【シリーズ】生態系の循環を活かした持続可能な農業の実現に向けて(7) ~「持続可能な農業とは」 |
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2013年08月30日
ネオ茶の間!?そこにお茶はあるのかい?
前回は茶の湯 について紹介しましたが、日本のお茶といえば、もう一つ。そう、煎茶です。今回は煎茶の、特に庶民に於ける文化的側面から見ていきたいと思います
煎茶といえば、茶の間の文化ではないでしょうか?
テレビの画面 から「お茶の間のみなさん」とよびかけられることがある。ふだん何気なく聞き流してしまうこの「茶の間」というもの、いったい何なんだろう マスコミが「お茶の間向け」というとき、そこには、ほどほどの娯楽性をもった万人向けの内容といった調子がこめられている。いずれにしても、「茶の間」は「家族の団らん」とイコールのものとしてとらえている。 ひところ、テレビのホームドラマでは、しばしば茶の間での食事シーンが出てきた。考えてみれば、家族が会話する場所としての茶の間がいかに大きな位置をしめているかがわかる。茶の間を除いて家族がつながる場というものは考えられないほどだ。
家族と茶の間
それでは、なぜ家族団らんの場所を「茶の間」と呼ぶようになったのだろう。茶の間は、茶の湯が行われる茶室が変化していったものなのだろうか それにしては、茶の間のくつろいだ雰囲気にくらべ、茶室のあらたまった心構えは、同じ「茶」ということばでありながら、むしろ対極をなす空間のように感じる。 「お茶が入りましたよ」の一声で、それまで別のことをしていた家族が、茶の間という一所に集まり、談笑し互いに心通わせる。茶の間にはそうした温かさがある。
茶の間のルーツ
茶の間のルーツをたどっていくと、かつての囲炉裏にいきあたるという。たしかに囲炉裏の風景と茶の間の温かさには共通点が見い出せる。昔から囲炉裏は日常生活の中心であった。囲炉裏を核として人々は語り合い、食事をし、そして茶を楽しんだ。
囲炉裏とはどういうものか?
一般的な農家の間取りと囲炉裏の配置は図のようなものになる。囲炉裏は台所のほぼ中央に有り、人の動きや家屋の家畜の様子など、家全体を見渡すことのできるような合理的な位置に作られます。
昔の暮らしでは、食物を調理・加工する台所の中心にある「囲炉裏」の存在意義は、特に大きいものでした。 現在のように、石油・ガス・電気が使えなかった時代には、囲炉裏の火は「炊事」「暖房」「照明」と、暮らしの中の様々な場面に用いられました。さらに囲炉裏端は、一家の「食事の場」「休息・団らんの場」「夜なべ仕事の場」であり、時には「来客の応対の場」にもなり、まさに家の中心として機能していました 。
囲炉裏のルーツ
遡れば縄文時代に行き着きます。起源は、もともとは原始人がたき火を住居に持ち込んだものである。縄文時代の炉は、土床を浅く掘りこんだだけのもの、周りを石で囲う石囲炉、土器の甕を埋め込んだ埋甕炉が発見されている。
やがて時代が流れ、日本の家は「土間」、「居間」、「座敷」の3つの空間に分かれていった。「土間」は出入り口とつながった空間で、わら仕事などの農作業をする場所だった。「座敷」は人を招きいれる場所で、冠婚葬祭やもてなしに使われ、普段の生活では使われなかった。そして、寝起き、炊事、団欒などの生活の場として「居間」があったのである。 そのころになると、家には床板が張られ、居間のなかに囲炉裏が仕切られた。 囲炉裏は火の神の祭り場であり、火の神は家を守る神であった。やがて、古墳時代に朝鮮半島から「かまど」が紹介され、炊事施設が独立するまで、いろりは家のなかでも最も 神聖な場所 であり、足を踏み入れたり、けがれたものをくべることは禁じられた。
このようにして、先に紹介した様な間取りが定着していった訳である。
つまり茶の間は
以上の事から、茶の間を遡れば囲炉裏に行き着き、囲炉裏を遡れば縄文文化にまで及ぶ事が分かる。つまり、茶の間は近代にまで脈々と受け継がれてきた、家族(或いはそれに近い集団、単位)の重要なコミュニケーションの場であったのではないか。秦恒平氏が茶の間の「茶」の意味についてこう述べている。
