2021年9月7日
2021年09月07日
『農村学校をつくろう!』シリーズ-2~子育ての課題⇒農村学校の可能性とは?~
今回の投稿では、私たちが、農村学校に可能性があると感じている課題意識と可能性について書きたいと思います。農村学校には、日本の子どもたちを救う実現基盤があるというのが一番の可能性だと考えています。
画像は、こちらからお借りしました。
■農村学校のイメージは?
まず、私たちが考えている農村学校は、幼児から小学校・中学校~高校生くらいまでの子どもたちが、農村部に1~3年間程度の中長期間住む(共同生活)を過ごす場であること。農業という生産課題を通じて、生きる力を身につけていけるような仕組みです。
この学校では、子どもたちは家庭から離れ、その地域に住む地元の方や、一緒に働く生産者の方、そして、同じように学ぶ子どもたち仲間と寝食を共にする。家族や友達に限らない、幅広い関係世界の人たちとともに農作物を生産し、たくましく成長していくことができる場です。
それでは、なぜこのような農村学校が必要だと考えたのか?についてですが、これからの子育て・集団づくりを考えていく上で、4つの社会課題と、農村学校の可能性が非常に重要だと考えています。
■世の中の課題と、農村学校の可能性は?
①人間本来の力を開放する場(右脳の開放)
これが一番重要な課題です。現代の子どもたちの生活は、授業、習い事、SNSやテレビ、文字や情報の「左脳だけを使う」生活です。
今の時代に求められている力は、周りの期待や状況に「一体化」⇒期待に応えたいという意欲・追求力で、誰かに教えてもらうものではありません。
大自然を通じての万物への感謝感、刻々と変化する自然の注視、共に働く仲間と呼吸を合わせての一体感や期待応合。まさに右脳を全開する格好の環境です。
②自然の摂理を、身体でつかむ
農村は、都会の生活では感じにくい、自然に包まれた生活。その中で、太陽が昇る時間に起きて、光や風を感じて身体を覚醒させ、そして、虫の音とともに生活する。自分のすぐ隣に自然があり、農作業や日常生活を通じて、自然を注視して、その世界(摂理)を身体でつかむことができます。
③生産課題を通じた本物の学び
学校で過ごす子供たちは、小学校高学年になると大人と同じように的確に判断・行動できるようになりますが、さらに10年大学まで消費者として過ごすことが常識となっています。
農業では、子どもたちが「生産課題」を担うことで、相手の期待に応えることの充足を真正面から感じることができます。さらに、小学校の低学年の子どもたちも同じように仕事の役割を担うことができる、年齢問わない大きな学びの基盤です。
④集団意識を再生する(新しい集団づくり)
農村部には、生産課題や村の運営課題を自分たちで話し合って、みんなで認め合って運営していく「共認原理」に根ざした寄合や組合・会合などが(かろうじて)残っています。ここに、若い子どもたちの力で、近代制度の狭い集団(核家族etc)を超え出た、次代の共同体基盤を創っていくことにつながるのではないでしょうか。
上で書いたように、現代の子どもたちは、都会のコンクリートの中で、核家族の狭い関係の中で生活し、さらには、学校では社会とつながらない学びを詰め込まれる生活になってしまっています。
私たちは、農村という日本の最大の子育て・学びの基盤を活かし、子どもたちの生きる力を育む場を創っていきたい。そのような想いを込めて、これから追求していきますので、ぜひ楽しみにしていてください!
投稿者 hasi-hir : 2021年09月07日 Tweet
2021年09月07日
[農の歴史]第1回 人類はいつ、なぜ農耕を始めたのか
人類が農耕を始めたのは、1万5000年程前(人類史でいう、「後期旧石器時代」)から始まる「ヤンガー・ドリアス寒冷期」がきっかけとされています。
発足地は「肥沃な三日月地帯」のレバント地方。現在で言うと、ペルシア湾からチグリス川・ユーフラテス川を遡り、シリアを経てパレスチナ、エジプトへ至る半円形の地域、その西半分です。
この地域の代表的な初期農耕遺跡から、多くの栽培種(ムギ類、マメ類、果物、、)が出土されていることが証拠とされています。
ただ、これが人類史上初の農耕かは実ははっきりしていません。ヤンガー・ドリアス以前にも寒冷期は何度かあり、もっと昔から人類は農耕の術を知っていたという説もあります。
ここでは一旦「“寒冷期”に農耕をはじめた」という事実をもって、原始人類に同化していこうと思います。 (さらに…)
投稿者 ideta : 2021年09月07日 Tweet