当に山奥の不便な所から送られているんだということが、なんとなく分かる。請求書の封筒の絵柄も毎月違う。その心遣いが大変上手です。郵送されてくるものには、高知県のふるさと切手がはってあるんです。手紙も何度か頂きましたが全部手書き。かなり忙しいはずなのに手書きでくれる。こういうことを彼らは当たり前のようにやっています。
手書きの手紙と言うのは、村の風景とともに人のぬくもりが伝わってきます。「田舎を丸ごと売り込む」ということは、そこに住んでいる人たちも含めて、本当に丸ごと全部の魅力を伝えていくということなんですね でも馬路村はこれだけではないんです。
もうひとつすごいのは、私の会社でも毎月「ごっくん馬路村」を送ってもらっているのですが、一年間送ってもらって次の年はどうしようかと思う。ここが一番大事な時期です。
次は何にしようかと思っている時に、契約の最後の商品と請求書と一緒に一枚の紙が入っていたんです。「認定証・一年間ご愛飲頂きありがとうございました。馬路村農協の応援団として一方的かつ勝手に認定させて頂きます。……」これやられたら、もう一年付き合ってみるベってなるじゃないですか。たった紙一枚で。
まだ終わりません
2年目には「感謝状」ってのが来た。「あなたは2年間よく飽きもセンと飲みよった。……」、やるもんだなと思っていたら3年目また来たんですよ。
「ごっくんの皆勤賞」が来ました。「ごっくんをお届け始めて3年が経ちました。……」。こういう努力を彼らはずっとやり続けている。僕も次はどんなことをしてくるのか楽しみにしています。
たった一枚の紙でも、人と人を繋ぐ事ができるんです。どれだけインターネットが普及しても、その中でもやはり”こころくばり”は大事にしていきたいものです。
(「しょくたん」より引用。)
店舗を持たず、お客さんの顔を直接見ることが出来ない通信販売で売るしかないからこそ、なおさらお客さんへの情報発信や、心のつながり、さらに信頼関係が大切になるのですね。そのことを、馬路村の人たちは誰もがよく理解していて、だから一見手の掛かることも当たり前のようにやる事が出来るのだと思いました。
1.危機感をばねに、目の前の現実から逃げずに、決してあきらめず繰り返し立ち向かう姿勢。
2.その村にしかない自然、農業、食そして人を、資源として最大限に活かす取り組み。
3.お客さんの満足を第一に考えた、徹底した顧客志向。
馬路村の事例から学ぶことは、とても多いと思います。
馬路村の挑戦、これからも注目していきたいです 😉
【参照】
馬路村行政ホームページ
馬路村農協HP
船井総合研究所「杤尾圭亮の視点」
R25「村おこしの経済学」
ムラアカリをゆく
農林中金総合研究所
しょくたん
投稿者 komayu : 2010年03月11日 TweetList
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コメント
投稿者 wholesale bags : 2014年2月10日 19:09
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