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2012年04月14日

農から始まる日本の再生シリーズ~先人に学ぶ食の有り様<芋類>

本シリーズでは、
>今後経済破局を迎えた際に世界経済が崩壊し食料輸入が停止する事を想定し、輸入がストップした際に日本では何を食べるのか?何を生産すれば良いか?のを考えていく事が重要<だと考え、保存食・白米・雑穀と日本の食の歴史を追求してきました。

ジャガイモの花

さらに世界へ視点を広げてみると、戦争時の食糧危機や自然災害時に人々の命綱となってきた救荒作物として、イモ類の存在があります(リンク)。今回は、イモ類の食の歴史を見ていく中で、先人の食に対する追求を学んでいきたいと思います。

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1.救荒作物として注目されたイモ類の特徴
戦争中の食糧危機時や自然災害時に、イモ類が注目されたのは、イモ類のその特徴にあります。この章では、イモ類の特徴について、みていきます。
食糧危機時には、まず「いかに食を確保するか」、「限られた食べ物からいかに栄養を取れるか」が課題となります。イモ類はその2つの突破口として優れていました。

芋は澱粉質などの糖質を多く含み栄養価も高いことから、世界には芋を主食としている地域が多数あります。ジャガイモやサツマイモは、痩せた土地でも耕作が出来ることから、世界各地に広がっています。 そして広い地域で様々な品種の芋が栽培されており、多くの飢餓を回避してきました。
芋はその進化の過程で種子による子孫繁栄よりも、地下茎による同一個体の複製を目指した植物で、無性生殖で短期間に多くの収量を得ることができます。
参照:リンク

生育が早く、短期間に多くの収量が得られること。そして、でんぷんが多く、栄養価が高いことは、食糧危機時に注目されました。
また、食糧危機時に突然野菜を作ろうとしても、栽培する手間と時間がかかります。また土壌に問題があればすぐに作ることが出来ません。しかし、イモ類は栄養が少ない痩せた土地でも、よく育ったため、さらに食糧危機などの非常時に適していたのです。
日本では、サツマイモがひとつの特徴によって、戦時中に学校の校庭に植えられるなど、緊急時の食の確保に救荒作物として広まった歴史があります。

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サツマイモは、根 (ときに茎や葉) の中に窒素固定能をもった細菌が生育していることが最近になって知られてきた。このような細菌はエンドファイト窒素固定細菌 (N2-fixing endophyte) とよばれている。エンドファイト窒素固定細菌としては Acetobacter, Azospirillum (α-プロテオバクテリア), Alcaligenes (β-プロテオバクテリア) などが知られ、植物の細胞間隙や導管内に生育している。これらの細菌の存在は植物体の高成長をもたらす。
というのも、植物の必要とする無機養分の多くは、土壌の母岩中に含まれているが、窒素はほとんど含まれていない。植物が利用する窒素の多くは、微生物により空気中の窒 素分子が固定 (窒素固定) されたものに起源をもつ。サツマイモは植物体自身が窒素固定細菌を成育して、成長に必要な養分を得ている。
参照:リンクリンク

サツマイモは、上記のような特徴と干ばつに強くて収量が多く、我が国に多い火山灰性の土壌にも適していたため、関東以南では、多く広まったようです。また、ジャガイモも寒冷地で育ち冷害に強い点から、中部・北海道に広まりました。イモ類は、栄養確保に重宝されていたようです。
これらの特徴をまとめると、
でんぷんが多く栄養価が高い
生育が早く、短期間(最短4ヶ月)に多くの収量が得られる
痩せた土地でも育つ

その他に、土の中にできるため風や雨に強い、栽培時の手間がかからない等、様々な点から注目されたのです。
しかし、イモ類が万能だったというわけではなく、連作障害もあり、あくまで色んな食物とバランスよく栽培していくことが必要であることは、昔も現在も変わっていません。

芋は地下茎による同一個体の複製する、無性生殖を行います。しかし、この無性生殖によって単一品種のみが栽培された場合には特定の植物固有の病気が蔓延しやすくなる傾向(連作障害)もあり、ジャガイモ飢饉のように逆に飢饉を発生させた例も存在しました。
参照:リンク

日本では、非常時の作物という印象も強いですね。
次の章では、日本でのイモ類の普及の歴史についてまとめていきます。
2.イモ類の普及の歴史
日本のイモ類の歴史は長く、古くは里芋が縄文時代には既に伝来していたようです。里芋も、農民の重要な救荒作物として、ずっと栽培されてきています。

・江戸時代の『大和本草』には「湿地を好む。山中の農多く植えて糧として飢えを助けて甚民用に利あり」とあり、里芋が重要な救荒作物であったことを示している。

また、日本の大きな食糧危機の歴史として、西日本で虫害が原因で発生した「享保の大飢饉」、浅間山の大噴火とその噴煙による「天明の大飢饉」、長雨と冷害により発生した「天保の大飢饉」や、第二次大戦中・戦後の食糧難時代がありますが、その時期に救荒作物として注目されたサツマイモとジャガイモの普及の歴史が多く残っています。当時、これらはどのように普及していったのか、歴史をいくつか紹介したいと思います。

