2021年5月6日

2021年05月06日

カマキリとテントウムシで無農薬レモンを作る!?

今回は、愛知県豊橋市で天敵昆虫を使いレモンの無農薬栽培を手掛けている農業家の紹介です。

彼は、レモンそのものに同化、その中身について徹底的に追求し、構造化。レモンが真直ぐ本来の姿で生育できるように自然の力(生態系の力:カマキリやテントウムシ)を借りて健全に育てている。

更には、その収穫したレモンの味を引き出せるように、二次加工を手掛ける仲間を見い出し、彼らと徹底的にすり合わせを行いながら、最高の製品を作り出しているのだ。

最終的には、そのレモンのおいしさを伝搬できる「食のビジネス」までに広げる活動を行っている。現在の農業6次産業化の最先端を走っているのではないだろうか?

では・・・・リンク

転載開始

今年(2019年)2月、日本農業賞「食の架け橋の部」で大賞に輝いたのが、愛知県豊橋市で天敵昆虫を使いレモンの無農薬栽培を実践する河合浩樹さんだ。日本農業賞は、農業技術や経営面で優れた実績を挙げた農家や団体に贈られる賞で、その大賞ともなれば国内最高レベルの証しになる。河合さんは、カマキリやテントウムシなど、害虫にとっての天敵昆虫を駆使して無農薬でレモンを生産する独自の栽培法でよく知られている存在だ。しかし、今回の受賞は、生産技術だけでなく、無農薬レモンを核に異業種の人たちを巻き込み地域の食ビジネスを立ち上げたり、優れた農産物を生産できる腕利きのプロ農家集団を作ったりしてきた実績が評価された。河合さんの取り組みは、地域と農業の振興を考える関係者にとって絶好のお手本になる。

毎年2月に発表される「日本農業賞」は、国内農業関係者にとって最も権威ある賞と言えるだろう。3つの部門ごとに大賞と特別賞が選ばれ、特に大賞はそれぞれの分野で国内最高レベルの取り組みを実践している農家や団体の証しだ。受賞者はNHKの全国放送で何度も取り上げられるので、番組や記事を見たことがあるという人は多いのではないだろうか。

~中略~

受賞者の中で、今回、ひときわ異彩を放つ生産者がいる。その人こそ「食の架け橋の部」で大賞を受賞した河合浩樹(かわいひろき)さんだ。河合さんは、農業生産が盛んな愛知県豊橋市の東、静岡県境近くで果樹園を営むみかん農家の5代目。河合さんはこの地でそもそもの家業であるみかんのほか、カマキリやテントウムシなど、害虫を捕食する天敵昆虫を使って無農薬でレモンを生産している。無農薬レモンの生産者はほかにもいるが、30種類以上もの天敵昆虫を自在に駆使する農家はほかに例を見ない。関係者の間では“知る人ぞ知る”異色の柑橘(かんきつ)農家なのだ。

「虫たちは仕事のパートナー。私は彼らを外部採用したり配置転換をしたりしながら活躍してもらっています」と笑う河合さん。カマキリやテントウムシを部下として使って無農薬レモンを作る……、なんとも驚きの生産方法だが、今回、河合さんが大賞に選ばれた理由は、実はそのユニークな生産手法だけではない。そうして作った無農薬レモンをベースに異業種の人たちや同業者農家たちと連携してきた実績を評価されてのことなのだ。

◆「初恋レモンプロジェクト」で地域振興

主な受賞理由となったのは河合さんが作った「初恋レモンプロジェクト」だ。河合さんは自らの果樹園を舵取りしながら、リーダーとして10年以上にわたってプロジェクトを運営し、地域の食ビジネスを盛り立ててきた。さらに、このプロジェクトから少し遅れて立ち上げた農業者の集まり「豊橋百儂人」(とよはしひゃくのうじん)の活動も評価された。

「初恋レモンプロジェクト」のメンバーは河合さんが生産する無農薬レモンを使って、洋菓子や和菓子、パン、餃子などの商品を作って販売する食品店・食品会社の経営者や、無農薬レモンを料理の食材に使うホテルの総料理長などから構成される。プロジェクトのリーダーである河合さん自身も、無農薬レモンのストレート果汁やレモネード、マーマレードなどの加工品を販売する。

河合さんが初恋レモンプロジェクトを作るきっかけは、無農薬レモンの生産が安定してきた2006年の秋ごろのこと。河合果樹園のレモンを皮ごと使ってメロンパン風のパンを作りたい、という申し出があったところからスタートした。

