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2014年04月03日
農を身近に★あぐり通信vol.20:薬の歴史は生薬(薬草)発見の歴史
現在、西洋医学と漢方医学における薬という2つの頂点をもって、現代の医学が積み重ねられてきました。
今回は歴史を遡ることにより、薬の歴史と西洋医学の発生、漢方医学の発生を国内外からみていきたいと思います。
参照「薬のルーツ“生薬”(関水康彰著)」より
古代エジプトやローマ時代の医療と薬
薬の歴史を振り返ってみると、90%以上を植物の成分に頼ってきたことがわかります。
とりわけ幻覚、精神高揚、催淫(性欲をうながし、精力を高める作用)などの中枢興奮作用があるもの、または中枢抑制による鎮静・鎮痛、解熱、下剤、下痢止め催吐(嘔吐を誘発)などの苦痛を除去する作用があるなど、作用効果のはっきりした植物は早い時期から用いられていました。
残されている記録から薬の歴史を調べてみると、古代バビロニアでは、西洋スギ、イトスギの油、アヘン、カンゾウなどがよく用いられていたほか硝石なども薬とされていたようです。
古代エジプトの医学は、紀元前2900年頃のジョセル王に仕えた医師イムホテプに始まったとされています。それは奇しくも、古代中国の伝説的な皇帝で、医療宇野祖とされる紳農と同時代にあたります。ちなみに、その名を冠した「神農本草経」という薬物書は漢の時代に完成、集大成したといわれています。
紀元前1500年頃のエジプトにおいては、記録にのこる薬の処方集によると、処方は810種、薬としては植物性、動物性、鉱物性をあわせて、約700種が用いられていたようです。
薬の内容は、内服薬のほかに、うがい薬、吸入剤、坐剤、燻煙剤(加熱すると、霧状の煙を発して病害虫を防除する農薬の一種)、湿布、ローションまでもありました。そのなかには、現在でも薬剤として使われる桂枝やザクロの皮(駆虫薬)、センナ(下剤)、アロエ、発火、アラビアゴム、アヘンなども入っています。
ところで、下剤は最も古くから人間が用いてきた薬のひとつといわれており、あのクレオパトラもアロエ(健胃、緩下剤)の愛用者だったようです。
その後、ギリシャ、ローマに続く古代西洋では、エジプト医学の影響を受けながらさらに発展し、多くの医薬の巨人を生み出しました。
画像はこちらからお借りしました
アラビア時代の世界初の薬局
世界で最古の薬局は8世紀中頃に、イスラム文化の中心地であるバグダッドで誕生しました。バグダッドの薬局では、アラビアの香辛料をはじめ、ペルシャやインド、中国の薬品のほか、ローマ時代に知られていなかった材料も取り扱われるようになりました。
また、このときからサトウキビを原料とする砂糖が薬にも配合されるようになり、それまでになかったシロップ剤や糖剤がつくられました。
植物毒の抽出が近代薬学を発展
15世紀のルネサンス期では、航海術の発達にともなって交易が盛んになり、東洋の薬品や香辛料が続々とヨーロッパに持ち込まれるようになりました。当時の薬は薬草などの生薬が主体でしたが、17世紀に入ると、科学技術の発展に伴って、植物の蒸留エキスや無機化合物など、生薬を特性加工したものも出回るようになり、現在の有機化学が芽吹きはじめます。
そして1806年、ドイツの薬剤師フリードリッヒは、古くから鎮痛剤として用いられたアヘンからモルヒネを抽出することに成功します。それ以降、薬草の有効成分の研究が盛んに行われるようになっていきます。
朝鮮や中国の医方、本草を取り入れた日本の医療
日本最古の記録である「古事記」や「日本書記」に残る古代医療では、多くの動植物が民間薬として記載されています。
しかし古代日本では他国の民族同様に祈祷やまじないが病気治療の主流におかれて、内服薬は精神変容約としての酒であり、動・植物を材料とする薬は主として外用薬として使われていました。
古代日本の医療および薬は、朝鮮や中国から技術導入によって発展してきました。その後中国医方が多く入り、江戸時代末期まで支配することになります。奈良時代はじめは唐から持ち込まれたものが多かったのですが、その後の記録によると、平安時代に書かれた「本草和名」には1025種の薬草が記され、日本最古の本草書といわれています。
現代医学と漢方医学の大きな違いとは?
明治時代に入ると、近代薬学の夜明けが始まります。生薬研究の先駆者でもある長井長義は、ドイツで13年もの間有機化学を学んで帰国。帝国大学の薬学部に着任すると、次のような方針を打ち出しました。
1、薬品(生薬)をなるべく人体に吸収されやすい形体に変える
2、有効成分不明の日本産「草根木皮」を分析し、その成分を明らかにすること。
3、従来、作ることができなかった薬品を合成によってつくり、また、未知の新薬を作り出すこと。
長井博士はこの方針を有限実行し、世界に日本の薬学者の名を轟かせました。
しかし、今なお、生薬の相当数に道の有効成分があるとされ、今後の研究課題として多くを残していることも事実です。また、生薬を複数組み合わせる漢方では、生薬相互の作用によって、薬理作用の違いや変化がおきることで有効性が高まったり、医療効果が異質化したりすることが知られています。
漢方処方には、「補薬」と「しゃ薬」という、処方を二分する体系があります。「補薬」は一般的に穏やかであり、治癒力の不足を補う薬として、体力の落ちた「陰症」にもちい、「しゃ薬」は生体の過剰反応によって怒る不都合な症状の薬として「実症」や「陽症」に用いられます。
薬の作用する仕組みは、体の代謝調整を中心にしていることから、その作用を強めたり弱めたりすることによって、適切な治療効果をもたらすことが出来るわけです。
したがってそこで大切なことは「病気の見立て」になります。
漢方医学は、病気の原因、症状、病気の部位、患者の体質、病気の流れとして上記の組み合わせでできる六病位の症状の判定などを見極めることによって、薬の処方が決まる、という特徴を持っています。
この漢方の特徴こそが、部分医療と呼ばれるほど細分化された現代医学に欠落しているところ、ともいわれています。漢方は「関連」「つながり」「バランス」というように、人間をまるごと全体的に診る医学です。
これが“ホリスティック(全体)医学”として、漢方が現代に復活した要因といえるでしょう。生薬治療の集大成としての漢方医学は、大いなる注目を集めながら現代に根を下ろしているのです。
投稿者 noublog : 2014年04月03日 TweetList
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