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2021年05月13日
農のあるまちづくり13~都市農家とつながろうⅡ
【農のあるまちづくり12~都市農家とつながろうⅠ】
に続いて。
自ら地域の”ハブ役”となっていくことが、「都市農家」の生き残り戦略。
以下、転載(「東京農業クリエイターズ」2018著:小野淳)
■江戸東京野菜をコアに多角経営
2017年11月。東京都三鷹市にある冨澤ファームの農場には、家族連れなど100人以上の人が賑やかに集っていました。「秋の収穫体験&BBQ」という企画で、主催は地元の信用金庫。参加者は信用金庫の法人会員とその家族です。
この企画は毎年、多摩地域のいろいろな農家の屋敷と畑を会場にして実施されています。㈱農天気が農家との間に立って運営を請け負っており、今回は、かねてから親交があり、協働の実績もあった冨澤剛さんの農場を会場としました。
主催者の挨拶が終わると、冨澤さんと私で参加者を畑へ誘導。あらかじめ決めた区画内で参加者に、ダイコン、ニンジン、サツマイモ、里芋などを収穫してもらうのです。
「うわー、でっかい!」と歓声が上がるのは里芋掘り。親芋、子芋、孫芋がくっついた大きなかたまりの里芋を収穫することは、ほとんどの参加者にとって人生初体験でしょう。
収穫が終わる頃には、私の運営する「はたけんぽ」から出張してきたミニ馬のジャックとダンディが登場。親子でミニ馬とふれあいながらバーベキュー大会へと移ります。調理にはプロ料理人も参加して、採れたての野菜を使った芋煮や野菜焼きなどを振る舞います。3時間程度で盛りだくさんの体験ができて、参加者は大満足の様子でした。
冨澤ファームでは、こうしたイベントを含めて、さまざまな団体と連携したプログラムが開催されています。とくに力を入れているのは、江戸東京野菜を用いた教育プログラムです。
江戸東京野菜とは、JA東京中央会が商標を持っている伝統野菜のブランドで、以下のような定義があります。
「江戸期から始まる東京の野菜文化を継承するとともに、種苗の大半が自給、または近隣の種苗商によって確保されていた、昭和中期(昭和40年頃)までのいわゆる在来種、または在来の栽培法等に由来する野菜のこと。」
有名なところでは「大蔵ダイコン」「寺島ナス」など。45品目が登録され、ほかに野菜ではないため参考登録となっている穀類・果樹などの6品目も認定されています。
■都市農家の生き残り策は”タコ足営農”
冨澤さんは2012年に、この伝統野菜を広める「江戸東京野菜コンシェルジュ」育成講座の第1期生となりました。それから自分でも江戸東京野菜を数品目、栽培するとともに、コンシェルジュとして普及にも努めています。
江戸東京野菜に関する講座で講師を務め、都心の飲食店には食材を出荷するだけでなく、従業員の研修や懇親会の開催を畑で引き受けています。また、大蔵ダイコンなどの江戸東京野菜は都内の学校給食に卸されていて、冨澤ファームは複数の出荷農家の集荷場にもなっています。
「江戸東京野菜が儲かるかというと、いまのところは正直、なかなか難しいですね。でも江戸東京野菜を通して、飲食店や学校、地域など、近いのになかなかつながる機会のなかった人たちとの関係が生まれました。小規模農家は、そういった人たちに支えられながらやっていくことが必要なのです」と冨澤さんは語ります。
馬場さんの農場と同じく、冨澤さんの農場にも近々、道路が通る予定で、母屋を含めたかなりの面積がなくなります。そのため代地として新たな農地の購入にも踏み切りました。耕作面積が減少していくなかで、どのような農業を経営して生き残り、自分の代を超えて農家という家業をバトンタッチしていけるかという課題意識は、常に冨澤さんの中にあります。
「野菜をつくって販売しているだけでは、だんだん経営が厳しくなっていくことは明らか。面積は縮小しているのだから価値を高めなければいけないんですが、自分ひとりの取り組みで実現するのは困難です。だから、よく仲間内で『切り込み隊長』って呼ばれてるんですが(笑)、新しいことにも次々と取り組んで、さまざまな立場の人たちと連携して、農産物のファンにもなってもらう。そうすることで、われわれの農地や農業に必要性を感じてもらわなければならないんです」
多方面にコミットして、事業をタコ足のように次々と展開していく。そういう冨澤さんの営農手法は、都市近郊にかぎらず、これからの小規模農家の生き残り戦略モデルにもなりそうです。
投稿者 noublog : 2021年05月13日 TweetList
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