その後、地縁・人縁のつながりで、様々な人が河合さんのレモンを使った商品開発に取り組むことになる。プロジェクトの設立は2007年。たまたま酒席で出会った人からの縁をはじめ、「不思議な出会いに恵まれた」と河合さんは回想する。こうした出会いと、河合さんの無農薬レモンには高い市場価値があるという確信、そして、地域でもっと普及させたいという強い思いがつながった。この後も別のメンバーを巻き込みながら、プロジェクトは育っていく。その後も様々な魅力的な商品が生まれ、「初恋レモン」という名前は、今では地域ブランドとしてしっかりと定着するまでになった。

◆次代の農業者を育成する試み

もう一つの組織、「豊橋百儂人」の方は、「初恋レモンプロジェクト」から少し遅れて2009年に河合さんが中心となって立ち上げたもの。今年で設立10周年になる。この集まりは、参加メンバーが農業生産者として個々のレベルアップを図りながら、豊橋を中心とする東三河地域の農産物のブランド力や競争力を高めることを目指している。この地域に受け継がれてきた農業の先達たちの知恵と技術を生かし、食と農に関する文化を次世代に手渡していくという志を掲げている。

豊橋百儂人では、定例会で様々な議論を繰り返し、切磋琢磨していく。ただ、それだけなら、普通の情報共有をしながら技術を学ぶ農業者のグループと変わらない。百儂人のユニークなところは、参加メンバーを160を超える評価・認定基準に基づいてランク付けしているところだ。

この評価は、自分の評価だけでなく、公認サポーターからの客観的な評価などからなり、ネットに掲載される。百儂人に参加する農業者の中には、こうした評価付けに耐えられずやめていく人もいた。今も参加し続ける農業者は競争の中に自らを置き、客観的な評価の中で自分の立ち位置を知る。絶えず自己革新を迫られることで、さらに次のステップに進めるという考えだ。

農業者として自分を律しながら、栽培・生産・経営の技術を磨いていくプロ農家集団とでも言えばいいだろうか。河合さんはこの集まりの中から、高い技術力を持ち、自らの農産物や市場に対する深い理解と先を読む洞察力や情報発信力を備えた若い農業者が出てくることを期待している。

◆「語る力」の大切さ

一般に地域ブランドを作ろうとする場合、一人の生産者が単独で切り盛りすることは難しい。成功例は、ある程度規模の大きな団体や法人が中心となっていることが多い。

なぜ河合さんは個人経営の生産者として、大きな動きを作れたのだろうか……。残念ながら、こうすればできるというような単純な答えはない。プロジェクトがスタートする前の段階で、無農薬レモンで河合果樹園の名前は広く知られるようになっていた。つまりブランディングはできていたことは一つの素地になるだろう。それでもさらに「成功のカギは?」と聞くと、河合さんからは「とにかく深掘りしていくことです」という答えが返ってきた。

「例えば、初恋レモンプロジェクトは、昨年末から新しいステージに入りましたが、11年目からはメンバーの皆さんにセリングポイントをどれだけ言えるか。つまり、レモンのいいところを100見つけましょうという訓練をしています。実際にやってみると、いいところを100見つけるのは至難の業です。このためにはレモンについて深く知らなくてはなりません。栽培やレモンの木、葉、花などレモンそのものを徹底的に深掘りしていく。それだけではなく歴史や文学など周辺の話についても知っている必要があります。不思議なことにこうやって深掘りしていくと、いろいろなものにつながっていく。私は、最近ではレモンについて深掘りの余地が少なくなってきたので、初恋の部分を深掘りしています」と河合さん。今では、島崎藤村の「初恋」の詩や俳句などで初恋や恋心についての深掘りを続けているという。

つまりは、河合さんがプロジェクトを成功に導いている理由は、プロジェクトの中核にある無農薬レモンのことを様々な面から徹底的に深掘りし、そこで得られた知見や情報を周囲に対して熱く語っていくことにほかならない。情報の「深掘り」と「語る力」、そして周囲との密なコミュニケーション。この3つが河合さんのプロジェクト運営の要諦と言っていいだろう。

実際、河合さんの情報発信力は実に高い。レモンについても、他に手掛けている柑橘類にしても、何かを聞けば即座に的確な答えが戻ってくる。話題も途切れることがない。こうした「語る力」もレモンについての「深掘り」がベースにあるからと納得できる。

河合さんに対するプロジェクトメンバーの信頼は絶大なものがある。主要メンバーの一人、ホテルアークリッシュ豊橋で総料理長を務める今里武(いまざとたけし)さんもその一人。「河合さんが語ってくださることは、僕らの武器になるんです」と今里さん。

今里さんは河合さんとのコミュケーションの中で得た無農薬レモンについての知識を自分の中に深く落とし込む。そして、料理の形で表現する。出来上がった料理は、単なる地産地消の食材を使った美味しい料理ではない。そこには何かプラスアルファの価値が加わっている。

