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2014年02月03日

【コラム】 科学的農薬散布という非科学  

科学的思考の出発点は観察力です。
その観察力を以って、「一斉農薬散布という科学的技術」の「非科学性」を証明したお百姓さんがいます。彼は「市場原理の中の科学」という「騙しの構造」を、田んぼの中から、農作業の中から見出します。
現実を対象化せず、科学技術を鵜呑みにして盲信すれば、それはもはや科学にあらず。田んぼであっても一枚一枚の状況は異なる。その状況を踏まえて適切な対応をすべし。 
科学や技術やセオリーを、現実を対象化して見直す。 農業に限らず、現代社会の問題に答えを見出すために見習うべき姿勢ですね
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400年前の「農業全書」宮崎安貞の意志を継ぐ農民、宇根 豊氏の「田んぼの忘れ物」からのご紹介です。

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◆一斉防除は科学か?◆
農薬散布の中でも、水田の農薬散布は特殊な歴史を持つ。その大きな特徴は『共同防除』(=地域のみんな総出で共同作業で農薬を散布すること)にあったと言っていい。ぼくは、こうした技術の普及方法が、一見、村の共同体の力を活かしているように見えて、実は共同体の力を弱らせてきたのだと考える。なぜならばつい先頃まで、共同体の構成員の主体性と個性を奪い続けてきたのだから。この田んぼと百姓の個性を無視した共同防除を、意識的に否定しえたことは減農薬運動の着実な成果であった。
 
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しかし、本当に百姓は地域全体一斉に農薬散布することに疑問を抱かなかったのだろうか。たしかに共同で半ば強制的に農薬散布が行われているときには、わからなかった。やがて、防除が強制力を弱めた「一斉防除」(=決められたある期間内に、各自それぞれに農薬散布すること)に移行して、口には出しにくいが、散布をさぼった田でも、被害がないこともあることに気がつきはじめた。でも、それをみんなの話題にあげ、防除のあり方を再検討しようという試みにはつながらなかった。なぜならそれを妨げる一つの「常識」が厳然と村の中を支配していたからだ。
  
その常識とは、福岡県だけでなく、どうやら全国的なものであるらしい。そこが農薬の恐ろしい性格だと思うとぞっとする。その常識とはまず、「農薬は同じ日に一斉に、共同で散布しないと効果がない」というものだ、その理由が肝心なのだが、「農薬散布しない田は病害虫の発生源になって、周囲の稲に害を及ぼす」という脅迫的なものだし、それをそっくり裏返した「農薬を散布しないと、散布した田から、害虫が逃げ込んでくる」という恐怖をそそる理由も流布されてきたのだ。
 
見事な迷信だが、なぜこうした間違った迷信が、農薬という「科学的」な手段を使いながらうまれたのだろうか。それは、農薬散布という技術が、実は決して「科学的」ではないという証拠なのかもしれない。あるいは農薬散布という技術が抱えている根本的な欠陥かもしれない。
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ただ、こうした迷信は1978年から始まった「虫見板」(=田んぼの虫を数える道具)を使った減農薬運動によって、木っ端微塵に打ち砕かれた。しかしそれまでの期間の長さはふりかえれば呆然とするしかない。なぜ虫見板の登場を待たねばならなかったのか。ここに近代化をおしすすめた科学の冷たさがある。限界があった。それは科学に対する基本的な思い違いに原因がある。
 
虫見板を使った減農薬運動は当初、農薬を適正に使う、農薬肯定の運動に見えたらしい。なぜなら、それまでは病害虫がいようといまいと、多かろうと少なかろうと、スケジュールに従って、一斉に共同で散布されていた農薬を、虫見板上の害虫が一定の数以上いた場合にのみに散布するようにしたからだ。今までの農薬散布技術の欠陥を補う技術だと思われたのも無理なからぬだろう。その限りでは、現在虫見板をすすめている農薬会社もあることは、農薬業界の生き残り策としては、正しい対処だと思う。
 
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ところがやがて減農薬運動は、それまでの農薬散布技術が百姓の主体を抜きに成り立ってきた構造全体を、非科学的だと批判することになった。なぜなら、一枚一枚の田の病害虫の発生が異なるのに画一的な農薬散布をさせる技術は、少なくとも合理的ではない。さらに、そういう状況を何十年も継続させてきた技術や指導のあり方にまで批判の矛先を向けだしたときから、減農薬運動は福岡という風土を越えて、全国に波及することになる。

投稿者 kasahara : 2014年02月03日 List   

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