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2021年09月28日

【農の歴史】第4回 林業の歴史=植林の歴史

これまで農業、漁業の歴史を見てきましたが今回は林業を見ていきます。
まず林業はいつどういう経緯で始まったのかご存知ですか?
江戸時代の始まりは日本中の山々は殆ど禿山でした。樹木を得るために既に本州には木がなく北海道まで遠征した。結果北海道の山まで殆ど禿山になった、現在の日本の風景とは全く異なる日本があったそうです。
禿山と林業、大いに関係があるようです。つまり林業とは木を切って売る業ではなく木を植える植林がはじまりでありその本質のようです。
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林業従事者は昭和55年には15万人ほどいましたが年々減少し、平成27年には4万5千人まで減少。農業の175万人、漁業の15万人に比べると圧倒的に少ない。平成15年に緑の雇用という制度を林野庁が作り若い世代を中心に徐々に雇用を伸ばしていますが、それでも毎年2000人程度が就業する程度で減少の速度は減るものの就業人口の増加にはまだ転じていません。

この林業、歴史をたどれば非常に古くから基幹産業、国家産業として重要視されてきました。日本は今でこそ森が豊かで緑に覆われた自然豊かな環境があると認識されていますが、かつては地方の様々な山は樹木が切り取られ、禿山、再生不可能な土山の風景が広がっていました。

林業の歴史とは樹木と人々の関わりの歴史でもある。まずその辺から見ていきたいと思います。

木材は今でこそ建材として使われることがイメージされがちですが、かつてはその過半は薪や石炭として燃料源として使われていました。さらにたたら製鉄の際の大量の熱源、製塩の為の熱源としても使われ続けていました。もちろん奈良時代以降続いた神社仏閣の木材にも大量に利用されていました。さらに樹木そのものは防災のための防風林や河川の氾濫を抑える防災効果も持っていました。今日では毎日使う紙や箸まで、人と木は切っても切れない関係にあります。

下記は「日本の森の歴史」からお借りしました。抜粋して掲載します。

少し長くなりますが、日本人の森と木の歴史として非常によくまとまっていますので閲読下さい。
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日本人が森を使って暮らし始めたのは、縄文時代。人々は火を燃やすために木を伐採し、森で採れる山菜やキノコ、あく抜きしたドングリやトチの実などを食料にしていました。また、クリやウルシを栽培して利用していたことが、青森県の三内丸山遺跡から確認されています。森林を刈り開いて火をつけ、その焼け跡に作物の種を蒔く「焼き畑」も縄文時代に始まりました。火入れ後には雑穀や野菜の種のみならず、樹木の苗も植えられていました。

 有史時代に入ると、水田耕作の肥料としても森が使われるようになりました。落ち葉や草木の若芽・若葉を刈り取り、田の中に踏み込んで腐らせる「刈敷」がそれです。風土記には、松脂、榧子(かやのみ)など様々な草木が薬用に使われていたことが記されており、人々の知恵による森活用の幅が広がって来たことがわかります。

 その一方で、建築用の木材需要増加や水田開拓のために森林乱伐が進みました。日本書紀によると、天武天皇が、飛鳥川上流の畿内の草木採取と畿内山野の伐木を禁止する勅を発令(676年)。これは、森林伐採禁止令の最古の記録とされています。平城京、平安京の建設、寺社仏閣の建築ブームなども相まって、800年代までには畿内の森林の相当部分が失われ、600年〜850年は日本の森林が荒廃した第一期とも言われています。

 古代から中世を通じて、近畿など先進地域を中心に人口増加とともに森林需要は増加し、森は減少・劣化。時代が武家社会になってからも、木材需要は増加の一途を辿りました。武士が思想の拠り所とした禅宗の寺院建造、仏像など木製の彫像芸術、御家人の住居建設、そして農民による水田開発…。さらに戦国時代には、鉄砲・刀剣・槍などの武器製造や砦や城の建築などに大量の木材が使われ、乱伐は続きました。戦乱の炎で焼かれた森林も少なくはないでしょう。また、戦国大名は、自らの領地において治水・灌漑、農産物の増産、商工業者の結集、鉱山開発、城郭の建設などを進めたため、社会は発展。日本の人口は、15世紀中頃から18世紀初頭までに約3倍にまで急増しました。それに伴い、中心的な資源である木材の需要も増える一方だったのです。

 室町時代には、天竜の犬居町秋葉神社でのスギ、ヒノキの植林、奈良県吉野川上郡でスギの植林が開始されました。このあたりが本格的な人工造林の最も古い記録とされています。また、1550年頃から山林の荒廃・洪水の害を防止するために植林が奨励され、安土桃山時代には、武蔵国高麗郡で数万本の苗を植え、かつ数十町歩の原野を切り開いて木を増殖した史実もあります。このような植林推進の一方で、戦乱後の復興や安土桃山文化の絢爛たる建築物の建造などに森林資源が使い尽くされました。