「われわれのホテルのレストランでは、お客様にとって美味しい料理を出すのは当たり前です。しかし今はネット社会。お客様は素材についていろいろな情報を知っています。われわれはそこに上乗せして何かを伝えていかないといけない。作り手もサービスの人間もお客様にそれを伝える責任と義務があります」と今里さんの目は真剣だ。

河合さんとのコミュニケーションからは、次々と新しいメニューも生まれている。河合さんからの提案を受け、今里さんはレモンの葉を使った料理やレモンの花のつぼみを使った料理など、新しいメニューを開発している。

◆理念をすり合わせる

河合さんとプロジェクトメンバーのコミュニケーションは、様々な新商品を開発する際の原動力にもなっている。そうやって生まれた商品の代表例が「初恋レモン餃子」だ。

この餃子は、プロジェクトの中核メンバーの一人、さくらFOODS代表取締役の北澤晃浩(きたざわあきひろ)さんが、河合さんからの提案を受けて創り出したまったく新しいタイプの餃子と言える。さくらFOODSは、地元の食材にこだわり、安全にこだわった餃子の製造・販売をしている企業だ。

「初恋レモン餃子」では、無農薬レモンを皮ごと具に練り込み、ひき肉には国産の鶏肉を使っている。北澤さんは、レモンを使った餃子を作ってみないかという河合さんからの提案に「最初は戸惑いました」と笑う。しかし、鶏肉料理にレモンをかけることを思い出し、作ってみたところこれが大人気となり、県のグルメランキングでグランプリを取るほどのヒット商品になった。今では、「さくらFOODSの看板商品」(北澤さん)というまでに育った。

北澤さんはプロジェクトの役員として河合さんを補佐しながら運営していくメンバーでもある。メンバーは定例会で密なコミュニケーションを続けながら、河合さんの考え方を共有しようとしている。

「最近、プロジェクトが新しいステージに入ってからは参加メンバーで河合さんの哲学を理解して共通の理念を作ろうとしています。これだけ明確に理念を持って情報発信できる方は少ないし、非常にわかりやすい。最近では、河合さんの理念が私の会社の経営理念にもなってきている感じですね。プロジェクトは自分にとっても会社にとっても大きな糧(かて)です」と北澤さんは語る。

◆根本にあるのは農業経営力

みかん農家の5代目でもある河合さんが無農薬レモンを志し、レモンのハウス栽培を始めたのは1993年のことになる。そこから四半世紀以上、数え切れないほどの試行錯誤を繰り返し、レモンについての知見を一つずつ重ねてきた。豊橋の気候にあったハウス内での栽培方法や天敵昆虫による害虫駆除の方法論も、一朝一夕でできるものではない。まさに農業技術そのものの深掘りをしてきた結果だ。

レモンだけではなく、もともとの家業であるみかん栽培についてもアプローチの手法は変わらない。減農薬栽培、無化学肥料栽培、無農薬栽培、自然栽培など、さまざまな栽培法を試行錯誤を繰り返しながらノウハウの深度を深め続けている。河合果樹園の規模は、レモンのハウスで45アール、みかんのハウスが25アール、露地みかんが170アールと柑橘農家としてはかなり大きなものになる。これだけの大規模で、多彩な栽培法を手掛けながら、さらに進化させようとしているところは他にないだろう。

河合さんの豊かな情報発信力もコミュニケーション力も、こうしたプロ農家としての栽培力・経営力に裏打ちされたものだ。河合さん自身も今回の受賞について、「連携を評価されての受賞ですが、私の取り組みの最大の背景は、多彩な品目を組み合わせ一年中出荷できる体系を整えた農業経営にあると思っています」と語っている。

1つの農作物を地域の特産に育て、異業種との連携をしながら食ビジネスを作り上げていくためには、根幹にあたる農業の部分が本物でなければ持続的な成長などあり得ない。

河合さんは「今は、なんちゃって農家が増えていますが、それでは何かやろうとしてもせいぜいもって3年がいいところです。それ以上は続きません。深掘りを重ねて本物のプロにならなければダメです」と断言する。

河合さん自身は、プロジェクトで走り回り、周囲に対して様々な情報を発信しながらも、決して根幹となる自らの農業技術の改革を怠らず、さらに深く広く進化させようとしている。ここ数年、レモン生産への参入が増えていることを感じ、市場の動向を予測しながら、レモンの次のエースとなる品種の栽培も進めているという河合さんの次の一手から目が離せない。

川合果樹園

日本農業賞・大賞に輝いた「地域特産物の作り方」とは 2019.05.27文=高山和良

以上転載終了

投稿者 noublog : 2021年05月06日  

2021年05月06日

農のあるまちづくり12~都市農家とつながろうⅠ

近くにいながら、あまり知られていない。

「都市農家」の生態について。

 

以下、転載(「東京農業クリエイターズ」2018著:小野淳)

(さらに…)

投稿者 noublog : 2021年05月06日