「一期一会(いちごいちえ)の『会』の文字には、本来、人と人との寄り合う陽気や愉快や、また何事かを共に成そうという共感や決意が託されている。そういう共感や決意の原質を日本人が一家屋の部分に繋ぎとめてきたのが『茶の間』なのであって、そのもつ意義や機能が言わず語らずに認められつづけていればこそ、今日も昨日もテレビは『茶の間のみなさん』と語りかけてくる。『茶の間』の茶のはたらきが、今日もなお日本人の暮らしに十分な存在理由をもっている証拠である。」 つまり、茶の間の「茶」は、単に飲み物を指しているのではなく、家族をコミュニケーションの場で繋ぐツールだと言えよう。
ネオ茶の間
現代社会に於いて、もはや茶の間は消滅したと言って良い。部屋の間取りはキッチン、リビング、ダイニング、そして個人の部屋である。家族単位も小さくなった。現代の社会や生活習慣を考えれば、それも自然な事かも知れない 。
ところで、「ネオ茶の間」という言葉を聞いたことがあるだろうか CMプランナー佐藤尚之氏が自身の著書において用いている表現であるが、現代社会における新しいコミュニケーションの仕方をそう呼称している。
SNSの利用者数はおよそ43%だそうだ。中でも10代、20代においては、それぞれおよそ70%、65%と非常に高い 。SNSが新しいコミュニケーションの形として浸透しつつあるのは言うまでもないが、「ネオ茶の間」という表現がぴったりくるのは「ニコニコ動画」ではなかろうか?「ニコニコ動画」は動画共有サイトのひとつであるが、その特徴は、動画を視聴しているユーザー同士が、動画再生画面上でリアルタイムで文字による会話が出来るところであろう。なんだか、テレビを見ながら家族が談笑していた姿に似てはいないだろうか?先日、某テレビ局で「天空の城ラピュタ」が放送された。クライマックスで主人公が破滅の呪文(バルス)を唱えた瞬間、ツイッター上で一斉に「バルス」が飛び交った。実に14万回のツイート TPS(秒間ツイート)世界記録である
『ネオ茶の間』考察
コミュニケーションの新しい形が生まれ、時代はそちらに移行しつつある。しかし、対象が家族(それに順ずる集団)から、価値観の近い人達(友達、ネット上の仲間?)に傾倒し、ツールが茶の間からネット上に変われども、”コミュニケーションを求めている”という一点においては、変わっていないのではないか?むしろ、個人主義の推進(市場経済の拡大)によって失われていった『茶の間』(或いは、そのような場)を求める故の『ネオ茶の間』なのではないか?
茶(煎茶)のこれから
さて、話を戻そう。煎茶は日本独自の 世界に誇れる 趣向品であるが、これまで茶の間において家族を繋ぐツールとして親しまれてきた。或いは、縁側でご近所さんと、茶店で一杯。人と人を繋げてきた。
しかし、コミュニケーションの形も、ツールもすっかり代わった現代で、さらには、趣向品としても、コーヒー、ジュース様々あるなかで、煎茶に未来はあるのか? 次回、それでも煎茶にこだわった試みや、さらに一歩先行く試みなど、事例から可能性探索を試みてみよう。乞う御期待
参考
茶の学舎http://www.ochakaido.com/index03.htm
第33回・企画展「昔の暮らしと囲炉裏(いろり)の火」 http://www.pref.iwate.jp/~hp2088/park/kikaku/33rd_irori.html
ルーツを探れhttp://nikkenkyo.jp/before/4joho/roots/roots.htm
消え去った「いろり」の想い出
http://www.hyogo-agri.jp/maga/topics/column/column_0202.htm
住宅の歴史から考えるhttp://www.rashik.jp/kentikuka/2010/06/post_2.html
投稿者 staff : 2013年08月30日 TweetList
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