農福連携はここまで進んだ!成功事例と課題から見る未来 |
メイン
2020年09月17日
農業は脳業である11~水田は稲だけをつくるところではない
近代観念の呪縛から解放された農法の追求が、
水田の持つ多様な生産力を引き出す。
以下、転載(「農業は脳業である」2014著:古野隆雄)
■水田の多様な生産力~水田は稲だけをつくるところではない
稲作の長い歴史のなかで、私たちは「水田は稲を穫るだけの場所」という考えに呪縛されすぎてきたのではないだろうか。いわゆる農業(稲作)の近代化も、この呪縛にもとづいて進められてきた。それに対して、私が提唱している合鴨水稲同時作は、細分化を続けてきた近代的農業技術の進展方向とは明らかに逆を向いた技術である。合鴨君のおかげで、私は水田の多様な生産力が見えてきた。
アジアの水田は本来、稲といっしょに魚やエビも生産していた。人びとは日々の食料として、それを獲って食べた。水田は本来、”多様な生産力”をもっている。問題は、人間がそれに気づき、囲い込みによってたいていの水田にいる生きものたちの内的関係を統合的に発展させ、技術として組み立てていくかどうかである。
アゾラ(浮草)・魚・合鴨水稲同時作では、それを積極的に位置づけた。それは、水田にアゾラと魚と合鴨と稲と雑草と昆虫からなる新しい生態系をつくり、稲作と畜産(合鴨)と水産を循環永続同時複合的に行う技術である。
欧米では、アジアの経済発展による食生活の変化、とくに肉食の増加が世界的な穀物危機をもたらすと予測されている。だが、発想を変えて同時作の原理による水田の多様な生産力に着目すれば、必ずしもそうとは言えないだろう。
黄金色に稲穂が色づく秋、我が家の田んぼでは、無農薬の米と合鴨肉とドジョウと、畦に植えたイチジクが穫れる。そこの米を使って、合鴨自然酒「一鳥万宝」が近くの酒造会社で仕込まれる。一枚の合鴨田で、主食とおかずと酒と肴と果物が同時に生産されてしまうのである。
晩秋、鴨の燻製とドジョウの唐揚を肴に「一鳥万宝」を飲み、静かに月を眺めるとき、私はかぎりなく豊かな気持ちになる。水田の多様な生産力は、仕事も生活も、そして心も豊かにしてくれる。
投稿者 noublog : 2020年09月17日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.new-agriculture.com/blog/2020/09/4575.html/trackback