・16世紀中頃から江戸時代鎖国が始まるまで、西洋文化の影響をうけいろいろな物がヨーロッパから入ってきました。その時期に、カボチャ、ジャガイモ、サツマイモ等も入ってきています。日本では、飢饉の時の救荒作物として広まったのですが、サツマイモが暖地に広まったのとは対照的に、ジャガイモは寒高冷地に普及していきました。
・当時のジャガイモの品種は、今と違って淡白な味わいであったため日本の料理法や嗜好に合わず、普及しませんでした。甲州代官の中井清太夫は、飢饉対策として、普及に努め、甲州周辺に広まり栽培されたジャガイモは、天明・天保の大飢饉から多くの人を救いました。
 ジャガイモが、本格的に普及したのは明治時代。北海道開拓が大々的に始まると、外国品種の導入や新品種の育成なども始まり、食味や生産性も向上して全国的に栽培されるようになりました。

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・サツマイモは、まず沖縄に伝わり、後、薩摩(今の鹿児島県)・九州地方に広がりました。温暖な気候を好み、台風の影響を受ける地域でもたくさん収穫できることから、この地方で発達したのです。
 草保17年(1732)大飢餓が起こり、サツマイモが普及している地域では餓死者を出さなかった現象を見て、江戸幕府はさつまいもの効用に注目します。江戸時代の蘭学者・青木昆陽が、救荒食料として甘藷の効用を説いた「蕃藷考」を著し、将軍徳川吉宗に呈上し、関東付近で広くサツマイモが普及することになりました。
 東北地方には文政8年(1825年)に川村幸八によって仙台に移入されています。幸八は「東北の昆陽」と称された人です。サツマイモの弱点は寒さです。寒冷地での栽培や貯蔵にはかなりの苦労をしています。藩主より賞状と賞品が贈られた歴史があります。また、北上する際、しっかりと地質、地形、気候も調べて確かめてから導入し、成功したのだそうです。

古くから食されていた里芋だけでは、飢餓を乗り越えられない地域で、ジャガイモやサツマイモに可能性を追求していたのですね。
3.イモ類のまとめ~自然の摂理に学んで適応していく~
サツマイモやジャガイモなどイモ類の普及によって、江戸時代の天災時に多くの人が命を救われたといいます。これは、天災などの自然外圧を受け入れ、ジャガイモやサツマイモなどの作物の弱点(食味が合わなかったことや栽培と気候の不適応)を受け入れ、その上で、救荒作物として大衆に普及するよう追求してきたからです。このように、外圧・弱点をありのままに受け入れるからこそ、その土地の地質・地形・気候に適応した工夫・追求が生まれてきたのでしょう。
歴史的に行われてきた農法には、自然への同化と自然外圧に適応する為の思考がたくさんつまっています。それは、日々何を食べるのか、非常時は何を食べるのか、何千年もの食の確保の追求から積み重ねられてきています。

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私たちが先人から学ぶべきことは、「問題や課題をありのままに受け入れ、その上で、自然の摂理やその植物に同化・追求することで、可能性を見出し、環境に適応していく。」という姿勢です。
4.先人が塗り重ねてきた自然の摂理に学び、新しい農のかたちを追求する
前述までの、各地域のイモ類普及の歴史には、その土地でどうしたら育つのか、栽培方法の追求の歴史がありました。旱魃・冷害等の環境変化に対し、各藩・各集団で食料飢饉をどうするか?を追求していました。
一方現在は、食糧危機が起こったとして、3.11原発事故を思い返しても政府が何ら答えを出せるとは思えません。求められるのは、私たち自らが、答えを出していくことです。
それは何も全く新しい答えを出すことではなく、これまで先人が追求してきたように、外圧をしっかりと捉え、自然の摂理を元に答えを出していくことです。たとえば、将来、経済危機による輸入ストップによって食料不足が起こった際に、短期間で育つイモ類はどの地でどのように栽培して、食の確保につなげられそうか?など・・・
>過去に獲得した機能の中に問題の根幹があり、その根本問題の近傍には必ず克服すべき課題≒可能性の母胎があります。それをまず発掘し、その可能性 母胎を先鋭化して全面的にそこに収斂するというのが“塗り重ね進化”の構造です。つまり、生命進化に代表される自然の摂理には、まったくのゼロから新しい 何かを生み出したなどという事実は存在しないということです。(リンク
万能な作物など存在しないし、全ては自然の摂理の中でバランスしながら適応しています。このバランスの中で、われわれも生かされています。
今後もそのような先人が塗り重ねてきた農業や現在の自然に学び、新しい農のかたちを追求していきたいと思いますので、これからもよろしくお願いします

投稿者 megu3 : 2012年04月14日 List   

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