| メイン |

2020年09月24日

農業は脳業である12~地勢に同化した農法の追求

日本農業の根本的な問題点は、よく言われるような過度の農薬や化学肥料への依存体質にあるのではなく、国内地勢に同化した”農法の欠如”にある。

 

以下、転載(「農業は脳業である」2014著:古野隆雄)

にほんブログ村 ライフスタイルブログへ

■囲い込みの農法的意味~容器的労働手段の活用
つぎに、合鴨水稲同時作を、17世紀後半に確立されたヨーロッパの農業革命と比較してみよう。ヨーロッパの農業は、三圃式農法→穀草式農法→輪栽式農法として発展していったと言われている。

中世に行われた三圃式農法では、村落全体の耕地を夏作畑、冬作畑、休閑地の三つに分け、作付けと休閑を繰り返して、地力を回復させた。穀草式農法では、耕地に牧草栽培が組み入れられる。家畜は、春から秋の日中は共同放牧地、刈り取り跡地、休閑地、牧草地に共同放牧され、夜間と冬は小屋で飼育された。冬には飼料不足となるため、多くの家畜が秋に屠殺されたという。したがって、耕地に還元される厩肥(家畜糞尿)の量には限界があった。

農業革命では、分散していた耕地を集めて生け垣などで囲い込んだ。そして、土地の共同所有制を廃止し、私有地であることを明示して、集約的に耕地を利用した。要するに、私的利益の追求である。作付けは、小麦→根菜類(飼料カブ)→大麦→赤クローバー(一年生牧草)の四年輪作(輪裁式農法)だ。家畜は一年中家畜小屋で飼育され、耕地の四分の三で生産される豊富な飼料を与えられた。家畜小屋から回収された豊富な厩肥は、耕地に還元されていく。

つまり、農業革命は、耕地と家畜を別々に囲い込み、飼料と厩肥を循環させるシステムである。一方、合鴨水稲同時作では、育成中の穀物(稲)と家畜(合鴨)を耕地に同時に囲い込む。この点が明確に異なる。輪作と結びついた畜産と同時作としての畜産は、興味深い技術的対比をなしている。

 

ヨーロッパの農業革命と合鴨水稲同時作では、雑草の防除についても考え方が大きく異なる。

農業革命では、牛や馬の畜力によって等間隔に線状に種を播く畜力条播機、牛や馬が作物と作物の間を耕して雑草を防除する畜力中耕機、深く耕地を耕す深耕犂の発明によって、雑草防除体系が確立された。農業の近代化を基礎づけたのは、こうした大家畜による「機械的労働手段」の高度な体系である。

では、合鴨水稲同時作では、このような労働手段の革新がなされたのであろうか。たしかに、人間による草取りの代わりに中小家畜の合鴨が働くという意味では、「畜力的労働手段」の革新がなされたと言えよう。アジアの伝統的アヒル水田放飼農法も、同様である。加えて、合鴨水稲同時作では、合鴨の水田への囲い込みによって、雑草防除体系が確立された。この囲い込みは、「容器的労働手段」に相当する。

ここでいう「容器的労働手段」とは、作物や家畜が生育する場の利用を意味する。水田を囲い込むことによって、高度な「機械的労働手段」を利用せずに、合鴨という「畜力的労働手段」を補助し、そのいっそうの活躍を可能にした。ここに、合鴨水稲同時作の大きな農法的意味がある。

近年は環境保全型農業や有機農業が、日本農業の生き残り戦略としてにわかに注目され始めた。だが、日本農業の根本的な問題点は、よく言われるような過度の農薬や化学肥料への依存体質にあるのではなく、実は”農法の欠如”にあったと私は考えている。それは、耕地の高度利用による地力の再生産と雑草防除技術の未確立である。合鴨水稲同時作を農法の視点から読み直すのは、まことに興味深い。

投稿者 noublog : 2020年09月24日 List   

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.new-agriculture.com/blog/2020/09/4579.html/trackback

コメントしてください