江戸時代に入っても森林破壊は留まることなく、1710年までには本州、四国、九州、北海道南部の森林のうち当時の技術で伐採出来るものの大半は消失したとされています。森林資源の過剰利用により、日本列島の各地に「禿げ山」が生じ、木材供給の逼迫のみならず河川氾濫や台風被害などの災厄をもたらしました。禿げ山は度重なる洪水の原因ともなり、江戸時代になると幕府と諸藩は河川の付け替えなどの治水事業と森林の保全に乗り出しました。森林の保全は、禁伐林などを指定する保護林政策と伐採禁止、植栽、土砂留工事などを組み合わせて行われ、とりわけ保護林政策が厳しくなって行きました。

 江戸時代の森林は、藩有林、村持山、社寺・豪族などの私有林に大別され、原則、森林の管理は藩に任されていました。古代より、「林野公私共利」(大宝律令)の原則のもと農民は里山から落葉落枝、灌木、下草などを採取する権利があり、その権利は中世を経て徐々に厳しくなりましたが、江戸時代に至っては「村持山」を入会の制度にしたがって利用するだけ、に制限されました。
江戸幕府は代官所に村々での植樹・造林を命じ、また、1661年、幕府と諸藩は林産資源保続のため「御林」(下草から枯れ枝まで採集を禁じた直轄林)を設けました。*「留山制度」ともいい、それは「木一本、首ひとつ」というほど、厳しい制度だったそうです。

一方、17世紀後半以降、海岸を有する多くの藩でいっせいに「海岸林」の造成が行われました。その理由は、江戸時代初頭の急激な国土開発による山地・森林荒廃の影響として、海岸で飛砂害が激化したことへの対策。河川上流の森林が劣化したことにより、流出した大量の土砂が沿岸流によって各地の砂浜海岸に到達し、それによって飛砂が発生したとされています。海岸林造成では、各藩とも試行錯誤の結果として、塩害に強く貧栄養な立地条件でも生存できるクロマツ林を成林させました。「白砂清松」と、日本人にとって見慣れたマツ林の起源は、このあたりにあるようです。

江戸幕府の厳しい伐採・流通規制、森林再生促進など森林保護政策の結果として、日本列島の森林資源は回復に転じました。荒廃した日本の森がなんとか 破滅せずに存続したのは、雨の多い湿潤な気候、人が立ち入れない急峻な奥山や聖域としての森(鎮守の杜など)があったなどの理由もありますが、江戸幕府による積極的な植林事業に負うところが大きいようです。人口100万人の江戸の街には、武家屋敷の周囲を囲む屋敷林、寺社が所有する森が広がり、江戸市域全体の緑被地率は42.9%と世界でもまれに見る緑豊かな都市だったとされています。
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これを読んで驚くのは日本は1700年初頭には天然林はほぼ消滅していたという史実です。その後江戸幕府を中心となる幕藩体制の中で徹底的に植林と森林保護が進められ、江戸時代後半にはほぼ現在の風景に近い自然林、植林が山に戻っていたのです。江戸幕府の優れた一面を見ると共にわずか100年で自然林を再生させた日本の国土の復元力にも驚きです。

植林の始まりは室町からと言われていますが、実はもっと昔、奈良、平安時代から植林は進められており、676年森林伐採を制限した法制ができた辺りからかと思われます。自然の資源は限界があり、取りすぎない、循環の中で恵みを得るという発想は元々縄文時代から我々日本人のDNAに組み込まれており、江戸時代になぜ国家事業として成し得たのかは、徳川の力というより、縄文体質を持った徳川が日本人の本来持っていた価値観に訴える事ができたからではないかと私は思います。

その後明治時代も産業拡大がありながらも国有林は増え続け、1950年代には木材の自給率は80%を超えていたと言われています。しかし高度経済成長の中で自給率は落ち続け20%を切り、そして今再び森林保護がなされて徐々に自給率は回復しています。わずか数百年で増えたり減ったりを繰り返す森林。これらを守り続けていく上でも林業の再生は国家としてもまた我々国民としても取り組んでいく大きな課題だと思います。
i_std_bsc_02-2_3-2_l←クリックして下さい(林業の歴史です)
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当ブログで林業を扱っていく視点を出しておきます。時を見て追求していきたいと思います。
・林業は国土保全という発想がベース
・林業とは50年、100年かかるロングスパンの事業
・林業と農村学校のコラボの可能性
・林業の本質は自然保護と里山保全
・現在の林業が抱える課題と可能性
・林業は企業が適している?~住友林業は何を残してきたか。

投稿者 tano : 2021年09月28日 List   

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