農を身近に★あぐり通信vol.1~食の知恵:「食べ合わせ」を知ろう♪ |
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2013年02月28日
【シリーズ】これからの農業経営を考える~F1種から固定種へ
1.はじめに
みなさん、こんにちは。シリーズ『これからの農業経営を考える』ですが、
“0.プロローグ”で
>市場の縮小、バブル経済の崩壊などにより、世界的な経済危機が現実味を帯びてきました。それに伴い、直売やネット販売など、脱市場=市場に頼らない生産や消費のあり方が期待されるようになってきました。
>これからの農業経営を考える上で、循環型社会における農業が、これからの農業のひとつの答えになるのではないでしょうか。
と、ありました。今回はこのあたりを掘り下げてみます。
循環型社会とは再生産可能な社会ということだと考え、再生産ということは自家採種(種の自給)は不可欠な要因になります。現在市場に出回る農産物の殆どがF1種と呼ばれる一代限りの交雑種で、種をつくることができず、自分と同じ形質が継承できない種のことです。
続きのまえにぽちってしていただけると嬉しいです
2.F1種の危険性
現在、大多数の農家は種(F1種)を買ってきて作物を作っています。F1種には収量を上げやすく、成長が早く、作物の色や形・味に均一性があるという特徴があります。
この特徴は箱詰めがしやすかったり、栽培では一斉に発芽し一斉に収穫でき、省力化につながります。これらは農家にとって生産管理がしやすく、出荷作業でも省力化できる点で有利になります。しかし一方でF1種は種が採れないので栽培前に、そのつど買わなければならなく費用がかかります。
そして“種を買わなければ栽培はできない”ということは実は非常に恐ろしいことなのです。当たり前のことですが、種がなければ野菜などの作物は作れません。また、牛や豚などの家畜の餌も供給できなくなります。なので私たちの食べ物は海産物以外は無くなるのです。
“種を支配することは私たちの食料を支配する”ことに他ならないのです。
そのため種子会社による種子支配が進行しており、農産物の種子(F1種)は、種子会社が管理し供給する構図になり、種子会社の利益を優先した販売戦略のなすがままにされることを意味しています。
例えばもしも遺伝子組換え種子がそれにとって代われば、種子を種子会社に依存している農家はどうやってそれを拒むことができるでしょうか?
3.F1種から自家採種へ
私たちは目先の便利さに溺れ、種(=食料)を握られている状況です。再生産可能な循環型社会のためにはF1種ではなく、それぞれの農家自らが種を採る(自家採種)ことが必要不可欠になります。
そこで“固定種”という種が現在注目を集めています。これは、自然の作物からできた種で植物として自然に種が採れる(自家採種)作物です。種ができ、自然の中で選抜を繰り返し、その土地に合った作物ができます。実際、昭和30年代までは、地域ごとの気候条件に適合し、安定した形質をもった「在来種」(固定種)を農家は自家採種していました。
ただしF1種と比べ、収量はそこそこで、成長速度にバラつきがあり、作業や栽培では効率的な作物ではありません。しかし味はその作物本来の味があり、美味しい作物ができます。
固定種は利益だけの目的ではなく、自分たちの食料を自分たちで確保する=自給自足の循環型社会に合った種なのです。最近ではこの固定種は“伝統野菜”として徐々に広まりつつあります。
「清澄の里 粟」という奈良県にあるレストランでは奈良県の伝統野菜である大和野菜を使った料理を提供しています。そこのオーナーは大和伝統野菜と、その種を継ぐ活動によって地域の繋がりをつくろうとレストランを始めました。
オーナーである三浦さんは十数年前に大和伝統野菜の調査を始め、レストランがきっかけとなって大和伝統野菜を作る農家は増え、またレストランという場所自体が地域住民の繋がりを作る集会所として機能しています。
レストランのほかにも「NPO法人清澄の村」を立ち上げ、年齢性別を問わないメンバーで年間200種類以上の伝統野菜の栽培や、地域に根ざした伝統的な知恵を学びあう活動もおこなっています。たったひとつのレストランができたことから、地域の結びつきが強くなり、コミュニティが自然と作られていったという過程にはとてもわくわくさせられます。
元々は、耕作放棄されて数十年も経った荒れた山を開墾し、地元の農家の教えを受けながら野菜を育ててきたことから始まったという三浦さんの活動ですが、その目的は意外にも「福祉だった」と言います。専門学校を出て福祉関係の研究機関に勤めていたのですが、そのうち、高齢者が要介護者になるのが前提であるような福祉の現状に疑問を抱くようになりました。
そこで、いつまでも健やかに暮らせる予防福祉のようなアプローチができないものか。と考えるようになりました。
そう思っている矢先、旅行で訪れたアメリカでネイティブアメリカンの村に立ち寄ったときのことです。その村では伝統的食べ物であるトウモロコシを作ることで食文化が継承されていて、世代間の繋がりと共同体の繋がりの強さを目の当たりにしました。
知恵を持っているためお年寄りは頼りにされ、生きがいがあり、生涯現役。そこには日本で感じていた、お年寄りの役割の無さ、生きる上での横の繋がりの喪失はまったくありませんでした。世代を超えてお互いを尊敬しあい生き生きと暮らす素晴らしいコミュニティ。その中心にあったのは、お年寄りが若者に伝えていた食文化、とりわけ伝統野菜と、その種でした。
顔のわからない誰かではなく、身近な人の笑顔が見たくて作られる野菜として伝統野菜に注目し「清澄の里 粟」を作られました。このレストランの存在は、手間のかかる伝統野菜を作るのをやめようかと思っていた人が思いとどまったり、外からの視点によって地域の人が大和野菜の魅力を再発見するきっかけにもなっています。
(リンク:るいネット 伝統野菜レストランで共同体再生?~伝統野菜レストラン「清澄の里 粟」1)
4.固定種が拡がらない理由
こうした固定種はそもそも今新たに発見された物ではなく、昔から作られていた作物です。
しかし収穫量の少なさや個性的な形の問題から作物の主流ルートであるスーパーマーケットや外食産業などの大量販売には対応しにくいため、利益が低い作物と言えます。また戦後、農業も産業としての拡大が求められていく中で、大量生産できて形も揃うF1種が主流になり、徐々に姿を消していきました。
5.固定種の可能性
「清澄の里 粟」や有名な伝統野菜である京野菜が注目を受けている背景には安全、安心、生産者の顔が見える野菜に潜在的な需要があると考えられ、今までの大量生産、大量消費の工業的な作物(F1種)から生産者の顔が見える、より安心できる作物(固定種)へと消費者意識が変わってきています。この潜在意識を顕在化し、成功した事例が「清澄の里 粟」や京野菜であると考え、生産者と消費者を繋ぐ取り組みが重要で、生産者自らが消費者に作物を提供する、直売所や宅配といった直販に可能性があると考えます。
さらにこうした直販ルートが社会に根付いた時に安心、安全な作物が広く出回り、再生産可能な循環型社会が実現できるのだと考えます。
投稿者 ARI-HIRO : 2013年02月28日 TweetList
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